プロローグ 褪色の始まり
色は、静かに失われていった。誰かが叫んだわけでも、世界が壊れたわけでもない。
ただ、泣くことをやめた人がいて、怒ることを諦めた人がいて、後悔を抱えたまま明かせなかった人がいた。人が普段抱えている感情の移り変わり。そんな当たり前に存在しているものが理由で、世界の色は少しずつ褪せていった。
褪せた感情の農家で作られる、菜園の果物の赤は淡く、人の感情の受け口となった湖の青は溶け、日々人に晒されている太陽光は、輪郭だけを残して消える。
この世界では、人が強い感情を失うと、自身や周囲の物、または遠い存在の場所にまで影響し、「色」もまた、失われる。それは呪いでも裁きでもなく、ただの現象だった。
――けれど、昔は違った。
人の感情が今よりも濃く、喜びや怒り、後悔さえも、誰もが胸いっぱいに抱えていた時代。その頃、世界には“魔法”があったという。
火を灯す奇跡。風を呼ぶ祈り。傷を癒す願い。だが感情が薄れていくにつれ衰退し、魔法もまた、静かに消えていった。今やそれは、古い伝承の中にしか残っていない。
そして――色を失った世界を元に戻す魔法は、ほぼ存在しない。
ひとつだけ、例外を除いて。
少女ルーミアは、人の感情を「色のある糸」として視ることができた。
色糸魔法。
喜びは淡い金色。悲しみは深い青。怒りは鋭い赤。彼女はそれを布や手紙、空中の余白に到るまで、静かに編み込む。そうすると、一時的にだが、失われた色は戻る。
だが、代償があった。
世界の褪色を観測する機関――世界色相観測院。通称「色観」。
彼らの記録によれば、誰かの感情を編むたびに、彼女自身の感情は、少しずつ薄れていく。嬉しいのか、それとも悲しいのか、自分でも分からなくなる。そして、自分自身の感情だけは、決して色として視ることができなかった。
それでも彼女は、旅を続ける。世界を救うため、ではない。誰かに感謝されるため、でもない。ただ、色を失ったまま立ち尽くす人を、一人にしないために。
これは、世界を救わなかった魔導士の物語。
色を失いながら、それでも歩き続けた少女が、
最後に「生きていていい」と歩いていくまでの物語。
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