フルン26歳、晩夏。〜新たな噂〜
「金満夫人が荒れているらしいな」
「へえ」
「何も知らないのか?彼女、お前のパトロネスだろう?」
「ぼくは何も」
まったくの無関係無関心だと言わんばかりに短く答えると、幾つもの夜会で顔を合わせている程度の知人、本人の曰く「ぼくの友人」であるところの男は詰まらなそうに当たり障りのない世間話を少し交わして去って行った。“金満夫人”とは何時ぞやぼくに薬を盛った遣り手銀行家の女性の蔑称だ。一度は徐々に距離を置こうと考えたけれど、とある理由からつい最近、きちんと別れを告げたのだった。
「フルン、久しいな」
「久し振りだねラデュレ。今日は一人?」
「ああ」
表情も声も普段より僅かに硬いのは、彼の初恋の女性でありその身に2人めの愛の結晶を宿しているキエフルシ公爵夫人の体調が優れない為か。それともこのところ薄く浅く悪意を持って広まる兆しを見せている彼の妹に纏わる噂の所為か。何れにせよ、準王族である彼が夜会という衆目の前で心の内を漏らすとは思えない。
以前のぼくなら気付いていても知らない振りで時を過ごしていたけれど、ラデュレはナウルの友人で、その妻子はマドレーヌの大切なお姉様と弟分。本人が望むのなら手を貸さない理由はない。
「最近、非常に興味深い話を聞いてね。きっとラデュレも気に入るだろうと思うよ」
「ほう?というと」
「ぼくの、物語上の兄の英雄譚さ」
*****
政治やビジネスの話が飛び交うシガー・ルームの片隅。ラデュレは口を固く引き結び、押し黙っている。端からは難しい案件に思案を巡らせているように見えるだろうけれど、彼はただ、笑い声が漏れるのを必死で耐えているのだと、ぼくは知っている。
「…成る程な」
心の内に吹き荒れていただろう笑いの嵐が収まったか、ラデュレは漸く口を開き、重々しく言った。けれど言葉の重さとは裏腹にラデュレの顔は幾分か和らいでいて、胸中の憂いを一時だけでも晴らせたようだ。
「まったく、私は世間というものを知った気でいたのだと、つくづく思い知った。時に、正攻法こそが相手への最も有効な対抗措置となるとは」




