ナウル・デライト26歳、晩夏。~夢想のもたらしたもの~
「ご心配をお掛けし、申し訳ございません。父上」
熱を出しベッドで休んでいる息子を見舞い、「具合はどうだ?」と訊ねる前に病人である息子から謝罪が飛び出した。“男たるもの、強くたくましくあるべき”という王国の規範を胸に抱けばこそ、何れ上に立ち皆を導く立場の家の嫡男であるという意識を常に持っているからこその言葉とは重々承知しているが、親としては子の成長を誇る想いと共に些かの寂しさも過る。
「大事はないと聞いた。今夜はゆっくり休むように」
「はい」
会話が途切れる。家長が態々子供の部屋に足を運んで、労りの言葉まで掛けたのだ。由緒ある伝統貴族家に生まれ育った“私”は充分だと思う一方で、息子の親である“私”は頭の中を探って会話の糸口を見つけようとしている。
「近頃、勉学も剣術も一層励んでいるようだな」
勝ったのは、親としての“私”だった。このまま部屋を出ることはどうしても出来ず、妻マーシャルから伝え聞いた彼の日頃の頑張りを褒めてやりたいと、思った。
「え…」
それは彼にとっても意外であったようだ。女子供は褒めれば付け上がる。父に従い夫に従う事を覚えさせるのが常識的な貴族教育。思い返せば、これまで面と向かって子供達を褒めた記憶はない。
「父として、誇りに思う」
「―――――ッ!」
ただ一言。仕事にかまけて家族と向き合って来なかった父が絞り出した言葉に、息子は布団を固く握り締めて涙と嗚咽を堪える。側に腰掛け震える肩を抱けば、過去の自分もまた褒めて欲しかったと、認めて欲しかったのだと思い出し、2人分の子供の温みが感ぜられたような心地がした。
*****
「子が生まれれば妹は“姉”になります。甘えん坊なところがあるから、おか…母上が産月でずっとお籠もりになれば寂しがるでしょう」
堪えていた涙を父の胸でたっぷり流してすっきりしたか、彼は気恥ずかしげに言う。2人目の妹が出来るにあたり、妹の寂しさを紛らわしてやれるのは兄である自分だけで、また更に下の妹が出来て兄として守らねばならないものが増えたのが嬉しいと、はにかむ彼は一人前の男の顔をしていた。
「強いな」
「僕なんてまだまだです。ルリジューズ様は生まれ来る妹の為に剣術を修得されたばかりか、もしも悪者に狙われた時に助け出せるよう体術も習っておられるそうです」
キエフルシ公爵家の嫡男はダルドワーズを目標にしているのだったか。愛児院であのすばしっこい双子とよく遊んでいるとも聞いている。体術に相当するのかは判断しかねるが、身を隠す術や素早く逃げる術を学んでいる事だろう。オニゴッコ、カクレンボ、後は何だったか、体を動かす遊びとして。
「お前も、武術に興味があるか?」
「はい、男ですから。けれど、妹はどうも知的で洗練された振る舞いに弱いようなので、先ずは兄である僕が手本となり妙な男が近づけないようにしないとなりません」
思いがけないところで娘の好みのタイプを知り、息子が妹を如何に大切に思っているのかも知る。それにしても、知的で洗練された振る舞いをする男といえば我々の周りではフルンだ。よりによって、ああいうのが娘の好む男性なのか。友人としての立場を取れば悪い人間ではないと知っているが、矢張り娘の父親の立場では複雑どころか反対の一択しかない。
「お前のように優しい兄を持って幸せだな」
「違います。僕は、弱虫の卑怯者なのです」
「何か、あったのか?」
「……ちょっと前までは妹に優しくすると『軟弱だ』とか囃し立てられました。ですから、余所の家に行ったとき、妹に冷たくした事もあります。けれど今は、ミケーネの小公女様や父上のご友人がたのお陰で意地悪も無くなったから…」
“夢想”
生ける物語である彼らの存在は、人々の行動に小さな変化を齎している。
子供達は素晴らしい兄や妹の存在に憧れ羨みつつ、自身の振る舞いを見直すようになった。兄や姉は弟や妹を慈しみ、弟や妹は兄や姉を敬う。
子供を持つ親はコメルシー男爵夫妻に我が子を優秀にする秘訣を聞きに行って「そんなものはない」と一蹴され、それでも食い下がって、およそ貴族らしくない、かと言って平民でもしないコメルシー家の教育方針を見習って「家族の会話を大切に」「叱るときは頭ごなしではなく道理を説いて」子供と向き合うようになったという。そうして注意深く見ていけば、それまで素行不良だった子が落ち着いたり、逆に、出来が良いと思われた子に重大な問題が生じたのだろうと推測せざるを得ない動きをみせた家もある。無論、すべての家が倣った訳ではないが、“夢想”の存在が世の中の常識を少しずつ変えている。
「それでも。誰に言われるでもなく自分で気付き改め努力している事は、素晴らしいことだ」
「!」
「しかし、適切な休息もまた成長には欠かせないものだ。体にとっても心にとっても」
「はい!心得ます!」
パッと明るくなる表情に思わず頭を撫でる。声変わりもしていない子供時代の彼と触れ合うことが出来るのは、あとどれくらいか。そう思えば此れ迄の歳月が惜しまれた。赤児が言葉を発し、歩き、兄となり、嫡男として一人立つ準備を始めている。その過程の殆どを、私は知らない。
「偶には、男同士で話そう」
「ありがとうございます父上!あ、でも、妹は…」
「無論、その時間も割くが」
ラデュレの気持ちを痛い程理解した。息子が知らぬうちに一人前の男になり、親を必要としない寂しさを、今、ひしひしと感じている。
「男というのは凡そ、外では格好をつけたがる生き物だ。よって、我々の秘密裏の会談は、母や妹には内緒だぞ?」
子育ては親育てだとコメルシー男爵夫妻は言う。子供の為に悩むのは身近な大人の特権だとも言う。だから。
願わくば、己の存在が、彼の将来に良き導きを与えられるように。




