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カリソン33歳、晩夏。~夢想の聖女~

「“夢想”の……聖女?」


 出来立てのポップ・コーンを手土産に訪れた宰相補佐の執務室。他に誰もいない応接室で眉根を寄せて聞き間違いかとばかりに鸚鵡返しをするナウル・デライトのその反応が、己と同じで安堵する。


「ウチの奥さんが聞いたんだが、その様子じゃあ広まってるのは下の人間が中心なんだろうな」


 今や“夢想”の一言が表すのは、王国一の仲良し3兄妹だ。先日は早退した帰りに肉屋とピクルス屋とチーズ屋を巡ってから飯屋にも立ち寄ったらしく、何処其処で何を買い何を食ったかが翌日どころかその日の夜には広まるくらいの人気ぶりで、()()であるダルドワーズなんて気軽に露店市にも行けやしないとボヤいていた。

 にも関わらず、己を“夢想”の、しかも“聖女”だと言い張る女がいるという噂が届いたのはつい先日のこと。夫婦で参加した夜会で暗がりに連れ込まれそうになっていた若い娘を助けたら懐かれ、奥さんがその娘が世話になっている叔母の家での茶会から帰って来た日だった。


「どっかで“夢想”の話題が出るとさも自分の事のようにホホホと笑って時には『わたくしそのような場所には参りませんわ』って呟くんだとよ。それだけならまあ、頭の出来が哀れな女なんだが」


 娘は地方の貧乏男爵家の出で、数年前に王立学院の基礎科を卒業して社交界デビューしたは良いが王都滞在の費用が続かず田舎に引っ込み、姪の将来を案じた叔母の手引きで遠路はるばる王都に出て来たらしい。父の妹である叔母は平民ながらそこそこ名の知れた家に嫁ぎ、その縁であちこちの夜会に顔を出していた際に出会ったのが自称“夢想の聖女”だった。


「未来視だか何とかって力があると言って。王都では貧しい人々から謎の病が徐々に広がり、その原因が王子の婚約者の生家キエフルシ公爵家である。時を同じくして国境の地で軍による反乱が起こり、他国と手を組んだ辺境伯家も軍勢に加わり王都に攻め入る。止めに入った部隊長を実は軍内部に潜んでいた裏切り者が云々…ってな事を、その聖女サマは言い回っていたらしい」


 その日初めて会った人間から「内緒よ」と前置きされ告げられた不敬が過ぎる内容に血の気が引くほど恐ろしくなり、くらくら目眩がして壁に凭れていたところを見ず知らずの男に強引に引っ張られ、あわやという場面で俺と奥さんが登場したのだった。そうして繋がった縁からの情報は、案の定、耳の早いナウルもまだ知り得て居ないようだ。


「毒麦病の件は口外無用の御達しが下されている筈。キエフルシ家の件に、国境駐留の部隊といえば――ンン゙ン゙?!!」


 ぶつぶつ小声で呟くナウル・デライトの口にポップ・コーンを放り込み黙らせる。此処は王宮、毒を盛ったり盗み聞きなんざ日常茶飯事の伏魔殿。常に誰かの目や耳が有ると思わなければ、長生きなんて出来やしない。無理くりに食わせた事で我に返ったか、若き宰相補佐は少し恥ずかしそうに目を背けた後、ゆっくり口の中の白いふかふかを咀嚼していく。


()()()()()()()()()の世界では起きていたかもな」


 毒に冒された麦が原因となる病は、野生の天才医師父娘によって治療薬が作られ、その病巣となり得る貧民街は街ごと移転した。

 一時はあわやと思われたキエフルシ公爵領での大規模な病害虫騒動は、駆除も防除もとっくに済んでいる。その上、王国の食糧庫キエフルシ領の大凶作による食糧不足の心配もないらしい。

 反乱の件だってそうだ。国境を守る為に命を張っている存在にも関わらず無いものだらけの待遇の酷さに、特に東の荒野の砦に詰める連中の精神状態はギリギリだった。いつ反乱を起こしてもおかしくはないのを何とか食い止めて居たのがダダールさんとマリア商会の存在だ。けれどそれだっていつまで保つか。そんな綱渡りの状況が、軍のトップである元帥と国防大臣の鶴の一声による調査で明らかになったのだった。その後は知っての通り、新品の武具に生活用品にたっぷりの食料や酒が大急ぎで運ばれ、給金や手当の見直し、砦の修繕工事の予定も組まれた。ばら撒かれた古くて不味い麦によって荒野は緑の草原に変わり砂の害も減ったと聞いている。その調査の発端は軍人である兄の身を案じる少女の世間話であって、国防大臣夫人と元帥夫人の耳に入ったのも巡り合わせの偶然だ。

 しかし貧民街の移送のように目立つ事業を除き、これらの多くの出来事は内々で処理されており、関係者を除いては知り得ない事実である。ならばと考えた時に、結論(こたえ)は一つだけ。


「その聖女とやらは、我々の知らない事情をよく知っていそうだな」


 ポップ・コーンをすっかり飲み込み口を開いた宰相補佐殿は、重々しい口振りに反して愉快そうに目と唇を歪めている。“冷徹”だの“血も涙もない”だのと言われていた、その実、若さ故の潔癖が目と鼻に付いた嘗てのナウル・デライト侯爵家嫡男はもう居ない。今此処に居るのは清も濁もすっかり飲み込み己の血肉とする覚悟を決めた筆頭侯爵家の家長で。


「身元を洗って不敬か何かで引っ張るか?」


「いいや、其処まで愚かなら正体を掴むなど造作もない。先ずは聖女が広めたい噂の内容を探らせる。相手方の狙うところが判れば、対処もよりしやすくなろう」


「流石に人を選んで広めているだろう。気弱な田舎者の宛はあるか?」


「いいや。だが、この種の手合いが嫌がる、口を開かねば耐えられぬであろう方法ならば、幾つか宛があるな」


 次代を率いるに相応しい、次期宰相だ。

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