ダルドワーズ28歳、夏。~只今渾沌に付き~
―何なんだ、この状況は?
第三部隊の執務室を訪れてみれば移送隊に居るはずのポルックスが居て、応接室に案内された。そこには炎のように真っ赤な髪の美女と、足下には罪人が如く両膝をつくカリソン。
「だから。ヘルギさんをどうこうってのは、東国とその周辺が勝手に言っているだけで、国から働きかける事はなくて」
「…………」
「何なら御璽付きの証書も出すとも言ってる」
瞳に怒りの炎を宿すスヴァーヴァにカリソンは情けない声で懇願し、スヴァーヴァは口数少なく膝の上を熱心に撫でている。手元にあるはダルドワーズの頭。彼は大きな体を居心地悪そうに丸め、カウチソファに横たわっていて。
―何なんだ、この状況は?
*****
「貧民街で流行している病。あれが疫病ではなく、毒麦による害だとする可能性が高まった」
苛立ちの収まらないスヴァーヴァに頭をわしわし撫でくりまわされながら、ダルドワーズはそっぽを向いたままで事の次第を話し始める。いい歳をした男が人前で幼い子供みたいに膝枕をされて頭を撫でられるなぞ不本意極まりないが、スヴァーヴァは何かしら大きなものを撫で回してストレスを解消する人間だ。これも平和のため、家族のため、と心を無にする。
疫病の噂を聞きつけカザンディビから遺体の検案書や病人の診断書を横流しさせたヘルギは
「この症状なら真っ先に疑うべきは疫病じゃなくて毒麦病。ぼくの娘に不要な手間を掛けさせるなんてお仕置きが必要だね」
と手紙に書いて寄越し、受け取ったダルドワーズとダダール以下村人兼軍人を大いに恐れさせ。そこから情報が伝わった国防大臣らも恐慌状態に陥ってしまい、ナウルへの伝達をすっかりまるっと忘れていた。
何せ相手は倫理観ゼロで、愛する妻と娘に並々ならぬ執着を抱く人物。お仕置きがどれくらいのものかは不明だけれど、命に関わる可能性も捨てきれない。今後の最善策を話し合う中で、今度はフルンから、こちらは意訳すれば
「叔父様がスヴァさんとマドレーヌを部屋に軟禁してる。村の出入りも厳しく制限されている」
という趣旨の手紙が届き、一同はいよいよもって生命の危険をひしひしと感じた。王都の出来事が万に一つも耳に入らない環境を、ヘルギを懐柔できる人物に接触できない状況を、わざわざ整えたように思われたからだ。
遅きに失した感もあるが、先ずは毒麦病患者の対策が最優先。満点とは行かずとも及第点が貰えれば、もしかしたら、ちょっとは手加減してくれるかも?という希望的観測でもって、慌てて医療班のトップであるカザンディビに連絡を取ったは良いが、毒麦の治療薬の製法はスュトラッチ家の記録に残っておらず、祖父と叔父と従妹の3人以外は知らないのだとか。
元侯爵は人嫌いで、気に入った人間のお願いしか聞かない。ヘルギとマドレーヌは強制引き篭もり中で接触は不可能。棟続きの双子の家で寝起きするフルンはヘルギ達の情報収集役として村に置いておきたい。カザンディビも医療班のまとめ役だから王都から動けない。彼らの父親を動かすのはもっと無理。というわけで、それなりに面識のあるダルドワーズがスュトラッチ家の北の領地に派遣される羽目になった。
「それでまあ、なんとか協力を取り付けられたは良いが、その帰り道でスヴァさんが黒雷に乗って駆けてくのが見えてな」
真っ先に気付いたのは愛馬イーヨーだ。母親である黒雷の気配を感じたか鼻を鳴らして駆け出し、近くまでは行ったものの、赤髪の主を乗せて恐ろしい速度で王都に向かって行ってしまった。一人と一頭が揃って茫然と見送るその後ろから、「待ってー」と聞き慣れた声。
ふんふんと顔に鼻を近づけ喜ぶイーヨーを余所に互いの情報を交換し、ダルドワーズはスヴァーヴァを追い掛け王都に、マドレーヌは一度村に戻ってヘルギに事情を説明し、旅支度を整えてから王都に向かうことになった。なにせありとあらゆる動物に慄れられるヘルギだ、一緒に連れて行こうにも黒雷以外には乗馬拒否される。おとなしくスヴァーヴァが帰村するのが最善手だが、それが叶わないようなら、コメルシー家総出で説得する間にマドレーヌが黒雷に乗ってヘルギを迎えに行こう。と、兄妹は合意して別れた。
馬力もスタミナもある黒雷やイーヨーならば一両日中に王都に到着できる。そこで王宮に単騎攻め入る前にスヴァーヴァを捕獲し、説得し、なんとか怒りを鎮めようと説得を試みて、無理だった。
「ヘルギさんがスヴァさん達を軟禁してると聞いて、マリア商会の人間も気が緩んだんだろうな。“毒麦の薬の開発者を国が囲い込む”って、断片的な噂を散歩中に聞いちまったらしい」
ヘルギの愛が重いのは、言うまでもない事実だ。常人ならば窒息死するか圧死するか狂死する、致死量以上の愛を注がれて平然としているスヴァーヴァもまた重たい愛情の持ち主である。しかも軟禁生活で溜まりに溜まりまくったストレスが攻撃衝動に拍車をかけた。致し方ない、最終手段に訴えるしかない。ダルドワーズは引き続きスヴァーヴァの監視と説得に、熊の皮を被ったマドレーヌはカリソンに助力を依頼しに、それぞれ再び分かれて任務遂行に向かった。
「毒麦…、軟禁…、襲撃…、熊…、くま?」
いち時に与えられた情報量の多さと混沌さに混乱しつつ、ナウルは頭の中を整理しようとぶつぶつ呟いている。だが、真っ先に引っ掛かるのがそこで良いのか?
「野盗対策の、変装のようだよ。頭も爪もついた本物の熊の毛皮を羽織っていた」
「野盗…。だが、女性の一人旅、宿を取るのも苦労するだろうに」
女の一人旅なんて“訳アリ”の代名詞。面倒事を嫌って部屋を貸さない宿屋が大半だ。酒場は言うまでもなく、カフェや食堂にだって入店を断られる。馬を休める場所も、自身の休憩地も、野外に求めるしかなく、たいそう苦労するだろう。普通なら。
「村までなら、寝るのも食事も馬上で済ませられるから大して問題ないぞ?」
「「は?」」
「え?」
そこは、普通ではない人間に育てられた、普通じゃない、妹である。昨夜遅くにコメルシー家の王都邸に到着し、一緒にぐっすり眠った翌朝、人用と馬用の食糧がパンパンに詰まった袋を腰に結んで黒雷に跨り意気揚々と出掛けて行った。我が家で最も強い馬、黒雷女帝は例によって一瞬だけ目を逸らしたが、覚悟を決めたようで、こちらも力いっぱい大地を蹴って駆けて行った。仲は良いんだが、どうにも黒雷には「喰われる」恐怖心みたいなのがあるようだ。
「あー。スヴァさん、馬上を飯台や揺り籠代わりに使うのは一般的じゃないらしい」
「そうなのか?でも、ダルもマディもキャッキャって喜んでたろう?」
「まーなあ、俺等はなあ」
スヴァーヴァに背負われ、物心つくより前から馬に揺られて育った兄妹である。下手をすれば同世代の人間とよりも馬相手とのほうが交流歴が長い。
「マディなんて、火がついたように泣いても馬に乗せれば割とすぐに泣き止むし」
「下ろすとまた泣いたけどな」
大人でも泣き喚く全速力での疾走が抱っこ代わりというのは、世間の常識を知ればどうかと思うが、微笑ましい家族の思い出である。是非ともこのまま昂ぶる戦闘心を引っ込めていただきたい。
…無理かな。無理だろうな。もう一つくらい明るく楽しい話題が欲しいところだ。
「失礼致します!大尉、国防大臣からの遣いが―――ッ?!!」
乱暴なノックと共に制止する間もなく扉が開かれ、若手部隊員が入って来るなりわかりやすく息を呑み、見ずとも判るくらい辺りは無音になった。
「あっ!あ!失礼しましたぁッ!!!」
「落ち着け。行くな。恐らく重大な思い違いをしている」
慌てて部屋を出ようとする部下を呼び止め、なるべく、もはや威厳もへったくれもないが、余裕を見せつけるように、体を起こした。
「こちらは…。俺の姉貴だ」




