レオス・テュンダ60歳、夏。~東国からの訪問者〜
「テュンダを通らず入国したとなれば」
「あの村からであろうな」
レオスとその腹心はそれ以上言葉を紡がず、ただ、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。苦味がやけに舌の上に残る。
東の国境は、元はすべてテュンダ家の管理下にあった。だが今は、人口200人にも満たぬ、さる貴族の飛び地領となっている小さな村もまた、東の国々との国境に面した土地となっている。
自領から遠く離れた、大して資源もない、小さな土地。常識的に考えれば余計な出費が嵩むだけの厄介物だ。しかし、それを欲しがったのは、前王の愛妾だった。その地は赤土色の断崖絶壁が背後に高く聳えており、東の国々とは地続きではなかった。越えるには岩壁に沿った獣道の如き細道を壁に張り付くようにして登らねばならなかった為だ。それが、富と権力を総動員して崖の内部に隧道を開削し、東国との国境の村であると認めさせてしまったのだ。もしもこの村が敵方の手に落ちれば王国侵略の拠点となろう。それが為に、かつて使われていた古い砦のある一帯を国に割譲し、王国軍に守らせることとなった。
「王子とはな」
「うむ。まったくの予想外だ」
レオスの記憶とテュンダ家の記録が正しければ、サンクロワ国の双子の王子は此れ迄、外遊はおろか、都から遠く離れた街への訪問ですら経験が無かった筈だ。彼の国には若い双子の兄弟を神聖なものとして崇める慣習があり、数十年ぶりに誕生した双子の王子を王宮の奥で大切に大切に養育してきたと聞いている。
「果たして、本物か?」
国の境である以上、その村にも人や荷物の行き来を取り締まる機関はあるが、監視の目の行き届かないことが度々あった。現に、その道を通り、貴族令嬢が1人、王国から東国に出奔している。
「さてな。外戚の縁を頼っての、飽く迄私的な訪問である故に、舞踏会も晩餐会の類も全て辞退したというが」
「しかし、后を探すための訪問と、噂が流れているな」
「ならば、国の催す舞踏会や晩餐会は、これ以上ない絶好の機会だろうに」
「さて、何ぞ表に出せぬ理由があるものか」
男2人はそこで再び黙りこくり、コーヒーを啜る音だけが、虚しく響く。すっかり冷めたコーヒーは、心なしか、酸く感ぜられた。
頭を悩ます男達の前に、ことり、白い皿が置かれた。飾りのない皿の上、同じくらい飾りのない菓子は、幾層にも重ねた薄いパイの間に砕いたナッツを挟んで焼きシロップを染み込ませた東国の伝統菓子。手間のかかるこの菓子を、現辺境伯夫人であるポルックスの母親は手ずから拵え、2人の息子は勿論のこと、家に仕える使用人にも振る舞っている。近い内に迎える異国の姫君がこの家に馴染めるように。女主人としての存在感を示すために。
「おお、御馳走ですな」
「いつも済まないな」
常に一歩引いて男を立てる東国の女。それは言い換えれば、常に周囲に目を光らせて過不足のないよう調えるということでもある。だから、レオスは問うてみた。相手の思惑を聞き出す術はないか、と。
「秘めごとは、大きければ大きいほど、誰かに打ち明けたくなるもの」
天に瞬く星のように、広漠たる荒野に灯した炎のように、心を覆う憂いや恐れを祓う静かな声。それが、心から信の置ける者だけがいるこの部屋に、響いた。
「誰とも知れぬ者が相手ならばこそ、言えることもありましょう」




