ナウル・デライト26歳、夏。~東国からの訪問者~
「この辺りが、落とし所だろうな」
提出された旅程図を眺めながらナウルは独り言ちた。
貧民街の病人の移送は第三部隊と各部隊から志願した有志が、その他は数人の小隊に分かれて要所要所に配備される。廠舎までの街道では、一部の場所で、野盗の被害が度々確認されている。幾ら軍人といえど多くの病人を抱える身では満足に戦えまい。そこで道沿いに警備を置くことにし、その場所は、地図上にバツ印で示してある。その内の、比較的安全な、王都に近い地点の警備は第一部隊の担当だ。
「彼らも王都を離れたがらないでしょうし、双方にとって良い結果となりますでしょう」
「訓練を見学しましたけれど、実戦での剣術は、式典で披露されるそれとは全く違っていましたよ」
部下の言葉に大きく頷く。
長らく実戦から遠ざかるうち、第一部隊の訓練は式典で見栄えのする、剣舞が如き剣術に変わっていった。剣舞は、相手も自身も王国の正統な剣技に則った動きをすることが前提だ。力任せに無軌道な動きをするであろう野盗の類と対峙した時に、果たして役目を全う出来るか疑問視された結果がこれだ。
ともあれ、物資も人手も充分に足りており、医師の協力も取り付けられた。難題の一つは解決に至る目処がついたことに、ほっと胸を撫で下ろす。
その時。
「室長。面会の都合伺いが、外務局から来ています」
*****
―我が国を愚弄してくれたものだな。
ナウルは能面のような無感情の裏で、膝に置いた拳に爪を食い込ませて怒りをなんとか隠した。動揺を悟られれば相手の思う壺。そう、自分に言い聞かせて。
「貴国に、国難の相が出ていると、御神託があった。ついては吾が神を主神と崇める国が、助力を申し出ておる」
外務局の要請で面会したのは、黒髪に近い焦げ茶色の髪と色黒の肌をもつ、壮年の男だった。彫刻のようにくっきりとした目鼻立ちをしたその男は自身を“神の遣い”と名乗り、尊大な態度で人払いさせると、こう言い放った。
「友好国が滅びるのは、かの国にとっても耐え難い悲しみであると」
そうして、これから価値を大きく落とす家よりも、他国に目を向けより利のある家と積極的に縁を繋ぐ道も視野に入れるべきだと、続ける。
「幸いに、その国は、貴国で起こり得る未曾有の災害に対抗する術を、有しているそうだ」
未曾有の災害に、現状、思い当たるのは2つ。けれど疫病も蝗害も、その発生を知るのはごく限られた人間のみ。蝗害はキエフルシ家が外に漏れぬよう手を尽くしているだろうし、疫病の件は、公には「家を持たぬ者達を適切に保護する慈善福祉事業」であり、穿った見方をする者達の間では「貧民の排除」である。
勿論、何処かから情報が漏洩した可能性も否定しきれないが、眼の前に居る東国の民の特徴を色濃く持つ男が、王国から馬車でひと月は掛かる国から神託を携えて来たという男が、その出立時点では判明ないし発生していない災害とやらの解決策を持って王国にやって来たのだ。正しく時系列を追えば一つの明確な答えに行き着く。
―この代償は、必ず支払って貰おうか。
「かの国では、貴国の教育、主に医薬に関して、大いにご興味を持っておられる。留学という形をとり、互いに親睦を深めるのも、良い考えとは思われぬか?」
怒りの感情が渦を巻き嵐が如く吹き荒れる心中を悟られぬよう表情を消したナウルの様子をどう捉えたものか。男は笑みを浮かべて明るい声で、提案した。
「その件に関しては、国を通して正式な要請があり、医務局に助手を受け入れる余力があれば、充分に可能である」
「まさか!貴き御方に助手だと?!!」
「はて。本来ならば見習いの身分から始めるものを、医師の近くで学べる助手の身分を与えるのだ。医薬に興味のある者ならば、喜びこそすれ憤る理由はないように思われるが?」
敢えて王国の、否、国同士の常識を言って聞かせ、激昂する男に更に道理の分からぬ幼子に言い聞かせる口調で、笑んで見せる。余裕綽々な若造に異国の男は苛立ち、左足を盛んに揺らし始める始末。容易に挑発に乗り態度にあらわす様を見れば、外交はおろか国内でも社交らしい社交をしてこなかったのだろう。
―所詮はハッタリだけの、小物だったか。
この程度の人間を交渉役に抜擢するなど、侮られているのは王国か、それともナウルか。何れにせよ気持ちの良いものではない。
「……貴国には、医薬の長を務める家が、あると聞く」
ややあって、漸く落ち着いたか、男は獣の唸り声に似た低い声を、喉の奥から絞り出した。
「その家にて、学ばせれば、良かろう。画期的な薬を、開発し、東国に援助したるは、その家の者と、聞く」
ゆっくり慎重に。一つ一つの単語を強調するかのように言葉を短く切っているのは、馴れない王国語で認識の齟齬が起こることを危惧しているのか、或いはふつふつ燃え滾る怒りの発露か。
ともかく、その様子に、男の狙いが見えた。と同時に、はたと、一つの考えが浮かんだ。
「ああ、それは一考の余地もあろう」
「ならば」
東国に無償で配布した毒麦の治療薬。
男の狙いがその薬であり、開発者であるならば。当然、共に知らしめた“夜に舞う麗しき蝶”の存在もまた、認知していることだろう。
―10人の屈強な兵士よりも、100人を治療できる医師の方が戦時では価値が高い。
国防大臣マロウ伯爵の言が思い出される。つまり、あの薬は、彼の国にとって脅威であるのだろう。
―見返りを望まぬ相手ほど、恐ろしいものはないな。こちらが借りを返そうとすれば、返せぬ恩が返ってくる。
西国ミケーネの要人との私的な交流会を終えた後のラデュレの言が、困ったような誇らしいような喜ばしいような、珍しく浮かべた戸惑いの表情と共に思い出される。まったくその通りで、見返りが判れば、自ずと弱みが判明した。
取っ掛かりが出来たなら、後は時間を。なるべく時間を稼がねば。それに、やられっぱなしというのも癪に障る。
「しかし生憎と、彼の家は公明正大、公平無私を是とする。国から働き掛けたのでは、他に医学を志す多くの若者の手前、頷くまい」
「では、如何すべきか」
「そうだな。かつて、当主に何度も直談判に訪れた者があったと聞く。彼はその熱心さが認められ、すぐに助手の身分を手に入れたとか」
ラデュレに倣った大真面目な顔で、ナウルは嘘八百を並べ立てた。




