マドレーヌ14歳、夏。~母と娘〜
少し温めの湯に薔薇の香りをほんの少しだけ落とした。肩までとぷんと浸かれば微かな香りが鼻腔をくすぐり、塞いでいた心を晴らしてくれる。
「フルンと何かあったか?」
父お手製の入浴剤で寛ぎのお風呂タイムに浸っていると反対側からのんびりした声。今夜は母と娘の2人きりで、猫足バスタブの左右に分かれて縁に頭を乗せて足を伸ばし、広い浴槽を存分に満喫している。
「?、何もないけど、なんで?」
「じゃあ、やっぱりバンタルか〜」
「!!!」
水中にずり落ちそうになる体を何とか支えるも、ばちゃんと跳ねた湯が顔を濡らした。犬みたいに頭をぶるぶる振るわせて水滴を飛ばそうとする娘に、スヴァーヴァは頭の上に載せていたタオルをぽいと投げ渡す。
「わたしもマリーも、マディが好いた相手なら基本的には応援するぞ」
「基本的って」
「幾ら可愛い娘でもヘルギとポルミエはダメ〜、あげな〜い」
「なぜそこで父親が出てくるのか問い糺したい」
「だって好きだろう?」
どちらも好きは好きだけれど、あくまで家族として父親としてであり、恋愛じゃなく家族愛だ。血の繋がりがあろうとなかろうと、それは変わらない。
「ダルやフルンは?」
「お兄ちゃん」
遊んでくれるお兄ちゃんと勉強を教えてくれるお兄ちゃん。性格は違えどどちらも優しくて頼り甲斐がある兄に、優しく厳しく愛情深い両親×2。姉思いのおとなしい妹に、やんちゃで元気な妹弟。愛情たっぷりの理想的な大家庭である。
「それじゃあバンタルは?」
「……、昔からよく知ってる友達、だなあ」
母の誘導に、ぽつり、悩みの種が喉の奥から零れ落ちた。
数年来の付き合いとなるバンタルだから互いの良いところも悪いところもよく知っていて、一緒に居ても気を遣わなくて済む間柄。彼は食べ物の好き嫌いはないし、体も健康そのものだし、性格もさっぱりしていて年下に慕われるタイプだ。人間性としては好ましいけれど、たぶん。
「わたしの“好き”と、バンタルの言う“好き”は、違うんだと思う」
考えても考えても、友人以上の関係に進めない。漫画やアニメなどフィクションの世界でよくある幼馴染カップルに、マドレーヌとバンタルは、きっとなれないだろう。
「へー。告白されたかー」
「あーーーーー!!!」
気づいた時にはもう遅い。保湿効果のある入浴剤のせいか、口がつるんと滑って言わなくていい事まで言ってしまった。
「それでどう答えていいか悩んでるってわけだ」
「ちょーーーーーッ!!!」
ばちゃばちゃ犬掻きみたいに浴槽内を移動して愉快そうな母の元へ急ぐ。躾担当の養母と違って、実母とは友達のような気安い関係で、つまりは。
「いやーそうかー。マディももう年頃だものな!」
「違うったら!いや違わないけど!」
「んで?バンタルはマディのどこが特に気に入ったって?」
「知らないよ!聞いてないもん!」
「聞かなかったのか?」
「“好きだ”っては言われたけど!さっさと帰っちゃってそれっきり!」
「なんだ。つまんないな〜」
「母さん!」
娘の恋バナに母はひとり盛り上がって、娘は娘で聞かれもしないのにベラベラ喋って燃料を投下してしまう。
結果。
「水ぅ〜」
「……………」
いくら温めでも、長湯の上に暴れ回っていれば、そりゃあ、のぼせるわけで。
いつまで経っても風呂から上がってこない妻子に痺れを切らして様子を見に行けば、浴槽の中には全身真っ赤になってぐったりしている2人の姿。マリー夫人の言いつけ通り慌てず騒がずのヘルギに引き摺り出され体を拭かれ寝間着を着せられ談話室に運ばれ、今に至る。基本的に引き篭もりのヘルギだが、えらく手間のかかる妻子の世話を甲斐甲斐しく焼くことで、筋力はそれなりに鍛えられている。
「マドレーヌ。薬草水だよ、飲める?」
「………ぅん」
特に重症なのは水に落ちた犬みたいに暴れたマドレーヌの方で、カウチソファに横たわったまま腕はおろか指も満足に動かせない。真っ赤な顔でニマニマ笑いながら引っ付く妻の面倒をみるヘルギに代わり、フルンは叔父に手渡された不思議な道具に薬草水を注いで口元に運んだ。それは掌に収まるくらい小さなティーポットみたいな形をしていて、横になったままでも溢さず水を飲ませるための道具らしい。
「スヴァさん?寝ちゃった?」
「あ、じゃあマドレーヌはぼくが」
ベッドルームに運ぼうと持ち上げた体は骨が溶けたみたいにぐにゃぐにゃで、微かに薔薇の香りがした。可憐で慎ましくも華やかに妖艶に香る淡い薔薇。それは腕の中の少女が普段はひた隠しにしている、誰しもを惹きつけて離さない、魔性の魅力。
「ほら。もうすぐベッドに着くからね」
向かう先は、扉一つで繋がったコメルシー家の部屋。家主なき家は今、2人のためだけに待っている。




