ナウル・デライト26歳、夏。~悪夢の始まり~
『急ぎ、時間を取って欲しい。内密に頼む』
家族ぐるみの親しい付き合いのある、家格を別にしても名実共に親友と呼べる男から文が届いた。
彼とは王立学院で成績を競った仲で、突出した才と美貌で他を圧倒したフルン・スュトラッチに羨望と嫉妬の感情を少なからず抱いた仲間でもあるが、このように感情的な文は初めてだった。だからこそ、他の予定を後回しにしても、面会した。そうしてそれは、間違いではなかった。
「被害は日を追うごとに拡大している」
王国には三つの公爵家がある。逆にいえば、長い歴史の中で、準王家たる存在を三家にのみ与えてきた。
国の根幹たる食糧を安定的に供給する家、異国との交易により外貨を稼ぐ家、そして国内に未だ残る外敵を抑える家。それが、三大公爵家の、各家に生まれし者の負うた責務であり宿命である。その中で、麦を始めとする王国の主たる食糧の生産とその価格調整を暗に担うのがキエフルシ公爵家だ。
「基礎科ではあるが、王立学院の庭園にて、とある学院生がその卵を発見していた。発見時の聴き取り調査に拠れば作為的に埋めたものであろうとの事だ」
ああ、キエフルシ家の価値が下がる事よりも、国を案じていち早く、包み隠さず打ち明けてくれた友誼に報いたい。現時点で事が露見すれば、食糧の買付騒動が起こり物価は高騰、社会は混乱するだろう。けれど、解決手段は既に講じてあり、それらが問題なく機能してあるとも同時に伝えられれば、混乱は最小限に抑えられる。
先ずは専門家を集めて蝗害の原因究明に防除・駆除方法の確立。同時に食糧品の調達に係る根回し。他国からの輸入が必要ならば貿易なり投資なりで稼いだ外貨で国外の食料を買いつけて。やるべきことは、山のようにある。
―会いたいな。
争いも策略も無縁の村で、のびのび忙しく過ごしているだろう、少女が脳裏に浮かぶ。彼女だけではない。宰相補佐でも侯爵家の嗣子でもなく、ただの1人の人間として在れた、あの村での日々が思い出される。
療養と言われ何もせずに過ごした日々で、自分には何もないと気付かされた。由緒ある侯爵家の嗣子や宰相補佐や、そうした肩書きが、自身の意志を形作っていた。それでもがむしゃらになって食い付いているうちに、信の置ける人々からの信頼を得て、思いがけない友情も育んだ。
―でもそれは、今ではない。
会うのならば、家族と共に、のんびりとした休暇で、或いは憂いを払拭した王都で。何でもかんでも頼り切りでは居られない。それが、せめてもの大人としての矜持だ。
『両の足を踏ん張って己の持ち場を死守する。そうしていてくれるだけで、動き易さは格段だ。戦場であっても、そうでなくても』
『未来に希望を繋ぐ貴方達に幸多からんことを』
身分や年齢や立場が違っていても、頼れる仲間が、頼っても良い仲間がいるという事。その事実がナウルを支える。為すべき事を為し、取れる手段はすべて採る。そして。
「後は、良いことだけがありますように」
やるべきことは山のようにあるが、今はただ、薬草茶の仄かな甘みに浸って居たかった。




