ダコワーズ18歳、夏。~お姉ちゃん〜
「もー!ガレットもデロワもまたその服?新しいのがあるでしょう?」
「やだー!」
「これがいいの!」
「だって肘や膝なんて、もうだいぶ薄くなってるよ?」
「「また直して!」」
「まったくもう。あとで繕っておくけど、明日こそちゃんと新品の服を着なさいよ。約束ね」
「「はーい!」」
ふわふわ、ひらひら。上等な絹で誂えたお姫様みたいな服を着た美しい姉と、あちこち継当てだらけの草臥れた服を着た平凡顔の妹弟。それだけ見れば、特別扱いされている姉と虐げられている下の子達だけれど、事実はまったく異なるのだと、この村に暮らす人間なら皆が知っている。
「お前らまたその服か。もう生地がへたってんじゃねえかよ」
「直してくれるって言ったもん!」
「まだまだ着れるもん!」
「そうかよ、わかったわかった。そんじゃあ今日の稽古、始めるぞ」
浅黒い肌の少年は王国軍の部隊長という高位軍人の子息。と同時に移民の子でもある。敬われるべき身分を、王国で蔑まれる立場の者が持っている。それだけで彼ら一家の生きづらさが手に取るように解った。
「そんな持ち方してると怪我するし、すっぽ抜ければ他に怪我させちまう。基礎練習ってのは単調でつまんねえけどな、自分と他人を守るために大切なんだ」
かつてはその不安定な立場から周囲に暴力を振るうなど荒れていたらしいけれど、今はそんな素振りは全くなく、集会所に年下の子達を集めて剣術の指南をしたり「村の皆のお兄ちゃん」だ。まだ出来て間もないこの村に子供は少なく、村民も移住者が殆ど。余所者の集まりだからか、彼を異端視する者も、わざとらしく媚を売る者も、居ない。
「あ!ねーちゃん!」
弾んだ声に、その単語に、心臓が跳ねた。
「みんな、そろそろお昼ごはんだよー。いちど帰って来なさいって」
「「「「「はーい」」」」」
子供達の元気いっぱいの声。ここはあの家ではないと、頭の中では理解していても、“姉”の呪いはまだ心と体を縛るのだと痛感する。
「バンタルいつもありがとうね。ルピスさんもまだお養母様とお話あるらしいから、お昼はうちで食べていって。今日は精肉加工したからお肉たっぷりのポテトグラタンにしたよ」
「あー、腹減ったな!今なら何を食ったって絶対に旨い」
「わかる!運動後のごはんは最高だよね!いっぱい作ってあるからたっくさん食べて」
「…ぅあ、、そうする」
素直に「食べたい」「嬉しい」と言えないのか、憎まれ口を叩くも軽くいなされ、却って落ち込む始末。姉を前にするとどうにも素直になれない気質は、王都と村とに離れ離れになった後も健在だ。他に歳の近い人間がいない為によく相談されるけれど、一向にその点は改善されない。それでもまあ、王都に行った際はエスコートできたらしいので、まだ見捨てないでいてあげよう。
「お肉たっぷり?」
「ポテトのグラタン?」
「トマトペーストで味付けしたひき肉に潰したお芋を乗せて焼いたの。コロッケのお友達かな」
「うまそう!」
「コロッケ!」
村に一軒だけある肉屋はこの村の領主が姉の実母に与えたもので、母親の方は仕入れた肉を部位ごとに華麗に切り分けるほか、あまり仕事はしていない。というよりも、役に立たないという理由で、させて貰っていない。その代わりに他の店員に混じって店番をしたり余った肉で惣菜を作って売るのは姉の役目で、これがまたおいしいと評判だ。
「ダクスも、いつもありがとうね」
温かな言葉に優しい笑顔。そんなもの、血の繋がった妹からは、ついぞ向けられたことはなかった。
妹にとって姉は、使用人以上家族未満、といったところだったろうか。同じ親から生まれ、顔のつくりは似ていて、髪の色だけが違った。金に近い薄茶髪の姉と、きらきら輝く金髪の妹。たったそれだけの差異が両親にはこれ以上なく重要だった。
「姉さん」
年下の、体も小さい、実の妹と同い年の少女を姉と呼ぶ。その不自然さも丸ごと受け入れてくれた、少女を呼ぶ。
「なあに?」
「姉さんのお料理、楽しみ」
「ふふ、嬉しいな。そうだ、後でおやつを一緒に作ろうか」
「うん」
*****
17歳。妹のドレスや宝石代の為に、売られた。
それは両親が決めたことだから妹のせいではないし、妹もまた、なるべく高価く売るために飾られるだけなのだとは、判っているけれど。
『ダコワーズの嫁ぎ先、あの“処女の墓場”だって?』
婚姻が決まったのは16歳。相手は父親よりもずっと年上の金持ちで、たくさんの後妻を娶り、たくさんの葬式を出した、そんな男だった。
『ええッ?あの、2年置きに若妻の葬式を出してる家かぃ?金の為とはいえ酷なことをするよ』
『まあ、そうでもしなきゃお嬢様のデビュタントの費用も工面できないんだろうけどさァ』
生まれた家は、一応は貴族だったけれど内情は火の車。国から定められている使用人の最低人数も雇うことができず、主家の長子でありながら物心つく頃には使用人として働いていた。本来ならば仕えるべき人間なのに使用人として働かされている私と他の使用人との間には見えない壁のようなものがあったけれど、幸いに嫌がらせはされなかったし、彼女達のおしゃべりから世俗の色々を学んだ。
『ご主人様も奥様も、茶色じゃなく金髪娘なら支度金が多くせしめられるって夢見てんだろうねェ』
『そんなら余計、ちゃんと仕込まなきゃいけないのにさ。せっかく見つけた女家庭教師もまた辞めたって?』
『愛人狙いじゃないの?ほら、よく言うだろう?』
『遊ぶなら頭と尻は軽いのが良いってか』
使用人として扱われるきっかけがあるとすれば、4歳の頃、輝く金の髪をもつ妹が生まれたこと。両親は「姉だから」「妹のために」を口癖に、妹のために尽くすよう求めてきた。そのうち侍女役も担うことになって、読み書きや最低限のマナーも妹と一緒に家庭教師に教わった。
とはいえ講師料は一人分なので側に侍って見て聞いて学ぶのがせいぜいだったけれど、妹はいまいち身が入らない様子で、家庭教師を怒らせて鞭打たれてばかり。最後は「代わりに受けてよ。お姉様なんだから」と言って、本人は部屋の隅で娯楽本を読み耽っていた。その本を借りたり返却したりも私の仕事で、時折「コレじゃない」「アレがよかった」などと言われて1日に何往復もしたことがある。妹の好みは、男性が1人の女性を巡って争う物語だった。
『くれぐれも不興を買わぬように。嫁いだ身なればここはもうお前の家ではない。二度と足を踏み入れぬように』
支度金の名目で渡された私の売価は、妹の着るデビュタント用の純白の中古ドレスが買えるくらいはあったようだ。手直しの為の採寸が終わった後で、もう用済みになったのだろう、相手方の要望と言って早めに嫁ぐことになった。
『お相手は、貴族の血を持つ若い女であれば誰でも良いと言う。美貌も金の髪も持たぬお前にはこれ以上ない良縁と思え』
持参金も嫁入り道具も持たされず、それなりの普段着に僅かな着替えだけを持って嫁ぐ女がどう扱われるか。口さがない使用人に紛れて下世話な噂話の中で育ち、すっかり耳年増になった私にはだいたいの想像がついた。
だから、逃げた。
道中で馬車が故障し、御者が暴れる馬を宥めようと四苦八苦する隙をついて逃げ出した。
女の一人旅は目立つ。道なりに進んではすぐに見つかり捕まってしまうから、馬車の入り込めない、木々の多い、森の奥へ奥へ。慣れない硬い靴のままで分け入り、根に足を取られて転び、草に滑ってそのまま崖下に落ちかけ。息も絶え絶えに死を意識した頃。
「大丈夫?声が聞こえるなら返事か、難しいなら指を曲げてみて」
馬上からひらりと降りた姿に、天使が迎えに来たのだと、思った。それくらい、創りものみたいに、夢みたいに、美しかった。
「馬には乗れる?乗れないか。わかった、ちょっとの間ね、馬の背中に跨って、わたしに凭れて掴まっていてね」
天使は木の蔦をナイフで切って溢れる滴を集めて飲ませてくれ、ナッツやドライフルーツがたっぷり入った焼き菓子をわけてくれ。そうして住処と家族とを与えてくれた。
美しい天使にはこの世のものとは思えないほど美しい父と母とが居て、全く似ていない平凡な顔立ちの小さな子供が2人、ぼろぼろの服を着ていた。ああ、ここでも結局は美しいものが優遇されるのか、と思ったら違った。部屋には2人の背丈にあった真新しい服も洗ってある清潔な服も幾つもあって、双子の男女は単に「お姉さん手作りの」服を好んでぼろぼろになっても着ていただけだった。
「ダクスはすごいね」
姉は、よく人を褒める。
「無理はしないでね。もしも怪我をしちゃったら、悲しいな」
同じくらい、優しく諭して叱ってもくれる。
姉に教わった全ては、鞭で手の甲を叩いて無理矢理に覚え込ませようとする家庭教師よりも、ずっと頭と心と体に残って。だから、思う。
「姉さんに、お願いがあるの」
「わたしで出来ることなら」
優しくて美しい姉に、貴族社会は、王都は、相応しくない。だから、願う。
「次に王都に行くことがあったら、私も連れて行って欲しいの」




