フルン26歳、春。~真実の愛~
「おい、あれ」
「もしや連れの女性が例の?」
「あいつの真実の愛とやらか…。実在したとはな」
雪が溶けて往来や人流の増える春。王都では、とある噂が密やかに飛び交っていた。
――フルン・スュトラッチが『真実の愛』に目覚めた――
見る度に違う女性を側に置く生粋の色好みが、近頃はとある貴婦人にいたくご執心という。
初めは彼に言い寄る女性の流した讒言かと思われたが、フルンがどうも同一人物らしき女性と連れ立ってあちこち出掛け、更にはその女性を熱心に口説く姿も同じくらい多くの人々に目撃されている。
「いまの相手は随分と具合が良いようだな」
あまりの変わりように下卑た物言いで嘲弄する者もあったが、己の品性と評判を大いに貶めるだけだった。何故なら、相手を問われたフルンはこう言ったのだ。
「敢えて言葉にするならば、そう。真実の愛、かな」
普通の男ならば気障な言葉も、神像の如き麗しいフルンならば様になる。そしてその顔に浮かぶ艶かしくも美しい笑みは、異性どころか同性の心もそそり惑わす姿は、以前から彼をよく知る者たちから見ても見知らぬ男のようで。
愛を知らぬ男に宿った、真実の愛。それは小鳥たちの囀りによって広く広く、たちまちのうちに王都を駆け巡った。
*****
「カザンさんも御当主に就任ですか」
「未だ承認はされていませんし、承認後も正式な継承は夏至祭になりますが」
マドレーヌは放課後にフルンの教師室に呼び出され、行ってみるとそこにはカザンディビの姿。スュトラッチ家の3人が学院内で揃うのは、あの医務室以来だ。もっとも、あの時は血縁者とは知らなかったけれど。
カザンディビはコメルシー村から帰ってすぐに父親の名で「後継もよく育ったので以降は医師の仕事に専念したい」旨の陳情書を提出していた。以前から領地に下がって療養していたデライト前侯爵とは異なり、スュトラッチ伯爵は現在も王族のお抱え医師として働いているために承認が遅れているが、宮廷医師を辞めるのでなく、医師の職務に専念できる環境を整えたい、という要望ならば通らないはずがない。
「これからは各地の薬園の管理も兄さんの仕事になるのか。忙しくなるね」
「来るべき時が来た。それだけだ」
当主と当主代理では揮える権限が大きく異なる。市井の者達が噂するように庶子を養嗣子に迎えるにしても、父親が当主のままならいずれ顔合わせをしない訳にはいかない。薬物中毒にした父親は今や息子の顔も認識できないけれど、叔父を奪った者たちにマドレーヌを見せたくなかった。
「そこで夏至祭にスュトラッチ家で行う代替わりパーティにはレディ・マドレーヌにも是非ご参加を」
「え。無理です」
代替わりと共に正式に縁者としてマドレーヌのお披露目を目論んでいたカザンディビは珍しく食い気味に断る従妹に目を丸くする。また、兄の思惑を正しく察知したフルンはこれ幸いに、余計な言質を取られないよう立ち回る。
「あの、、、わたし実は人酔いが酷くて。たくさん人が居るところは苦手なんです…」
「ああ、それで決起会の時は隅っこばかりに居たんだ」
「はい…、せっかくのお誘いなんですが、本当にすみません」
「こればかりは生まれ持っての体質だから、仕方ないよ」
晴れの日に参加者がぶっ倒れたとあっては、しかもそれが縁者ときては、申し訳ないでは済まされない一大事だ。
叱られた犬みたいにしゅんとするマドレーヌに、カザンディビもこれ以上、強くは言い出せなかった。
***
「マドレーヌ。これ、あげるね」
しばらく後、フルンはコメルシー家に帰宅するなり届いたばかりのヴェールをマドレーヌの頭にふんわり被せた。光沢のあるベージュに金糸で豪華な薔薇を刺繍し、優雅なレース編みで縁取られたそれは思った通り、マドレーヌの顔も髪色もすっかり覆い隠してくれる。
「??、ありがとうございます」
「これで視覚を狭めれば人酔いも和らぐんじゃないかな?来年のデビュタントは盛大だもの。特に王子が生まれた直後の世代は人が多いからね」
高位貴族に相応しい綺麗なドレスも煌びやかなパーティも興味がないのは解ったが、不用意に他の人間の目に触れないのはそれはそれで嬉しいけれど、とはいえ貴族の義務として逃げられない問題がある。一人前になった証明として、成人の証明として、公の場に晒される一大行事が直ぐそこに迫っている。
「あー!もう来年ですかデビュタント!すっかり忘れてました!!どうしよう病欠って可能ですか?!」
「普通は楽しみにするんだけれど。そうだね、今から少しずつ人混みに慣れていこうか」
***
それ以来、フルンは訓練と称してヴェールを深く被ったマドレーヌをスュトラッチ家の馬車に乗せて、王都のあちこちに連れ回している。といっても、博物館や展覧会などの、大声を張り上げたり木々がそよめくように他人を嘲笑したりする人間の居ない、健全な場所だけで。
今日のデート会場は王立植物園。国の植物研究機関でもあり異国の珍しい草木も植栽されているから、きっとお気に召すはずだ。
「こんな頻繁に付き合っていただいていいんですか?フルンお兄ちゃんも忙しいのに…」
「兄さんはまだ妻帯していないでしょう?これで代替わりすると血統上ぼくが次代になるから山ほど釣り書きが来ちゃうの。できればまだ身軽で居たいから、信憑性のある噂が流れていた方が助かるんだ」
「なるほど、わたしとケルノンさんの噂みたいなものですね!わかりました。不束者ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ宜しくね」
虫除けが欲しいのは事実だけれど、それよりもマドレーヌを堂々とデートに誘い、同じ時を重ねられる幸福な気持ちの方が強い。しかも可愛い恋人の姿を他の男に晒さずに済む。
「ねぇケルノンさん、これで大丈夫?」
「あぁ、お嬢様。もっと深く被りませんとお顔が見えてしまいます」
ただし、総てがうまくいく訳でもない。
万が一の備えにコメルシー家からは従者が付けられた。よりによって例の噂の相手になったケルノンだ。本当に仲が良いらしく、隣に座って身を預けてヴェールの位置も直して貰っている。見つめ合う距離が近い。
「ごめんね、せっかく綺麗な髪なのに」
「いいえ。お嬢様をお守りするためでしたら私の髪など」
デートを後ろから見守るために、ケルノンの青い髪は目立たないよう染め粉で茶髪にしてある。
「ねえマドレーヌ?」
「はい?」
「きみは、ぼくの恋人だよね?」
「そう、いう、設定ですね」
じりじり迫る笑顔の圧力に、マドレーヌは顔を引き攣らせながら答える。そうだ。設定だ。
「恋人がさ?目の前でほかの男とイチャついてるの、どうかと思わない?帰りはこっちに座りなよ」
「申し訳ありませんフルン様。お嬢様はそのようにはしたない真似はなさりませんので」
ポンポンと自身の隣を軽く叩くフルンにケルノンの冷たい声が刺さる。見せつけるようにマドレーヌの手を握りながら。
「手繋ぎは従者の職域ではないんじゃない?」
「お嬢様が不安をお感じでしたので僭越ながらお慰めしているだけです」
しれっと答えて流れるようにマドレーヌの肩を抱き寄せた。この従者、大人しそうに見えて中々にいい性格をしている。
そうこうしていうちに人の声や足音で賑やかになり、馬車が止まる。デートの定番スポット、王立植物園だ。
「じゃあ行こうか、マドレーヌ。ぼくの真実の愛」




