3話 胡蝶の夢
胡蝶の夢。
今の僕の理想の夢かもしれない。
僕はある日夢のなかで蝶になった。
ヒラヒラと浮かび、蜜を吸い、いつまでも心行くまで愉しく浮かび回り、遊び回った。
その時の僕は、夢の中で自分が「僕」である事すらすっかり忘れて楽しんでいた。
不意に目が覚めた。
「僕」は相変わらず人間の「僕」だった。
「僕」は思う。
今の不自由な僕は、これが現実なのだろうか?
或いは胡蝶の「僕」が本物で、今の僕は胡蝶の僕が見ている夢なのだろうか?
もしそうであれば最高だ。
荘子もそう思ったのだろうか。
兎も角、これが夢であれ現実であれ、確実な事は恐る恐るベッドから踏み出した足が地面に付いてしまった事。
いや、その感覚が瞬時に脳内に伝わってしまい、小指の先にまで伝播してしまった事だろう。
階段を降り、リビングに向かう。
テーブルの上には、マヨネーズと塩コショウが不規則に振りかけられ、乳房の様に鎮座した2個の卵を見上げたまま若干焦げたベーコンエッグとトースト、申し訳ばかりの野菜サラダが一皿に盛り付けられていた。
キャベツとブロッコリーの薄緑.濃緑組の影に、赤組のプチトマトが所在なさげに佇んでいる。
右手奥に見えますのは、ケトルの中に数時間前に沸かされ、今は冷えきっておりますインスタント珈琲でございます。
いくらインスタントとは言っても、ケトルにぶち込んでそのままコーヒー沸かすかね、普通。
とりあえずケトルのスイッチを入れ、皿からサラダを取り出し、トーストをオーブンで2度焼きしながらベーコンエッグをレンジに放り込む。
ざっと3分。
掻き込むのにもう5分。
時計に目を移すと、長針は12。短針は10を指差していた。
アルバイトの時間まで丁度一時間。
1月も半ばを過ぎ、進学が決まっている僕は自宅学習のこの時間は、ひたすらバイトに費やしている。
身支度を整え、僕は家を出る。
昼時も相まって、バイト先の飲食店でのアルバイトは中々忙しい。
自宅に近い、夜は賄いが出る、そこそこの時給。
まあ、悪くないバイト先ではある。
仕事は皿洗い。
下がってきた食器を軽く流し、目に見える汚れは落とした後に洗浄機に流し込む。
ピピピと無機質な機械音が鳴ると、食器を洗浄機から取り出し、拭き上げた食器を所定の場所へ収納する。
仕事内容は至って単調。
食器を割りさえしなければOK。
今日は土曜日。
ランチタイムのピークは、話す間もなく、ひたすら同じ作業を繰り返す。
くる日もくる日も皿、洗いながら待つは
月末の僅かなギャラ
なんて素敵な韻を踏んで歌ってたヒップホップグループがあったな、といつも思いながら脳内で歌う。
ふと換気扇の下にある窓を見上げると、四角い空には真昼に浮かぶ月が僕を見つめていた。
同時に沢山の汚れた皿もジッ・・・と僕を見つめる。
様な気がして、視線を戻す。
不意にトントン、という音が飛び込んできた。
軽く視線を上に向けると、そこには窓に蝶が止まっていた。
「胡蝶の夢」
僕は思わず呟いてしまった。




