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彼女を一目見た時、なんて目を引く美人なんだろうと思った。
ストレートロングの黒髪、二重幅の広い大きな瞳、長いまつ毛、通った鼻筋、控えめで薄い唇。好みの問題を除いて、この人を美しくないと言う人はほとんどいないだろう。まるで人形のようだった。
ただ、彼女がその美しさに負けないくらいの負のオーラを放っていたのが気になった。
目に光は宿っておらず、人生に絶望している表情をしていた。
梅雨が始まる頃、いつものように行きつけの美容室で髪の毛を切ってもらった。私は天然パーマで、個人的には自分の髪質を気に入っているが、この時期はさすがにボリュームが増しすぎて煩わしいので、耳の下にかかるくらいの長さにするのを恒例にしていた。
散髪後、スッキリした気持ちでマンションに帰ると、ちょうど引越しのトラックが立ち去るところだった。"誰か引っ越してきたんだなー"とぼんやり思いながら、エレベーターのボタンを押した。エレベーターは私の住む7階で止まっており、ゆっくりと1階まで降りてきた。扉が開いた瞬間、その中にとんでもない美人が立っていて、驚いた。今までキレイな人を見たことはもちろんあるが、少なくとも私が人生で見た中では1番顔の造形が美しい人だと思った。じろじろ見てはいけないとは思ったが、突然そんな人キレイな人が自分の前に現れたものだから、驚いて見つめてしまった。彼女は私の視線に気がついたのか、軽く会釈をし、私も慌てて会釈をし返すと、彼女は私の脇をすり抜けて、外に出ていった。
夜になると、空き家だった私の部屋の隣に明かりが灯るようになり、あの美人さんが隣人になったことを知った。
その後しばらく彼女に会うことはなかった。会った時は衝撃だったが、そのあとあまりにも見かけないと、本当にそんな人がいたのかなという気持ちにもなる。
しかし、一週間後、私は最寄駅の近くで彼女を見かけた。
「お姉さん、すごいキレイだなって思って声かけちゃいました。時間あります?このあとご飯行きません?ダメだったら連絡先だけでも。」
彼女はサラリーマン風の男に声をかけられていた。
最寄駅は駅ビルなどのない小さな駅であり、駅前にスーパーとドトールが1軒ずつあるだけである。人通りも多くはないが、そんなところでもナンパされるとは、美人は大変だなと思った。
話しかけられてる彼女が
「いや、あの…」
と言いながら、明らかに困っているのを見て、私は声を掛けた。
「みゆきさん!お待たせしました!遅くなってすみません!電車の乗り換えが、接続時間的にギリギリ間に合いそうだったんですけど、いつも乗ってるエスカレーターが点検中で、階段猛ダッシュしたんです!でも目の前で電車の扉が閉まっちゃって、次の電車に乗る羽目になっちゃいましたよ〜いや〜焦った〜。」
彼女とナンパ男は大きな声で話しかけてきた私に驚いていた。
「あれ?あなた、みゆきさんの知り合いですか?」
すっとぼけたように私が満面の笑顔で話しかけると、ナンパ男はもごもご言いながら、立ち去っていった。
「あ、あの、人違いじゃ...」
小さな声でそう言う彼女の耳元に顔を寄せて小声で話した。
「すみません、急に。ナンパでお困りかなと思いまして、私、あなたと同じマンションに住んでる者です。前に一度エレベーター前でご挨拶したことが。とりあえず、このまま、一緒にマンションに帰りませんか?あの人が、まだ諦めていない可能性もあるので。」
男の姿は今は見えないが、駅前のスーパーに入っていったので、まだこちらの様子を窺っている可能性はある。
「そうだったんですね...。ありがとうございました。正直とても助かりました。よろしくお願いします。」
彼女と私は歩き始めた。
157cmの私からみると10cm近く見上げる形になるので、少なくとも165cmはあるように見える。そして、横顔も美しい。マネキンのようだった。ただ、相変わらず、ずっと、悲しげな表情をしていた。
「私は701号室に住んでる桜木です。よろしくお願いします。」
彼女はこちらを見た。
「702号室に引っ越してきた、田辺です。よろしくお願いします。」
そこで会話は終わった。彼女はずっと俯いたままだった。なぜ彼女はこんな表情をしているのだろう。私は彼女のことが気になった。
「黒猫と、白猫、ブチならどれが好きですか?」
突然の質問に彼女は明らかに戸惑っていた。
「...猫ですか?」
「はい。猫です。お嫌いですか?」
「...可愛いと思います。」
「じゃあ、黒猫と白猫、ブチならがどれがお好みですか?」
「...えーと…黒猫ですかね...。」
彼女は少し悩んで答えた。
「そうですか。じゃあ、このあと急ぎの用事あります?」
「...特にはないです。」
「じゃあ、私の用事に付き合ってもらえません?」
「...はぁ。」
マンションから徒歩10分の公園にやってきた。緑豊かで、遊歩道も整備されている大きな公園であり、地元市民の憩いの場になっている。
私はいつもの場所を目指した。植え込みの間隔が空いた一画に、ヤツらはいた。私は田辺さんを見て言った。
「あー、残念ながら今日は黒猫いないですね。でも人慣れしてるんで可愛いですよ。」
バッグに入っていたキャットフードと餌皿を取り出して、餌の準備をする。用意ができると、白猫とブチはゆっくりと餌皿の前にやってきて食べ始める。
「…野良猫ですか?」
ずっと黙っていた田辺さんが、私に質問してきた。
「地域猫なんです。私、ボランティアで地域猫サポーターをやっていまして。週に3回朝ご飯と夜ご飯をあげてます。この公園によくいるのは黒猫が2匹と白猫2匹、ブチが1匹なんですけど、近くにも公園があるので、そっちに行っていることも多くて。どの子が来るかは運次第ですね。」
しばらくすると、2匹の猫は餌を完食して、満足したらしくその場に伏せた。私はブチの方を撫で始めた。
「こんな風に、人慣れしてるんで、お腹がいっぱいで満足しているときは、基本的に撫でても大丈夫なことが多いです。撫でてみます?」
田辺さんは、迷っているようだったが、恐る恐る白猫に手を伸ばし始めた。白猫は手を近づける森野さんをちらっと見た後、まるで"お前は撫でてよし"と許可したように、目を閉じて伏せたままでいた。
「…本当だ。噛まない。」
田辺さんは優しく白猫を撫でていた。美人と猫はよく似合う。
「可愛い。」
田辺さんは控えめに笑った。初めて見た田辺さんの笑顔は、それはとんでもない破壊力だった。"あんたもね。"と心の中で私は言っていた。
「…あの、色々と、ありがとうございました。」
猫たちに問題がないか一通りチェックした後、私たちはマンションに向かって歩いていた。
「いえいえ、楽しんでもらえたなら良かったです。」
田辺さんの表情は相変わらず暗いが、さっきよりはマシになった気がした。
「...ボランティアって立派ですね。」
話を振ってくれたことを少し嬉しく思いつつ、私はカッコつけないで白状した。
「結構、よこしまな理由で始めましたけどね。猫好きなんですけど、仕事で家を空けるし、元々実家で猫飼ってたんですけど、やっぱり猫を最後まで看取るのは大変なので、そこまでの責任を負わずに可愛がりたいからやってる感じです。田辺さんは好きな動物いますか?」
田辺さんは少し考えて
「...ペンギンですかね。あっ、すみませんペットでっていう話ですか?」
少し焦ったように聞いてきた。
「いえいえ、動物全般って意味で聞いてました。ペンギン可愛いですよね。」
「良かったです。昔からペンギンの歩いてる姿が可愛くて好きなんです。」
他愛もない雑談をしながら歩いていると、マンションに着いた。エレベーターに乗り、お互いの家の前に着くと、田辺さんは
「今日はありがとうございました。引っ越しの時ご挨拶もしてなくてすみません。どうぞよろしくお願いします。」
と言ってお辞儀をしてきた。
「いえいえ、女性の一人暮らしだと、引っ越しの挨拶もリスクになったりしますし、気にしないでください。ではまた、おやすみなさい。」
そう言うと田辺さんは少し笑って
「おやすみなさい。」
と言い、部屋に入っていった。




