作者あとがき
お読みいただきありがとうございました。
本作は和気広虫(730〜799)と和気清麻呂(733〜799)を主人公とした歴史小説です。以下、主要な歴史的事実とフィクションの区別について記します。
【史実に基づく部分】
和気広虫が里親制度・施設養護の先駆けとなる孤児養育を行い、藤原仲麻呂の乱(764年)後に375人の死刑囚の助命を嘆願したという人物です。
道鏡事件(769年)において、広虫が宇佐八幡への勅使に任じられながら病弱のため弟・清麻呂が代わりに派遣されたこと、清麻呂が「道鏡を除くべし」という神託を持ち帰ったこと、その結果として姉弟が流罪となり、清麻呂が「別部穢麻呂」、広虫が「別部広虫売」と改名させられたことも史実です。
称徳天皇が770年に崩御し、道鏡が下野国の薬師寺に左遷された後に二人が都に召還されたことも記録に基づきます。
【和気広虫について】
和気広虫は奈良時代後期の女官・尼で、孤児の養育や施療活動で知られます。葛城刀自との婚姻を伝える系譜資料は存在しますが、正史である『続日本紀』には明確な記述がなく、後世の伝承とされる場合が多いようです。実子についての確実な記録はありませんが、83人の孤児を養育したという記録は広く知られています。
弟・清麻呂とともに平安京への遷都を見届け、奇しくも同じ799年に世を去りました。
【フィクションとして設定した部分】
景教(ネストリウス派キリスト教)については、唐では635年に伝来し、781年に大秦景教流行中国碑が建立されるほど盛んでしたが、日本の奈良朝廷で景教の導入が正式に議題となったという史料は現存しません。遣唐使が景教を見聞きした可能性は否定できませんが(「シルクロードの終点は奈良」という説を唱える研究者もいます)、本作における景教をめぐる宮廷の議論は全くのフィクションです。
作中に登場する「藤原成麻呂」はフィクション上の人物名です。
称徳天皇・清麻呂・広虫の対話の細部、悲田院の描写なども、史実の骨格に想像を肉付けしたものです。
歴史の記録に残らない無数の人々が、それぞれの信仰と慈愛を持ってこの国を作ってきた。その事実を想像することが、歴史小説の醍醐味だと思い記します。




