七.流罪の前夜
朝廷は今回の出来事を記録しないだろうと広虫は思っていた。
実際、その通りになった。「続日本紀」に残る記録は、神護景雲三年のその秋を、疫病の流行と幾つかの人事異動として記している。遣唐使が景教の経典を持ち帰ったこと、それを巡って朝廷内で議論があったという記録は、どこにも残らなかった。ただ、経典と同じく唐の西方よりもたらされたとされるいくつかの宝物が正倉院に納められている。
書き留められたのは翌年の出来事である。
神護景雲四年(七七〇年)の春、道鏡を皇位に就けようとする動きが表面化した。
「道鏡を皇位に即ければ天下太平となる」という神託が宇佐八幡宮の大宰主神よりもたらされたのだ。
広虫は宇佐八幡宮の神託を確認するための勅使に任じられた。しかし体が弱く長旅に耐えられないとして、清麻呂が代わりに派遣されることになったのである。
清麻呂が持ち帰った神託は、「道鏡を除くべし」という内容だった。
称徳天皇と道鏡の怒りは激しく、清麻呂は「別部穢麻呂」と改名させられて大隅国へ流罪となった。広虫も「別部広虫売」と改名させられ、備後国に流されることになったのだ。
流罪が決まった夜、清麻呂が広虫の元を訪れた。
月はなく、雨雲が空を覆い、風が冷たかった。清麻呂は翌朝には都を発つことになっていた。
「清麻呂」
「はい」
「怖いか」
弟は視線を下げ、拳を握りしめる。
「……怖くないとは言えません。しかし」
「しかし?」
「あの日、宮城からの帰り姉上と話したことを思い出します。偽りでないか、と問う。その問いに私は答えられたと思っています。それで十分です」
清々しそうに笑みをこぼす清麻呂を見て、広虫は苦笑いを浮かべた。
「清麻呂。私を巻き込んだな」
「姉上」
「なんだ」
「景教のおり、あれほど憎らしげな眼差しで私たちを睨んでおりました成麻呂様が私の手を握りしめ、『早々に流罪を取り払って都へ戻してやる』と言ったのです。やはりこの世にはたくさんの神がいるようです」
広虫がため息をつくと、清麻呂が腹を抱えて笑いだす。釣られるようにして広虫も笑った。
二人の肩の揺れが収まるころ、広虫は清麻呂の手を取った。去年の秋の夜と同じように、二人は並んで暗い庭を見る。雨に怯えているのか虫の音はない。風だけが冷たく吹き抜ける。
お玉が後ろから小さな燈台を持ってきた。その光が、二人の影を地面に長く伸ばした。
翌朝、清麻呂は都を去った。
広虫もまた備後へ向かうことになったのは、それから数日後のことだった。




