二.光の教え
景教——それがいかなるものか、広虫はそれ以前にも断片的には聞いていた。
唐の都・長安には「大秦寺」と呼ばれる寺院があり、遠く西の果て、ペルシアを超えたさらに向こうの国から来た教えが奉じられているという。「景」とは光が輝くという意味で、暗闇を照らす光明の宗教、というのがその名の由来だと聞いた。正式には「大秦景教」、あるいは「弥施訶教」とも呼ばれる。
遣唐使として唐に渡った者たちは、長安の雑踏の中でその奇妙な寺院を見た者も多かった。十字を形どった意匠が建物の随所に刻まれており、礼拝の作法も経典の言葉も、仏教とも道教とも全く異なっている。それが「西の果ての神の教え」であることは、長安の誰もが知っていた。
清麻呂が手渡した経典は「序聴迷詩所経」と記されていた。漢字に訳された景教の経典の一つで、「宇宙を創り天地を統べる唯一の神」について説かれている。広虫は灯りをそばに引き寄せ、息を整えてから読み始めた。
最初の数行を読んで、広虫は思わず目を見張った。
そこには、病める者を癒し、貧しき者に食を与え、迷える者を導くことを説く言葉が連なっていた。それは彼女が日々悲田院で行っていることそのものだった。「互いに愛し合いなさい」という言葉は、まるで自分の心の内側を言い当てられたようで思わず深い吐息とともに天井を見上げた。胸の奥がじわりと熱かった。
視線を落とし読み進める。
しかし、ある言葉で広虫の指が止まった。
「唯一の神のほかに神はなく、その教えに従わぬ者は救われない」そういう意味の一節だった。
広虫は書物から目を離し、暗くなった庭を見た。悲田院の縁の下で、今夜も見知らぬ誰かが眠っているはずである。仏を信じる者、神道の祠に手を合わせる者、あるいは何も信じない者、そういう人たちが、みな同じ屋根の下で粥を啜り、互いの体温を感じながら夜を越えていく。
唯一の神のほかに神はない。その言葉は、病人や飢えを凌ぐ者たちと共に眠りにつこうとするこの悲田院と相容れぬ姿であるように感じられた。広虫はどこか読み違えた箇所があったのかと自分を疑い、注意深く冒頭から読み直す。
「清麻呂。これをお前は、どこで手に入れた」
「大伴旅人様の遠縁にあたる遣唐録事が持ち帰ったものです。朝廷内でも、一部の重臣方がこの教えに強い関心を示されているとのことで」
「重臣方が?」
清麻呂は縁台の上に膝を立て、声を落とした。
「右大臣・藤原成麻呂様がその中心にいらっしゃいます。このところ、帝のお耳に直接進言されているとの話が漏れ聞こえてまいります」
広虫は経典を膝の上に置いた。
藤原成麻呂——道鏡を憎み、仏教勢力を朝廷から排除しようとしている勢力の一翼を担う人物である。道鏡の権勢に対抗するために、新たな宗教的権威を呼び込もうとしているのか。
道鏡は天平宝字八年(七六四年)の藤原仲麻呂の乱のあと、孝謙上皇が重祚して称徳天皇となって以降、急速に力を持ち始め、今では法王として権力を振るうまでに至った。これを藤原氏を始めとする多くの貴族たちが嫌っているのである。その筆頭が成麻呂といえた。
だが、道鏡を庇護しているのはなによりも帝なのである。二人の密通を噂する者もいたが、悲田院の庇護者である帝に限ってそのようなことはないと信じていた。
「疫病が流行るたびに、民は仏に救いを求めて寺社に押しかける。しかし今年の流行は特に深刻で、民の間に『仏は護ってくれない』という声が広まっている。その隙に景教を……」
「そういうことか」広虫は静かに言った。「信仰のためではなく、政のために」
清麻呂は答えなかった。その沈黙が答えだった。
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