エトヴィンの願い
2022年12月28日に、Kラノベブックスfより書籍化します
ありがとうございます!
エトヴィンはある日、城下町で元上司とばったり出会った。
「お久しぶりです、隊長」
露店で物色していたらしい元上司に声を掛けると、彼はしばらくこちらを見なかったがやがて、はっとしたように振り返った。
「おまえ……エトヴィンか! しばらくぶりだな。おまえが従騎士になって地方で働くようになったのは……一昨年の秋からだったか?」
「ええ。あちらでの仕事が順調に終わったので、最近戻ってきたのですよ。これからは隊長とは別の部署にはなりますが、城で働きます」
「そうか。……元々背が高かったが、まだ伸びたみたいだな。……だが俺はもうおまえの上司じゃないから、隊長じゃなくて名前で呼べばいい」
「かしこまりました、バルタザール様」
エトヴィンがそう呼ぶと、防寒用のマフラーを口元に引き上げたバルタザール・リューガーは微笑んだ。
しばらく見ない間に成長したのはエトヴィンもそうだが、バルタザールもまたエトヴィンの記憶の中にある彼よりもたくましくなっていた。だが髪は短くなっており、マフラーの下から少し毛先が出るくらいだった。
「……ああ、そうだ。おまえ、もう上がりか?」
「ええ、店を冷やかしながら今日の夕食を食べる店を考えようと思っていまして。……何かご用ですか?」
「ああ、おまえさえよければうちに来ないかと思ってな」
バルタザールに誘われて、エトヴィンの胸の奥で――ことん、と小さな音がした。
「……当然、ディートリンデ様もいらっしゃいますよね」
「ああ。それに……おまえはずっと王都を離れていたから、連絡もできなかったんだよな」
「……」
「今年の頭に、子どもが生まれたんだ。リンデにそっくりの可愛い娘だ」
――ことん、とまた胸の奥で何かが鳴る。
だがエトヴィンは笑顔のまま、「おめでとうございます」と言った。我ながらうさんくささの欠片もない、完璧な対応だったと思う。
「それは是非とも、ご挨拶しなければなりませんね。是非とも、今からお伺いさせてください」
「ああ、歓迎するよ」
バルタザールはどうやら、妻と娘のための土産を探して露店を見ていたそうだ。彼が近くに馬車を待たせていたのでそれに同乗させてもらい、エトヴィンはバルタザールの屋敷に向かった。
……この屋敷に来るのは、初めてだ。他の同期たちは「隊長んちに遊びに行ったー!」とよく言っていたが、エトヴィンは行く気になれなかった。
なぜならそこには、ディートリンデがいるから。
エトヴィンが見慣れた仕事中の顔ではなくて、バルタザールの妻の顔をするディートリンデは……見たくなかったから。
だが、エトヴィンも去年の誕生日で二十歳になった。かつて世話になっていた頃のバルタザールと同じ年だ。これくらいになると、自分の中の気持ちも大体コントロールできるようになっていた。
「リンデ、ただいま。とっておきの客がいるぞ!」
「おかえりなさい……あらまあ! あなたひょっとして、エトヴィン!?」
玄関で夫を出迎えたのは、たおやかな婦人。仕事中は高めの位置で団子にしていることが多かった灰色の髪は首筋で結い、房を左肩に流している。バルタザールと違い、ディートリンデは最後に見たときよりも髪が伸びているようだ。
落ち着いた濃い緑色の普段着ドレスを纏うディートリンデを見て、エトヴィンの心の中が少しだけざわついた。だが彼は笑顔でお辞儀をすると、ディートリンデの手を取って挨拶のキスをする。
「ご無沙汰しております。先ほど大通りでバルタザール様にお会いしまして、せっかくなのでお邪魔することにしました」
「あら、そうなのね! まあまあ、こんなに立派になって……もうバルトよりもずっと背が高いわね」
「……憎らしいことにな」
バルタザールは口ではそんなことを言いながらも、楽しそうな顔をしている。教え子がすくすくと成長したのが嬉しいのだと分かり……エトヴィンはなんだか気恥ずかしいような気持ちになった。
バルタザールはエトヴィンを応接間に呼び、ディートリンデは上の階に向かった。そしてメイドが淹れた茶で喉を潤していると、白いものを抱えたディートリンデが降りてきた。
「エトヴィンにも紹介しないとね。二ヶ月前に生まれた、娘のマティルデよ」
そう言ってディートリンデは、バルタザールの隣に座った。白い塊はおくるみだったようで、ふにゃふにゃした何かの姿がちらっとだけ見えた。
――どくん、と心臓が緊張を訴える。
エトヴィンは立ち上がって、ディートリンデの隣に立った。彼女の胸元には、すやすやと眠る赤子が。
髪はまだ薄いが、バルタザールと同じ赤っぽい色合いをしている。焼きたての白パンのようにむちむちとした腕が意味もなく揺れており、顔を近づけるとミルクのような甘い匂いがした。
「可愛いでしょう? ……あら、意外ね。お客様が来たらいつも、泣いてしまうのに」
「それもそうだな。……おまえ以外のやつらにはもう見せているんだが、あいつらが近づくだけで大泣きして……。随分ゆっくり寝ているな」
「そうね。さっきお乳を飲んだからというのもあるだろうけれど、もしかするとエトヴィンのことがもう気に入ったのかもしれないわね」
「俺のことが、ですか?」
思わずエトヴィンが言った瞬間、それまでは固く閉じられていた赤子の目が開いた。母親と同じ青色の目がしっかりと自分を見つめてきたため、エトヴィンは思わず逃げ出したいような顔を背けたいような気持ちになってしまった。
だが赤子はぷにゃあ、のような声を上げると、もちもちの腕を伸ばしてきた。
「おっ、エトヴィンと握手がしたいのか?」
「エトヴィン、指を出してあげてくれない?」
「お、俺は構いませんが……よいのですか? 一応手は拭いていますが……」
「いいんだ。マティルデの方から客と仲よくしたがるなんて、珍しい。握手をしてやってくれ」
バルタザールにも穏やかな声で言われて、エトヴィンは念のためにもう一度ハンカチで手をしっかり拭ってから、おそるおそる右手を差し出した。
赤子はしばらくの間じっとエトヴィンの手を見ていたが、彼が握りやすいように人差し指だけを立てると、それをがしっと握った。
「わっ!?」
「ふふふ。本当に気に入られたみたいね」
「マティルデは見る目があるな。おまえが認めた男は、優しくて頼りがいのある素晴らしい騎士様だぞ」
ディートリンデもバルタザールも楽しそうに言うので、エトヴィンはおずおずと赤子を見つめた。彼女はきゅうきゅうとエトヴィンの指を握り、そしてにぱっと笑った。
「……」
エトヴィンは何も言えず、きゃっきゃと喜ぶ赤子を見つめていた。
それからエトヴィンは年に一度は、バルタザールの屋敷を訪れるようになった。
会うたびにマティルデは成長して、彼女が「おかしゃま」「おとしゃま」「へーべーと」「おじしゃま」「おばしゃま」などの家族や屋敷の人間の次に覚えた名前が「えとびー」だったと聞いたエトヴィンは、喜びで胸を震わせた。
「みて、エトヴィン! おはなのかんむり、できたの!」
赤茶色の髪に青色の目を持つ少女が、くちゃくちゃな仕上がりの花冠を手に駆け寄ってきた。
草地に腰を下ろして読書をしていたエトヴィンは本にしおりを挟み、穏やかな笑顔で少女を迎える。
「わあ、素敵なのができましたね」
「うん! これ、あげるね!」
「えっ、いいのですか?」
「うん! エトヴィンのためにつくったもの!」
少女はそう言うとしゃがんだエトヴィンの頭の上に花冠を乗せて、にっこりと笑った。
エトヴィンもまた、小さなお姫様に微笑みを返す。
「……ありがとうございます、マティルデ様」
尊敬する上司と、一度は恋心を抱いた女性との間に生まれた、可愛らしいお嬢様。
彼女の成長をこれからも見守っていきたい、とエトヴィンは願った。




