32 ある令嬢の噂
「ディートリンデ様。なんかたくさん箱が届きましたよー!」
「受け取ったんですけどどこに置けばいいッスか?」
「きっと注文した消耗品だわ。ありがとう、この辺りに置いておいて」
「了解です!」
資料室にいると、木箱を抱えた見習いたちが入ってきた。箱の蓋に書かれている字を見るとやっぱり、前に注文していた消耗品だった。
授業で使う石版やチョーク、羽根ペンなどの他に、無地のタオルやカーテンなども入っている。やんちゃ揃いのバルトの教え子たちだからか、他の教官騎士のクラスと比べると消耗品の使用量も多いみたいだ。
そんないたずら坊主たちだけど、私がここで働くようになった当初と比べると、かなり落ち着いて礼儀正しくなっていると思う。
バルトは、「近くに若い女性がいるというだけで、身が引き締まるのだろう」と言っていたけれど、彼らが自分で自分を変えようとしている結果なのではないかと私は思っている。
「あ、そうだ。この前借りた本、返しに来ましたー!」
「ええ、それじゃあ貸出簿にチェックを入れて本棚に戻しておいて」
見習いたちは本の貸し出しに関するルールにも慣れてきたようで、決めたとおりに本を返却した。
ちなみにこのルールを作ってから半月ほど経ったけれど、今のところ本の紛失や汚損は発生していない。バルトが言うに、「これまでにはなかった」とのことだ。
……最近ふとしたときに、バルトの顔や声が思い浮かぶようになっている。
たいていは、騎士団で仕事をしているときのきりっとしたバルトの姿だけど、たまに仕事中でも屋敷でのバルトの姿がふわっと出てきてしまい、困ることがある。
『……リンデ、温かいな』
昨夜もそう言って、ベッドの中でバルトが擦り寄ってきた。
最近彼と一緒に寝るようになったけれど、バルトは思いの外甘えん坊で人肌が恋しいようだ。エレルフィアの夏は他国と比べると涼しくて過ごしやすいけれど、バルトはぴったり寄り添ってくる。
そんなに近づきたいの、と朝になってから尋ねると、『リンデの隣がいいし、元々俺はどちらかというと寒がりだ』ときりっと言われた。
夏でこれなら、冬になったらどうなるんだろう。
いざというときには要塞代わりにできるよう、自室に置いている猫抱き枕を持ってきておくべきだろうか。
……ああ、いけない。今は仕事中、仕事中。
「……そーいえば最近、あのお嬢さん見かけないよな」
「え、どれ?」
休憩時間らしく、私の手伝いで備品を数えて記録簿に記入している見習いたちが、お喋りをしている。
まあ、手がちゃんと動いているのならお喋りくらい構わないけれど……と思いつつ私は、古びたシャツを裂いて雑巾を作る作業をしていた。
汚れたシャツは廃棄処分だけど、これ、掃除に使えるのよね。
見習いたちはすぐに床を泥まみれにするだけでなく、食べかすをこぼしたりよく分からない液体をぶちまけたりする。バルトも、「そういう汚れは自分で掃除させる」方針らしいから、雑巾はいくらあっても足りないくらいだ。
「あれだよあれ、隊長にお熱だったちっちゃいお嬢様」
「あー、あれか。一時期突撃がすごかったよなー」
「どっかの子爵家のお嬢さんだよな? 訓練場で隊長ばっかガン見してた」
……ああ、そういえばそんな令嬢もいたっけ。
おそらく今見習いたちが話題にしているのは、私も二回ほど接触したことのある黒髪の令嬢――ジルヴィア・フレーリヒ様だ。
彼女とは一ヶ月半ほど前のパーティーで話をしてから、顔を合わせたことがない。私がいない間に騎士団エリアに突撃しているのかな……と思っていたけれど、見習いたちの話を聞く限り、最近は本当に出没していないみたいだ。
バルトもジルヴィア様に関しては、「俺のことが好きなのは見れば分かる。断っているのだが諦めないし、父親の子爵も頼りにならない」と言っていた。
バルトは交友関係が広くて男女問わず親しくできるけれど、ああやって無遠慮に迫ってきたり外堀から埋めたりしようとする女性は昔から苦手らしい。
おまけに、新婚当初ならともかく、今では「俺が愛するのはリンデだけだ」と豪語するバルトにとっては、横恋慕してくる令嬢は邪魔でしかないだろう。
とはいえ相手は子爵令嬢だし父親は騎士団ともツテがあるらしいから、ばっさりと切り捨てることはできないのが辛いところらしい。
でも、ジルヴィア様が来ないというのはつまり、もうバルトについて諦めたということなのかな。
バルトに関して盲目的に恋している様子だったから、彼女も新しい恋を見つけてくれればいいんだけど。
「あー、いいよなぁ、隊長はモテて」
「黙って立ってるだけできれいなお姉さんたちが寄ってくるもんなぁ」
「おい、馬鹿!」
「あっ……」
見習いたちはどうやら、同じ部屋に私がいることを忘れていたようだ。
針仕事の手を止めてそちらを見ると、石版を並べる途中の姿勢のまま、強張った表情でこちらを見る見習いたちが。
……大丈夫大丈夫。そんな、取って食ったりしないわよ。
「あのね」
「ヒッ!?」
「す、すみません、ディートリンデ様!」
「あの、今のは、そういうのじゃないんです! そうじゃなくて、そう、こういうことは、あの、それはそれなんです!」
指示語が多すぎて、何が言いたいのかよく分からない。
でも、怒るつもりは全くない。
「いいわよ、気にしていないから。バルタザールが皆の人気者なのは分かっているし、皆から慕われる夫を持てているというのは、私としても誇らしいことよ」
「……」
「それに、夫が浮気するような人ではないということは、私が一番よく……分かっているから」
かつては、バルトに早く恋人を見つけてほしいと思っていた。
でも今はそんなこと思わないし……彼なら絶対に浮気をしないと思っている。
バルトを信頼している……というより、普段の彼の仕草や私に対する態度から、そう判断している。
戸惑った様子の見習いたちに微笑みかけ、鋏を手に取る。
……こら、これは糸を切るために取ったのだから、びくびくしないの。
「ただ、私から言えることとしたら……そういうことを聞くと辛くなってしまう人もいるだろうから、発言には気をつけなさい。噂話をするのは悪いことではないけれど、時と場合を考えてね」
「……は、はい」
「分かりました」
「よろしい」
素直な見習いたちに微笑みかけ、糸をぱちん、と切った。




