25 その手を取るために②
「あなた、私のことが……嫌いじゃないの?」
「だ、だから、俺は七年前には仲直りする気だったんだ。その後も男爵の言葉を信じていたから諦めていただけで……その……」
それまではすらすら述べていたバルトは一気に挙動不審になり、その顔もじわじわ赤くなっていった。
普段はつんと澄ましていて、あまり言葉に感情を込めないバルト。
そんな彼が……こんなに顔を真っ赤にして、取り乱して、言葉に詰まっているなんて。
ついには口元を手で覆って俯いてしまった彼を見ていて、不覚にも「可愛い」と言いそうになった。
でもそれを今言えばバルトがこの部屋を飛び出すだろうから、余計なことは言わず――彼の言葉を待つことにした。
――どくどくと、これまでにないほど心臓の音が激しい。
「俺は……ずっと、君が好きだった。本当は、君と結婚できて、すごく嬉しかった。でも、一度ならず二度も君を悲しませたくなくて、これ以上縛り付けたくなくて……嘘をついていた」
切れ切れになりながら、バルトは語る。
「俺は夫として、君を守れる。でも、俺が君に愛される権利はない。……それでもよかった。金貨百枚で君を買ったろくでなし、薄情な夫だと思われてもいい。中年オヤジに取られるくらいなら、俺がもらう。君が思うままに暮らせる環境さえ、提供できればよかった」
「……そんなことを、考えていたの」
思わず、言葉が零れ出た。
私は……何も、知らなかった。
知らなかったし、知ろうともしなかった。
バルトのことだけを悪く言える立場ではない。
「バルト、私も謝らないといけないわ」
「……なぜ、リンデが?」
「私も、意地になっていた。……私の方からきちんとあなたと話をしようとしていれば、ここまでこじれることはなかった。七年前に叔父に騙されたのだということももっと早く分かったし……私こそ、あなたにひどいことを言ってきたわ」
「違う。君はそうせざるを得なかったんだ。……俺のせいで」
こんな状況でも、バルトは優しい。
でも、その優しさに甘えてはいけない。
「和解の機会はいくらでもあったはずなのに、勝手に決めつけて逃げてきたのは私の方よ。それに……あなたが気に懸けてくれていると分かりながら、『どうせバルトは私のことが嫌いだから』というのを理由に、ねじれた解釈をしていた」
バルトがなかなか私と目を合わせてくれなかったのも、やたら恋人のことを推してきたのも――全ては、私のためだった。
彼の中での私の評価は最悪だっただろうに、それでも……私の幸せと自由を最優先させてくれた。
「……あなたが恋人のことを勧めてきたのも、そのためなのね?」
「……いろいろ、考えていたんだ。騎士団で働くよう勧めたのも、騎士団なら身元のはっきりした若い男がたくさんいるからだ。特に、エトヴィンとは仲がよかったようだし……」
「エトヴィンとは何もないわ。……もしかしてこの前、エトヴィンのことを聞いてきたのも……私の恋人になるかもしれないと思っていたから?」
バルトはそれにはうんともううんとも言わなかったけれど、沈黙が肯定を表しているようなものだった。
「……。……私も、同じよね。私も、あなたには早く若い恋人を見つけて、って言ってきたわよね」
「ああ、あれ。自業自得とはいえ、結構……ダメージが大きかったな」
「ご、ごめんなさい。でも、あなたは人気者だし……本命の子を見つけたら、私のことなんていいから仲よくなってくれればよかったの。さっきパーティーで男たちに捕まったときも――」
「それ以上言わなくていい。だいたいのことは、分かった」
バルトは私の言葉を止め、ふう、と息をついた。
「……本当に、自分が情けない。よかれと思ってやったことが、全部裏目に出ていたなんて……」
「私こそ、ごめんなさい。あなたの気も知らず、気に障ることばかり言って……」
「リンデは、謝らないで。……でも俺、分かったよ。思っていることや考えていることは、ちゃんと口にしないといけないんだって」
バルトは姿勢を正すと、「リンデ」とひどく優しい声音で私の名を呼んだ。
――どくん、どくん、と心が緊張を訴える。
「俺は……子どもの頃からずっと、君に振り向いてほしかった。弟分ではなくて、バルタザールという一人の男として見てほしかった」
「バルト……」
「子どもの頃の暴言は、本当に申し訳ない。それに、君の気持ちも考えずに金貨百枚とか恋人とかと言いだしたことも……すまなかった」
バルトは改めて頭を下げ、そして体を起こすと私を真っ直ぐ見てきた。
「だから、間違いの生じないように言わせてくれ。……ディートリンデ。俺はずっと、君のことが好きだ。叶うことなら他の男じゃない、俺の手で君を幸せにしたいと思っていた。大人になったら君と一緒にダンスを踊って、夜まで一緒に過ごして、たくさんの話をしたい。たくましい男になって、君を守れるだけの力と財力を手に入れ――君と結婚したかった」
リンデ、と彼は私の名をそっと唇に載せる。
「愛しています。……本当に今さらだけれど、俺の妻になってくれませんか……?」
「……」
「……まあ、もう結婚しているし、このプロポーズはおかしいと分かっているけれど……」
「バルト」
立ち上がり、バルトのもとに向かう。
彼は緊張しているのか、きゅっと唇を引き結んで私の動きを見守っている。
そんな彼には子どもの頃の面影があり、ついくすっと笑ってしまう。
そしてバルトの隣に腰を下ろし、今では見上げなければならないほど身長差のできた彼の目を見つめた。
「バルト、ありがとう。あなたの言葉……とっても嬉しい」
「んっ!? そ、それじゃあ、リンデ……」
「でもね」
なにやら前のめりになるバルトの唇に、つん、と人差し指を当ててやる。
そして、目を白黒させるバルトの顔を覗き込み、鼻の先を軽く突いた。
「私、ずっとあなたに嫌われていると思っていたわ。あなたのことも諦めて、クリストフ――元婚約者と結婚するしかない、と思っていた」
「……そうだな。それも仕方ないよな」
「でもそうしていたら、あなたに金貨百枚で買われて、結婚した。それからの日々でも、どうしても『バルトに嫌われている』っていう感情が強くて、あなたのことをきちんと見てあげられなかった」
「……」
「だから」
手を下ろし、目を瞬かせるバルトの手をそっと握った。
……十二年前は私が守ってあげなきゃ、と思わせられるような小さな手だったのに、今では私の両手でやっと包めるくらいになった、大きな手。
「私、改めてあなたのことを知っていきたいわ。子どもの頃とは違う、大人になったあなたをきちんと見つめて、一緒にいろいろなことをして……それで、少しずつ今のあなたを好きになっていきたい」
「リンデ……」
「それでも、いいかしら?」
バルトは真っ直ぐな愛情を告白してくれたけれど、私は……「私も好きです」と言えるほど、バルトのことを理解しているわけではない。
でも、彼のことをもっと知りたい。
一緒に暮らして、仕事をして、バルトのいろいろな部分をきちんと見つめて受け入れていきたい、と思っている。
最初は緊張の表情だったバルトだけど、じわじわとその顔が喜色に染まっていく。
そして彼は私の手をがっと握り、勢いよくそれに頬ずりしてきた。
「もちろんだ! ああ……まさか、リンデにこんなことを言ってもらえるなんて、信じられない……夢みたいだ……」
「……返事を待たせることになって、申し訳ないけれど」
「そんなことない!」
バルトはさっと顔を上げると今度は私の手を口元に運び、そっと手の甲にキスを落とした。
「俺、待つのは得意な方なんだ。リンデのことだったらいっそう、張り切って待っていられるし……少しずつリンデに俺のことを好きになってもらえるのなら、これ以上ない幸せだ」
「ふふ……ありがとう、バルト」
バルトと顔を見合わせて、微笑みあう。
「これからは、きちんと話をしよう。一緒に過ごす時間を増やして、君との思い出をたくさん作りたい」
「私も、あなただけを見ているわ。だから……恋人は、作らないでね」
「当たり前だ!」
バルトははっきりと言い、そっと私の肩を抱き寄せてくれた。
『リンデ』
記憶の彼方で、八歳のバルトが手を伸ばしている。
私は……きちんと、彼の手を取ることができたみたいだ。




