母の顔
「ごめんね、クラーク……。ごめんね……」
――母ちゃん……。大丈夫。大丈夫だから……
「――ラーク。クラーク」
「……ん」
目を開けると、心配そうに自分を覗き込むランスが目に入る。
「大丈夫か? 随分うなされてたから」
クラークは重りが乗っているような気だるさを感じながら、ゆっくりと身体を起こす。目尻に溜まった物に気付き、慌てて袖で拭き取る。
心配そうに様子を伺っているランスに気づき、クラークは笑ってみせた。
「大丈夫っすよ。なんか、心配かけてすいませんす!」
「……そっか。なら、いいんだ」
元気そうに笑うクラークに、ランスは微笑み返した。
「あ、いけね! オイラ、ヨダさんにちょっと用があったんだ!」
クラークはベッドから飛び起きると、バタバタと服を着替え始め、慌しく部屋を出ていった。
「朝食の時間には遅れるなよー!」
「わかってるっす!」
走りながら返事をするクラークを見て、ランスは目を細めた。
「……相変わらずだなぁ」
口を突いて出た言葉に、顔をしかめ、ランスは身支度を始めた。
* * *
慌てて部屋を出てきたクラークは、廊下を曲がって直ぐに立ち止まる。
「はぁー、勢い余って出てきちゃったっす」
ヨダには用があるが、頼んでいた品が今朝早くから届いているわけもなく、クラークは深く息を吐いた。
「ランスさん……。絶対気づいてるっすね……」
ウェーダーにいた頃を思い出し、ランスの顔を見て、気まずさから考えもなしに身一つで出てきてしまった。
休暇が明けてから十日は経つというのに、ひたすら謝りながら自分の首を絞める母の姿が夢に出て来る。幼き頃の記憶から呼び起こされるその夢に、クラークは自分の喉元をさする。
今朝は当番も無い為、朝早くからすることが無く、手持ち無沙汰になっていた。
そんな時、なんとなく行き着くのは、医務室だった。彼自身が衛生兵だからか、やる事がないと自然と引き寄せられる場所ではあった。
クラークは存外、医務室という場所が嫌いではない。気の合う仲間と茶を飲みながら話したり、学びを深める時間がいちばんの楽しみであったからだ。
今日の宿直は誰だったかと思いながら、医務室の戸を開けると、聞き慣れた声がクラークの名前を呼んだ。
「あれ? こんな朝早くにどうしたの?」
「なんじゃ、眠れんのけ? まぁ、よか。丁度ええとこさ来た」
「コナー……と、ラウリ?」
不思議そうにラウリを見ていると、ラウリは首をかしげる。
「ん? なんじゃ? アテの顔さ、何かついとるけ?」
「あ、いや、そんなんじゃねーっす! コナーはわかるけど、何でラウリが居んのかなって……」
「なんじゃ、アテがおったらいげねか?」
「いや、そういうわけじゃねーっすけど……」
相変わらず小首を傾げるクラークに、ラウリはいつもの調子で答える。
「ちと、早ぐに起きちまったが。今日の宿直さ、コナーだって知っちょったから茶を飲むついでに、絵を描きさ来たで」
ラウリはスケッチブックをヒラヒラと見せびらかしてみせる。
「あー、そういう事っすか」
「ついさっき、お茶を飲みに来たって急に来るから、僕もびっくりしちゃったよ。でも、クラークが来てくれたから、丁度良かったね」
「んだ」
二人は顔を見合わせて頷いた。
「え? なんすか?」
「お茶、僕が淹れるのでいいの? って話をしてたから」
「コナーさ曰く、クラークの方がうまかって聞いちょって。そりゃ飲んでみたかねって言っちょった所だでな」
ラウリの説明に合点がいき、クラークは手を叩いた。
「ああ、だから丁度いいって言ってたんすね! そういう事なら、ちょっと待つっす」
「あ、お湯さっき沸かしたばかりだから、良かったら使って!」
「わかったっす!」
クラークは医務室の食器棚からカップとポットを出し、お湯を入れ始める。
「ん? 茶葉は後から入れるがか?」
「違うっすよ。これはだだの下準備っす。こうした方が味も香りも良いんすよ」
「「へぇ〜」」
喋りながらもクラークはテキパキと準備を進める。食器棚の端に置いてあるクラーク専用と書かれた箱から、数種類の茶葉を取り出す。
ティーポットが温まったのを確認して、お湯を捨て適当に茶葉を入れる。そこにまた熱湯を注ぎ始める。熱湯を注ぐと同時に、ポットの中で茶葉が浮き沈みし始める。
最後に蓋をして、クラークは一息つく。
「あと、三分くらいでできるっすからねー」
「意外と時間さかかるが」
「抽出しなきゃだもんね」
「ラウリ、暇ならこれ見てるっすよ!」
クラークは、つまらなそうに頬杖をつくラウリを手招きして呼び寄せる。
ラウリは言われるがままに、不服そうにポットに顔を近づけると、眼前に広がる光景に目を丸くした。
「あらか!!」
熱湯が注がれ、ポットの中で茶葉が浮き沈みしているその様子が、ラウリには愉快に舞い踊っているかのように見えた。
「コナー! 見てみれ! まだ茶葉が踊っちょるが! 面白かね!」
「本当だ!」
三分間踊り続ける茶葉の様子を、二人は興味津々で見ていた。
クラークは予め温めておいたティーカップに、茶漉しを用いて三人分注ぎ始める。最後の一滴まで注ぎきり、満足そうにそれをテーブルに並べる。
「はい! できたっすよ! クラークのスペシャルブレンドっす!」
美味しそうな茶の香りが医務室いっぱいに漂う。
「ん。ええ香りじゃ」
「本当だね!」
「味わって飲むっすよー」
「「はーい」」
いただきますと、三人はお茶を口に含む。
「おお! うまか! コナーのもええけど、コレは全然違うっけ!」
「ね! クラークのお茶おいしいでしょ!」
興奮気味に語るラウリに、コナーはどこか誇らしそうに答える。
「最近はクラークのお茶目当てで来る人もいるよね」
コナーの言葉に、ラウリは茶の好きな人物を思い浮かべる。
「ペトロフ准尉け?」
「まぁ、あの人はオイラがお茶の事を学ぶきっかけになった人っすし、度々味見を頼んでるっすからねー」
「あとは、ティムさんもよく顔を出すよね?」
意外な人物の名に、ラウリは首を傾げた。
「あん分限者? あんの石頭が、医務室さ出入りしてっとこ、あんま見っことなかが」
「オイラが当番のー……大体、お昼頃っすかね? 医務室の出入り口付近でソワソワしてるっすよ」
「最初見た時は何だろうってなったよね。ふふふ」
「そだなことしとったんか、完全に不審者だで」
ラウリは呆れながら茶を啜った。
「普通に入ってくればいいっすよって言ってるんすけど。でもあの人、美味そうにお茶飲むんすよ。ちょっと上から目線が鼻に付くっすけど」
「大体想像付くでな」
「でも、ティムさんは本当にお茶の味がわかる人だと思うから、そんな人達がわざわざ飲みに来るくらいだし、僕には真似できないなぁ……」
クラークの茶を飲みながら寛ぐコナーに、ラウリはくつくつと笑った。
「茶に関しては、コナーももうちっと気張らないけんね」
「はは。その通りです」
「何言ってんすか! コナーはなんでもできるから勉強しなくてもいいんすよ! オイラなんてお茶出ししか出来ねぇーんすから」
コナーとの差に、クラークは大きく溜息を吐いた。
「そ、そんな事ないよ! 僕も勉強してるけど、お茶とか漢方とか、そっちの知識はクラークの方がよく知ってるよ? マッサージとかも上手だし。そもそも、僕は年上だし……」
「まぁ、整体の方は最近興味出て来たっすけど、お茶とか漢方に関しては、必要だから覚えてるっていうか……」
クラークはどことなく物憂げに視線をそらす。
「クラークも、コナーに負けず劣らずの勉強家だでな」
「コナーみたいに勉強したら、オイラなら身体壊しちまうっすよ」
「ま、コナー本人が身体さ壊してっからな。勉強も仕事も程々にしとかないけんね」
先の一件から釘を刺されているコナーは、図星を突かれて思わず声が漏れる。
「そうっすよ! コナーは自分の身体をもっと大事にするっすよ!」
「自分の事さ顧みんとこ、隊長達にそっくりだで」
「うんうん! 次は体調が悪くなったらもっと素直に言うっすよ!」
二人の気遣いに、コナーはどれだけ周りが見えなくなっていたのかを実感した。
「全くその通りです……。ごめんなさい」
「わかれば良いっす!」
「んだ」
「二人ともありがとうね」
自然に笑うコナーを見て、ラウリは微笑んだ。
「ん。綺麗なグリーンじゃ」
「え?」
「なんもなか。もうコナーは心配なかね」
ラウリは大きく頷くと、コナーからクラークへと視線を移した。
「で?」
「え?」
「ウヌは何か話したい事なかね?」
ラウリはクラークをじっと見つめる。
クラークは前髪の下に隠れたままでも感じる視線に、肩をすくめた。
「な、何でそう思ったんすか?」
「ウヌも休暇あけてから、浮かない顔すっ事多いでな」
クラークは少し困ったような顔をした。
ラウリとはこの部隊に配属され、同い年同士として一緒に行動する事が多かったが、彼の鋭さには多くの者が舌を巻いている。悪く言えば無遠慮ではあるが、自然と人を気にかけて声をかけられる彼を、クラークは自分よりもずっと大人だと感じていた。そのある種の無遠慮さは、ラウリ自身が物怖じしない性格だからかもしれない。
沈黙が続くクラークを見て、コナーは少し焦った顔をしていた。
「クラーク、話したくないならいいんだよ?」
コナーが優しく声をかけると、クラークは自身の抱えているものを絞り出した。
「……ちょっと聞いてもいいっすかね?」
「なんじゃ?」
「二人は、その……」
「うん」
「家族って……。親子って普通どういうもんだと思うっすか?」
その問いに、二人は顔を見合わせた。
「普通の家族、かぁ……」
クラークの発言に、コナーとラウリは首を傾げた。
「普通の基準がわからんからの……」
「確かに難しいね」
コナーは顎に手を当て、ラウリはこめかみの辺りを指で円を描くように頭を捻っていた。
変なことを聞いたと思っていたクラークは、存外真剣に考えてくれている友人たちを見て、思わず微笑んだ。
「昔から考えてはいたんすけど。ランスさんは、普通親は子供を守るものなんだって言ってて、普通の親子とか、家族ってどうなのかなー、なんて……」
「んー。考えてみっけど、アテにはよう分からんね。親さいねぇべし。正しい親子関係さ言うもんは、覚えてなかよ。じっちゃとばっちゃはおるけど。コナーさ聞いた方がええな。兄弟さ一杯おるけぇ」
「えぇ!? 僕の家族が普通かと言われると……」
コナーはウェーダーでの暮らしを思い出し、目を伏せた。
「僕にも分からないよ……。でも、強いて言うなら、無条件に助け合ったり、守りたいって思えるもの……なんじゃないかな?」
「ほう? コナーはそうじゃったんか?」
「い、いやぁ……僕は……。答えづらいかなぁ……。でも、ショウさんの家族を見てると、温かい気持ちになると言うか、なんだろう。優しい気持ちになる気がする、かな? ソルさんはショウさん達とは血の繋がりはないけど、みんな見えない絆で結ばれていると言うか、なんと言うか……。ショウさんのお母さんは亡くなってるけど、ソルさんも、ショウさんも凄く大事にしてる人っていうのはわかるし……」
「「んー」」
三人は腕を組んで家族、親子に関して考え込む。
「クラークはどうお思っちょるん?」
「え? オイラっすか?」
「悩むくらいじゃ。何かあったんじゃろ?」
「ラ、ラウリ!」
この問いの根底にある悩みに踏み込んでいくラウリに、コナーは周章とした。
「……長くなるけどいいっすか?」
俯くクラークに、二人は大きく頷いた。
「オイラ、母ちゃんに酷いことしたんす」
「ここに戻って来る前の話?」
クラークは小さく頷いた。
それでかと、ラウリは納得したようすで問いかける。
「ウヌが酷いことをするようには思えん。それだけの理由があったんじゃろ?」
黙ってしまうクラークに、コナーが優しく声をかける。
「クラークはお母さんのことが大好きなんだよね?」
「うん」
「そっか。クラークのお母さんてどんな人なの?」
微笑みかけるコナーに、クラークは少しづつ言葉を紡いだ。
「オイラの母ちゃんは元々いいとこの出なんだって言ってたっす。男の人に騙されて、家から追い出されて。そんで母ちゃんは、ウェーダーの片隅でオイラを産んだ。多分、今のランスさんくらいの歳だったんじゃないかな」
コナーは話から、当時、クラークの母は十四、五歳だと推測する。
「ウェーダーと言っても、スラムで、それもオイラがいる状態で生きていくのは難しかったと思うんす。男に捨てられて、酷い仕打ちを一杯受けただろうし。オイラのせいで身動きできずに、身体も壊して、病気がちになって。不安になるといつも……オイラの事、叩いた、けど……。どうやればオイラを守ってやっていけるか、いつも考えてたっす」
不安で発狂し、生活に苦しみ、自分を叩く母と、己の行いに酷く後悔し、力強く自分を抱きしめる母の姿を交互に思い浮かべる。そして、今朝見た夢が頭をよぎる。
「母ちゃんは一人で死のうとしなかった。オイラが気がかりだったから」
クラークは当然だと思った。
唇をぎゅっと結び、眉を顰める。
「……母ちゃんはオイラのせいで不幸になった。だからオイラは母ちゃんを楽させたくて軍に入った。でも、母ちゃんは反対してる」
「大体わかった」
ラウリは一つ大きな溜息をつくと、クラークを見据える。
「一個聞いてもええが?」
「なんすか?」
「クラークのかっちゃは家族じゃろ?」
「ん? 母ちゃんのこと? 勿論そうっすよ?」
気に入らないことがあるとすぐに自分の事を叩く母を、クラークは迷いなく言い切った。
それを見て、ラウリは二の句が継げない気分だった。
「……んじゃ、ラーさんはどっちじゃ?」
「え? ランスさんすか? 違うっすよ。ランスさんには世話になってばっかだったけど、オイラ、ダーヴコロニーには、入ってないっすから」
「え!? ランスさんて、ダーヴコロニーなの?」
「ダーヴ? なんじゃ? 鳩?」
聞き覚えのない言葉に、ラウリは首をかしげる。
「平和的って意味っすよ。それと対になってたのが、ホークコロニーで、ジャックさんがいたコロニーっすね。スゲー有名だったすけど、ラウリは知らないんすか?」
「知らんね。自分のこと以外興味なか」
「そ、そうっすか」
ふいとそっぽを向くと、目を泳がせているコナーが目に入った。
「ん? なした? コナー」
「えっ!? いや、何でもないよ。ははは」
「話さ戻っけど、そんコロニーさ入らんと、家族になれんがか?」
「え? あー、うーん。多分そう、だと思うっすけど……」
クラークの困った表情を、ラウリはじっと見つめる。
「……ふーん。成る程。わからんね!」
「えぇー。どっちっすか」
「わからんもんは、わからん! アテらじゃ、わからんし、他ん人さ聞いた方がよか」
「えぇー……」
開き直るラウリに、クラークはガックリと肩を落とした。
「納得さ行ぐ答え見つけとーだら、いろっんな人さ聞いた方がよか」
「あ、あの、クラーク――」
コナーが俯いているクラークに声をかけようとすると、クラークは急に立ち上がった。
「わかったっす! オイラ、勇気出してみんなに聞いてみるっす! コナー! ラウリ! ありがとう! じゃあオイラ、もう行くっすね!」
そう言うと、クラークは専用茶葉ボックスから小分けにしてある茶葉をいくつか取り出し、慌ただしく医務室を出て行った。
「せっかく訊いてくれたのに……。ラウリも、こっちからいろいろ訊いたんだからさぁー」
「アテには、わからん」
「そんなぁ……」
コナーは大きく溜息をつき、ティーカップを片付け始める。
「アテは、家族の線引きがわからん。飯さ食って、寝て、一緒にすごしちょったら、アテにとっては、もう他人じゃなか。じっちゃとばっちゃは、アテと血ぃは繋がっちゃおらんけど、家族じゃ。アテは、ウヌらの事も家族じゃ思っちょるけぇな」
目が点になっているコナーを見て、ラウリは首をかしげる。
「なんじゃ、コナー。呆れた顔さして」
「それ、クラークがいた時にちゃんと言った方がいいと思うよ?」
「まぁ、よか。クラークの悩みじゃ。他ん人の意見さ聞いて、自分で納得さいぐ答え出せばよか」
達観した考えに、コナーは目を丸くする。
「……ラウリって本当は何歳?」
「ウヌより年下じゃ。知っちょるじゃろ?」
「ふふふ。そうだね」
コナーは片付けを終えると、朝食の時間を示すチャイムを聞いた。
どうも、朝日龍弥です。
七章が終わり、新たに始まった八章はクラーク・ウェーダー二等兵に焦点が当たります。
五章から登場した彼ですが、歳はコナーの1つ下の9歳です(ラウリと同年)。
年少組の一人である彼を、可愛がっていただければ幸いです。
次回更新は、9/4(水)となります。




