蝕む恐怖
消灯時間が過ぎる頃。コナーは医務室当番をしながら、電子カルテの作成に追われていた。パソコンが置かれている机は、もう殆どコナーの机と言っても過言ではないだろう。机の上は紙カルテが山積みになっていた。コナーは一つの山を入力し終えると、溜息を漏らした。
胃腸薬と精神安定剤をピルケースから取り出し、何錠かを口を放り込み、水で流し込む。昼頃にカールソンに貰ったドーナツをもどしたせいで、胃に焼けるような痛みがする。高栄養の流動食を流し込んでも、今はすぐに吐き出してしまうため、何とか脱水だけでも防ごうと、自分で輸液をしている。
ここ最近は固形物が喉を通らない状態が続いている。無理やり飲み込んでも胃が受け付けず、直ぐに吐き出してしまうのだ。
「大丈夫……。大丈夫……」
コナーはそう自分に言い聞かせ、作業に没頭していると、医務室のドアが開く音が聞こえてくる。
コナーは急いで点滴を外し、クレンメを閉じると、素早く医療用テープを貼った。上着に手を通し終えるのと同時にカーテンが捲られ、コナーは驚いた顔でその人物を見上げる。
「ショ、ショウさん!? ど、どうしたんですか? こんな夜遅くに医務室に来るなんて……」
「お前こそ、こんな夜遅くに医務室で、それも一人で何してる」
「え? それは僕が医務室当番だからで――」
「今日は第四部隊の当番だろう?」
ショウの指摘に、コナーは肩をすくめる。
「あ、ああ、ダリルさんが体調悪そうだったので、当番を交代したんですよ……」
「昨日も医務室当番をしていたな? 昨日はクラークとカールの当番の予定だったろう?」
「えっと……」
「言い訳はいい。で、何をしていた」
声を掛ける度に肩を震わせ、何かに怯えているコナーを見て、ショウは目を細めた。
「そ、それは、カールさんが今日電子カルテを作ってくれたので……その入力を……」
「それは今しなければいけない事なのか?」
「え、えっと……」
「コナー、休暇が明けて今日で何日目だ?」
その質問の意図がわからず、コナーは首をかしげる。
「えっと、七日……いや、八日目になりますかね?」
「この一週間、お前は一度も部屋に戻ってきていない。食堂にも顔を出さないし、毎日医務室に籠っているだろう」
「すみません。忙しくて休む暇がなくて……」
「医務室当番だからか?」
ショウの言葉に、コナーは目を伏せた。
「いいか、コナー。働かずに怠けているのは問題だが、働きすぎて休まないことも問題なんだぞ? お前の場合、休めないんじゃない。休まないんだ。そのままじゃ身体壊すぞ? 医者の不養生とはよく言ったもんだが、お前が倒れたら本末転倒だろう。自分の仕事をするのはいい。だが、人の仕事を取るな」
「すみま……せん」
がっくりと項垂れるコナーを見て、ショウは少し強く言い過ぎたかと溜息を漏らす。
「別に、コナーを説教するために来たわけじゃないんだ。少し、オーバーワークが過ぎると思ってな」
「わかって……います」
「……そうか。それじゃあ戻るぞ」
「え? 戻るって?」
戻るという言葉に、コナーは固まった。
「俺達の部屋に決まってるだろう?」
「で、でも当番が……」
「それについては心配ない。第四部隊に一度断りを入れてしまったことは仕方がないからな。だからネイサンとカールに頼んで、代わってもらう事になった。もうすぐ来るはずだ。だから今日はもう休め」
「でも――」
「コナー、俺に休めなんて命令させるなよ?」
「……わかりました」
コナーは机の上を片付けると、ショウと共に医務室を出る。廊下に出ると、眠い目をこすりながら、身体を重そうに歩いているカールソンと、それを見て若干呆れているネイサンと出くわした。
「あ、隊長にコナー。お疲れ〜」
「夜遅くにすまないな」
「いいのよ。コナーちゃんにも休んでもらいたいし、私達だけゆっくりしてるなんてコナーちゃんに申し訳ないわ」
「ネイサン、カールさん。すみません……僕のせいで……」
俯くコナーに、ショウは眉を顰める。
「悪いと思うなら、今後はオーバーワークを控えろ」
「ちょっと隊長! そんな言い方しなくてもいいんじゃないの?」
「お前らも、コナーばかりに仕事をさせるな」
ショウは苛立ちながら、ネイサンを見やる。ネイサンは思うところがあるのか、顔をしかめた。
「それは言い返せないね〜」
「ショウさん! それは僕が――」
「自分でわかっているのなら自重しろ。他部隊の仕事まで取るな」
「あ……。すみません……」
「隊長――」
「ネイサン、カール。すまないが、後は頼んだぞ」
ショウはコナーの手首を掴んで自室へと戻って行った。
「隊長なんだかイライラしてたね〜」
「……」
「ん? ネイサンどうしたの?」
「……何でもないわ。仕事をしましょう」
「はーい。じゃあ僕は電子カルテ仕上げちゃおっかな〜。僕にできるのはそれくらいだしね〜」
「コナーちゃんの仕事をできるだけ減らしてあげたいけど……。本当に、それで良いのかしら……」
パソコンに向かうカールソンの後ろで、ネイサンは使いかけの輸液を見て唇を噛んだ。
* * *
暗い廊下を一つの懐中電灯の光を頼りに、ショウとコナーは部屋を目指す。先が見えない真っ暗な空間は、森の中でショウの背中に揺られながら彷徨い歩いていた時を嫌でも思い出す。
懐中電灯で先を照らしている為、自分の手を引く人物がショウだということがわかる程度には見える。コナーは自分の手首を掴んで前を歩くショウの背中に、傷だらけのショウの後ろ姿がフラッシュバックし、言いようのない不安で一杯になる。
――あ、ショウさん分かりづらいけど、片足をまだ庇いながら歩いてる。そういえばまだ爪が剥がされたところも治って無いだろうな……
コナーはふと足を止め、自分の口元に手を当てた。
「あ……れ?」
「コナー? どうした?」
「い、いえ……。なんでも無いです」
「……? そうか」
再び歩き出したコナーは、目を見開き愕然としていた。あの一件からショウのリハビリメニューを組みはしたものの、直接ショウやソルクスの治療に一度も携わっていないと今気づいたのである。
仕事をすることばかりに気を取られ、自分を最初に認めてくれた二人のことを考えてもいなかった。
「……ナー? コナー?」
「あ! 何ですか?」
「部屋に着いたぞ。どうかしたか?」
「あ、すみません……。考え事してて」
「そうか、明日も早いからな。早く寝ろよ」
「はい」
二人はそれぞれベッドに入り、真っ暗な部屋の中で横になる。
「コナー」
「はい」
「さっきは悪かった」
「え?」
自分の事しか考えていなかったコナーは、ショウの謝罪の意図がわからなかった。
「少し強く言いすぎた」
「い、いえ」
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
ソルクスの鼾が響く暗闇の中で、僅かにショウの寝息が聞こえて来る。
「……眠らなきゃ」
コナーは起き上がると、自分の荷物から水と睡眠薬を取り出し、喉の奥に流し込む。もう一度横になり、暗闇の中、静かに目を閉じる。
ソルクスの鼾が聞こえる中、嫌でも時計の規則的な音が耳に入って来る。時計の音を気にしないようにしているのに、いつの間にかその音だけが大きく聞こえる。
コナーは堪らず起き上がり、耳を塞ぐ。
「……うるさい」
「何がうるさいって?」
突然頭の中に響くように聞こえてきた声の方を見やると、暗闇の中でその声の主はありえないほど鮮明に見えた。
「やぁ、元気そうだなぁ。コナー」
軽く挨拶をして来たその人物は、自分達をこれでもかというほど苦しめたスラッグだった。
「ひっ!!」
「酷いなぁコナー。人の顔見て驚くなんてよぉ。まるで幽霊を見たみたいだ」
コナーは息を荒げながらも、スラッグから目を離せない。
――落ち着け、これは幻覚だ! あいつは死んだんだ! もういないんだ!
「んー? もしかして今俺がここにいるはずないとか思ってないか? そんなはずないだろう?」
スラッグはゆっくりと近づいて来ると、コナーの頰に触れる。
「ひっ!!」
コナーは這うようなスラッグの手を振り払い、身体を小さく縮める。
「そんなはずない! お前はっ! いないんだ! 幻覚だ!」
「シーッ! シーッ! ダメだろうコナー。そんな大きな声出したらみんなが起きちまうだろう? それに幻覚なんかじゃない」
スラッグはくつくつと笑いながら、縮こまるコナーの背中をゆっくりと撫でる。震えるコナーの顔を覗き込み、スラッグは恍惚とした表情を浮かべる。
「あぁ……。本当にコナーは可愛いなぁ」
舌なめずりをするスラッグに、コナーは身体を震わせる。
「違う、いない、いないんだ。幻覚なんだ」
耳を塞ぎ、目を瞑り、ブツブツと呪文を唱えるように呟くコナーを見て、スラッグは少しつまらなそうに口を尖らせる。
「そういえば、その後どうだ? 調子は?」
「……」
「何だよ。俺とは話もしたくないってか? それともいないって無視してるのか? バカだなぁ。ずっと感じていたんだろう? 俺がずっとコナーを見ていた事をさぁ。ずっと話しかけてたのに無視しちゃってさぁ」
「消えろ! 消えろよ! お前はもう居ないんだよぉ!」
不安と恐怖から、コナーの目から涙が溢れでる。
「酷いなぁ。あ。酷いといえば、だ。お前のとこの軍曹殿は酷いよなぁ。何だっけなぁ、名前。あぁ、そうそう。ショウさんだっけ? お前の事要らないってよ。本当に酷い話だよなぁ?」
コナーは除隊届に一つだけ目立っていた空欄を思い出し、首を振った。
「やめろ。やめろ」
「きっとみんな思ってるんだろうなぁ。お前の家族みたいに」
「違う! やめろ!」
「お前なんて要らないって」
「やめろぉおおお!!」
ベッドから飛び起き、コナーは月明かりが差し込んでいる部屋を見回した。
「はぁっ!はぁっ!」
辺りを見回すが、スラッグの姿はどこにも見当たらない。服が身体にぐっしょりと張り付くくらいの汗を掻き、息が荒い。部屋の中は時計の規則的な音と、ショウとソルクスの寝息が聞こえて来るのみで、耳障りなスラッグの声は聞こえない。
「夢……だった……?」
コナーは小刻みに身体を震わせ、両手で自分を抱きしめた。夢にしては、触られた感覚が本物のようだった。それほどまでにアレは身体に染み付いて離れないものだった。
「うぷっ……」
コナーは足早に部屋を出て、洗面所に向かった。
蛇口をひねり水を垂れ流しにする。出そうとしても胃液しかなく、スッキリしない気持ち悪さを、どうしていいかわからない。蛇口から出る水音が、洗面所に響く。
コナーは顔を洗い、目の前にある鏡に目を向ける。鏡に映る自分の顔は真っ青で、目の下のクマがよく目立つ。酷くやつれており、自分ではない誰かが鏡に映っているのではと思うくらいだった。これではショウやネイサン達が自分に休めと言うのも頷けると思った。
溜息を吐き、もう一度鏡を見ると、スラッグがこちらを見ている立ち姿が目に留まり、思わず振り返る。
鏡に映っていた位置には掃除用具が立てかけてあるだけだった。言い知れない不安と恐怖で、コナーはその場に崩れ落ちた。洗面所には蛇口から出続ける水の音と、コナーの嗚咽が響いていた。
どうも、朝日龍弥です。
身体に染み付いた恐怖に蝕まれる感覚。
PTSDに陥っているコナーは今後どうなるのか。
次回もよろしくお願いします。
次回更新は、8/7(水)となります。




