5-2
それからの旅は順調に進み、予定した日程よりも早く港へ着いた。
馬を預け、定期船に乗りこむ。旅の終着点である王都ドゥーゴに近づくにつれ、フラウディアはこれで彼とも別れかと思うと胸がざわつくのを感じていた。
数日を船上で過ごし、無事に戻ってきたオルリアン王国は収穫祭の最中だった。どこもかしこも賑やかで、城の上空には轟音とともに花火が打ち上げられていた。
観光客でごった返す人混みを抜け、やっとの思いで中央広場へとたどり着く。左右を見回していると、クロエが駆け寄ってきた。
「まあ、フラウディア! 無事だったのね、心配したのよ?」
久しぶりの再会を喜び、しばし抱き合う。
「すまない。シャルロイドの王城に行っていたんだ。石化の呪いも無事に解け、エルヴァルトがこうして送り届けてくれた」
「そうなの、よかったわね! エルヴァルト」
「クロエ嬢をはじめ、皆様のご協力あってのことです。その節はありがとうございました」
「私たちは何にもしていないわ。ふたりが協力して頑張った成果でしょう」
クロエのねぎらいにエルヴァルトは微笑みで返す。
フラウディアは、彼の気丈な態度を見るたびに居たたまれない心地になった。助けた彼だけが未だに呪いに苦しんでいる。しかし、周りに気を遣わせまいと元気に装っている。
(……無理しているようにしか見えないぞ)
心配を募らせていると、ふと視界の奥から不躾な視線を感じとる。威圧感が伝わってくる方向に瞳だけを向ける。
物陰からこちらの様子を窺うのは複数の男。祭りの陽気な雰囲気の中、じっと身を潜めているのはどう見ても怪しい。
「向こうに見える男たち。まさか、またクロエを狙っているんじゃ?」
クロエはフラウディアの視線の先に気づくと、明るい声で返す。
「ああ、いいのよ。もう手は打ってるから大丈夫」
「……どういうことだ?」
「ご覧なさい。じきに現れるだろうから」
予告通り、男たちの背後に黒装束の集団が姿を現す。
遠目で顔までは分からないが、統率の取れた動きだった。黒ずくめの彼らは俊敏な動きで次々に男たちを無力化していく。そして地面に倒れた男たちを縛り、どこかへ連れて行ってしまった。
その鮮やかな手際にフラウディアは息を呑む。
(一体、何者なんだ?)
その答えを知っているだろうクロエを見やると、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「私には兄がひとりいるのだけど、家督を継ぐのを嫌がっててね。ずっと私に譲ろうとしていたわ。それなりに地位が高い家だったから、直系の誰かが継がないといけない。エルヴァルトに初めて会った夜に攫おうとした男たちは兄が雇った奴らよ。私が家を飛び出して何年も経っているのに、まだ諦められないようね」
本当に困った身内だわ、とクロエは頬に手をあてて嘆く。
フラウディアは初めて聞く話に唖然としていたが、横にいたエルヴァルトは納得したように頷いていた。二度目の襲撃について知らないフラウディアは自分なりの結論を出す。
「じゃあ、さっきの男たちはクロエが雇ったのか?」
「いいえ、彼らは昔から実家に仕えてくれている人よ。知り合いに母への言づてを頼んでおいたの。兄が私を連れ戻そうとしているから何とかしてほしいって。そんなわけで、しばらく周囲を見張ってくれることになっているの」
「……クロエの実家ってどんな貴族なんだ? マシェルクス侯爵とも親しいようだし」
「知名度だけは無駄に高いだけの家よ。侯爵は私の事情を知っていらっしゃるけど、一座に援助しているのは単純に私たちに期待してくれているからよ。だから、その期待に応えなくちゃね」
クロエはそう締めくくると、ぽんと両手を合わせる。
「それより長旅で疲れたでしょう。今日はもう宿屋で休んだら?」
「いや。せっかくだから、エルヴァルトに収穫祭を見てもらおうかと思って」
「それもそうね。なら、ふたりとも楽しんでいらっしゃい」
「ありがとうございます」
手を振って見送るクロエと別れ、そのまま露店へと繰り出した。香ばしい匂いにつられて店先を覗くと、はじめて見る焼き菓子が並んでいた。その横には珍しい調度品を扱った商人が快活な口調で客の呼びこみをしていた。
フラウディアが商品に目移りしていると、エルヴァルトが申し訳なさそうに申し出た。
「すみません。王子へのお土産を見てきますから、少し待っていてください」
「そうか、ゆっくり選んできていいぞ」
「すぐに戻ります」
フラウディアは人混みの中に消えた彼を見届けると、陳列されている商品を見やる。
「そんなに見てないで食べてみなよ。うちの自慢の菓子だ」
「そうだな。では、これをふたつ」
「あいよ」
銅貨と引き換えに紙袋を受け取る。人通りの少ない場所へ移動し、紙袋の中へ手を伸ばす。ぱくりと口に放りこみ、サクサクの食感の後に甘い風味が広がっていく。
新しい味に頬をゆるませていると、商業区の奥からバイオリンとフルートの音が聞こえてきた。音がする方角へ足を向けると、教会前には人だかりができていた。
(シスターたちが演奏しているのか?)
気になって背を伸ばすと、演奏しているのはマリーとカレンだった。ふたりの間には収穫祭を祝う歌を披露するフランチェスカがいた。
しばらくそのまま聞き入っていると一曲が終わり、今度は賛美歌の合唱が始まる。
「フラウディア」
突然、背後から名を呼ばれ、びくりと首をすくませる。
「な、なんだ?」
「じっとしていてください。……はい、できました」
耳元にかかる吐息が遠ざかり、フラウディアは自分の髪につけられたものへ手を伸ばす。柔らかい手触り、そして鼻腔をくすぐる花の香りには覚えがあった。
(そういえば、今日すれ違った何人かはこの花を髪に挿していたな)
オルリアンの国花であるネリネの花。
青の濃淡が映える大きな花弁はそり返り、花全体も波打つようにねじられているのが特徴だ。光沢のある花びらは、陽光に当たると宝石のように輝く。優美な国花は王家所有の庭園で栽培されているほか、認可を受けた一部の商店でのみ生産、販売されている。
「どうしたんだ? これ」
「さっき、花屋の方から勧められたんです。よく似合ってますよ」
フラウディアは無言で頭を抱えた。彼はきっと知らずに花を買ったんだろう。異国の彼が祭りの古い風習を知らないのは致し方ない。
(収穫祭で異性に花を贈るのは求婚を意味するわけだが……)
エルヴァルトをジッと見つめてみるが、彼は不思議そうに視線を返すだけだった。
「どうかしましたか?」
「い、いや。……礼は言っておく。ありがとう」
「どういたしまして」
彼の無邪気な笑顔は乙女心を刺激するには充分すぎる威力を持っていた。
(……期待していたわけではないが、やはり少し気落ちしてしまうな)
けれど、いつまでも落ち込んではいられない。こほん、と咳払いで気持ちを切り替え、フラウディアは切り出した。
「最後に見せたいところがあるんだ。ついて来てくれ」
裏路地を何度も曲がった先にそこはあった。
「着いたぞ」
小高い丘はフラウディアが小さい頃、剣の練習をしていた場所だ。
足元にひっそりとたたずむのは、ほころびかけた蕾をつけた草花。昔は桜の木があるだけだったが、どこからか飛来した種子が根づき、丘一面に繁殖していた。
「へえ、王都の近くにこんな場所があったのですね」
少し離れたところに教会の鐘が見える。その向こうには夕陽にきらめく広大な海。
「収穫祭が終われば、君はまたシャルロイドへ戻るのだろう?」
「ええ。俺の仕事は王子のサポートですから。――ですが、あなたに窮地が迫ったときはすぐに知らせてください。どこへなりとも馳せ参じます」
無謀とも言える手段で不法入国した実績があるため、言葉通りに行動に移すのは想像にかたくない。
「心意気はありがたいが、現実には難しいと思うぞ?」
「いいえ、必ず約束は果たします。それに、きっと王子も分かってくれます」
言い募る声はどこまでも真摯だった。
もはや説得は無意味だと悟り、フラウディアは話題を変えることにした。
「以前、こういうときは腕輪を贈りあうのが流行っていると聞いたのだが、あいにくとそういった性分ではないのでな。さあ、剣を抜いてくれ」
「……決闘ですか?」
「いいや、違うぞ。宣誓だ」
「何を誓うんです?」
フラウディアは白銀の切っ先を頭上高くへ突き出した。
「君にかけられた忌まわしき呪い、私が必ず解く方法を見つけ出す!」
祭りの喧騒に負けない朗々とした声が響く。
けれども、エルヴァルトは困ったように眉根を寄せた。
「あなたには、すでに充分すぎるほど助けていただきました。これ以上、迷惑をかけるわけにはいきません」
「だから、自分のことは気にするなと?」
「…………。それがあなたのためです」
「剣を抜け、エルヴァルト」
厳しい声で言い放つが、彼は頑に押し黙る。仕方なしに言葉を続けた。
「案ずるな。呪いを解きたいという気持ちは君を哀れんでのことではない。私自身が嫌なんだ。ひとりだけ犠牲になって周りが助かるということが。……だからこそ、君は私の手で助けたい」
瞳を大きくして聞いていたエルヴァルトは表情を和らげた。
そして鞘に手をかけ、大振りの剣をフラウディアの剣と交差させた。
「では、俺も誓いを――」
と、その瞬間。
フラウディアの剣に異変が起こった。何かに反応するように突然カタカタと震え出し、ついには弾けるように手からすり抜けて地面に転がった。
「な、なんだ……?」
再び手に取ろうと腕を伸ばす。だがそれを拒むように剣が桜色に輝く。光はそのまま膨張し、フラウディアとエルヴァルトを包み込んだ。
視界が真っ白のベールに覆われ、もやのようなところに迷いこんでしまう。いくら歩いても横にいたはずのエルヴァルトの姿は見つからず、自分の声もむなしく反響するだけ。
どうしたものかと息をつくと、前触れもなく底深い声が空間に響いた。
『剣に宿した加護の力、もう使ってしまったのか』
「……その声は龍神か?」
『そうだ。これは代々龍人族の長に与える守護の光だ。一度きりの術だが、お前自身に影響を与える呪いにのみ有効だった』
「私自身?」
『睡蓮の剣がお前に呪いを移そうとしたため、発動したのだろう』
闊達した声が発する言葉は耳を疑うものだった。
「……なんだと?」
『浄化の力は所有者を守ろうと働く。他者にそれを押しつけることも防衛本能のひとつ』
「それは、まるで剣に意志があるように思えるが」
『自然界に存在するものはすべて生きている。そこには生きたいと願う意志があるからこそだ。だが呪いは剣が吸収した。お前が心配することはない』
それきり声は聞こえなくなり、前方から突風に襲われて目をつぶる。
そして次に目を開けたときには元の場所にいた。湿り気を帯びた夜風を肌で感じ、現実だと判断する。月明かりの下で、エルヴァルトは呆然と瞬きを繰り返していた。
「夢でも見ていたのでしょうか」
信じられません、とつぶやく声を耳にしてフラウディアは我に返る。
「エルヴァルト! ちょっと服を脱いでくれ」
「は?」
本人の了承を待たずに彼の衣服のボタンを次々に外していく。驚愕のあまり動けないエルヴァルトには構わず、そのまま強引に胸元をはだけさせる。
「あ、あの。フラウディア……?」
ぺたぺたと触り、何度もそこにあったはずのものを確認する。
「なくなっているぞ。蝶の痣」
「え……?」
「ほら、見てみろ」
促されて自分の胸元を見下ろしたエルヴァルトは言葉を失った。赤い蝶はいずこかへ飛びだっていた。平になった胸板に触れて声を震わす。
「元の姿に戻っている……? でもどうして……」
「霧の中で龍神の声が聞こえた。それによると、私の剣が君の呪いを吸収したらしい」
「剣、ですか?」
「現に君は元に戻った。それが何よりの証拠だろう」
そう断言すると、エルヴァルトの口元に笑みが戻った。
「本当にあなたには驚かされてばかりです。まさか、こうも早く実現させるなんて思いもしませんでしたよ」
「だがこれは龍人族の、いや龍神の加護が為したことだからな。残念ながら私自身の力によるものではない」
「いいえ、これもフラウディアが願ってくれたからでしょう。……剣の誓いがまだ途中でしたね。続きをしてもいいですか?」
頷く代わりにフラウディアは拾った剣を握りしめ、互いの剣を交差させる。
エルヴァルトは唇を引き締めて高らかに宣言する。
「このご恩を返すためにも強くなって、必ず会いに来ます。この睡蓮の剣に誓ってフラウディアの盾となり剣となりましょう」
「それは楽しみだな」
微笑むふたりを祝福するように、足元の蕾が一斉に花を咲かせる。
赤や黄、白色の花びらが秋風でさわさわと揺れる。
夜の深みに沈んだ闇の中で、フラウディアの剣は桜が色づくように薄紅の光をほのかに宿していた。




