シャオルーンの章 -2#屈強なる誘(いざな)い-
「おーい・・・大丈夫か、お前」
服にまとわりついた布の所為で危うく溺れそうになった
呑気な声かけと共に物凄い力で水の中から引っ張り出され
そのまま宙吊りにされてる感覚
水を吸って重み三倍になった布をかき分け瞳だけを覗かせて前方を確認する・・・が、
確認できたのは声をかけてきたであろう男の人の「鼻」だけだった
Finis talE
~最果ての地より~
シャオルーンの章 -2#屈強なる誘い-
「そのままだと風邪を引く、俺の外套を貸してやるからそれ全部脱いじまえ」
「・・・えっ と・・・あの・・・お、おかまいなく」
「ハァ? 『 お か ま い な く 』 だァ?
こちとらちっこい子供がずぶ濡れなのを放っておくほど鬼畜生でも人でなしでもねーんだよ
下らん遠慮しとらんとさっさと脱げ!身体が冷えちまうだろーがっ」
物凄い威圧的な物言いの鼻・・・じゃなかった、人だ
途端に視界が縦にスライドし、足が地面に付く
水の重みで増えた体重の負荷にフラつきながら
水滴と共に視界を塞いでくるフードを両手で抑えると改めて目の前の人物を見上げる
(・・・)
そこには威圧的な物言い通り、態度だけでなく体格までデカいおじさんが立っていた
布地の厚い外套で全身すっぽり覆われてるけど長身や肩幅の大きさから一目で分かる
すごく体を鍛えてる人だ
拳一振りで馬をも殴り倒しそう、熊とすら取っ組み合いできるかもしれない
なんて考えてたら外套の隙間から腕まくりされた強靭な二の腕が見えた
見下ろす瞳が燃える炎みたいに真っ赤で・・・一言で言えばこの人、恐い
さっきぼくを持ち上げてたのって、この人の腕一本だったのかな
(あ、)
こういうの知ってる
力にものを言わせて無理難題吹っかけてくるパターンだ
もしこの男の人が金出せとか生意気なガキだとか言って来たら
ぼくは一目散にこの場から逃げ出さなければならない
あんな強そうな腕で2・3発殴られたら喧嘩なんかしたことないぼくだと絶対死んじゃう
金目のものだって持ってないし、服だってびしょ濡れで汚いのに
こんなぼくになんの用があるって言うんだ
(あ、)
これも知ってる
殴りたいから殴るっていう大人がいる事をぼくは知ってるんだ
直後頭の中に浮かんだのは
これまで見てきた町や村で戦災孤児の・・・僕よりも小さな子供が
大人から理不尽な暴力を受けている光景
それが今正に繰り返されようとしているんだ、ぼく自身の体験として
傍観者から被害者へ
そんなのはヤだ、痛いのも苦しいのも辛いのも嫌だ
だからぼくは逃げないと
この男から逃げないと
でも失敗した
水に濡れた服が、ぼくの唯一の武器だった俊敏さを殺した
男の横をすり抜けたまでは良かったけどまとわりついた裾が足に絡みついて
森に逃げ込む手前で派手に転倒した瞬間、終わったと思った
これから、町で見たような理不尽な暴力が始まるんだ
恐怖から地面に張り付いた手が震えて
近づいてくる足音を耳にするともっと怖くなって全身が凍り付いたように動かなくなった
その時またもや黒く汚れた袖が視界に入って
存在を主張するようなその汚れを、恨みを込めて睨みつける
(こんな所、来るんじゃなかった)
後悔したってもう遅い
耳のすぐ傍まで聞こえる足音、倒れた僕に覆い被さるようにしゃがみ込んでくる気配
一層身を硬くしたぼくは次にくる衝撃と痛みを想像して歯を食いしばった
けど、
「俺はヴァン、この森の近くにある町の住人だ
で、記憶が無いらしくひとりで寂しい思いをしてるお前の≪主≫はどこにいる」
「・・・ひェ?」
予想した衝撃や痛みとは比べ物にならないほど優しくて
暖かい重みがひとつ、トンと頭の上に置かれ
告げられた言葉の意味が理解できず恐怖と緊張の所為で変な声が出た
おそるおそる顔を上げれば頭に触れていた感触は遠のき
最初に感じた威圧的な雰囲気は鳴りを潜め
穏やかな口調で再度ゆっくりと話しかけられる
「恐がらせるつもりは無かったんだぞ、立てるか?
濡れてる上にコケやがって、もっと悲惨になってんじゃねーか」
「あ・・・あの、」
「身ぐるみを剥ぐ気はないし危害を加えるつもりもない
頼むから、俺の罪悪感を和らげる為にもその泥だらけな服を脱いじゃくれねーか
ホントに風邪引くぞ」
地面に打ち付けた膝の痛みに耐え、泥だらけで立ち上がると
ぼくの傍でしゃがみこんでいた彼はそのままの体勢で見上げてきた
(ぼくに合わせて視線を低めにしてくれたんだ・・・)
ゴツい見た目に似合わない気遣いだけど、お蔭で気持ちが楽になる
安堵から呼吸を整えつつ改めて丁寧にお辞儀をしながら返事を返した
「・・・お断りします」
「ハァ!?」
ぼくの言葉に大げさに驚いたリアクションをした彼は
今度こそ本当に睨みを利かせるようにグイと顔を寄せてくる
ぼくが見下ろす側で相手が見上げてくる側なのに
凄んできた顔がとても怖く見えて反射的に慄いた
行動が完全にそこら辺に居る悪い大人たちと一致してるんだけど
先ほどの言動から根っからの悪い人ではない・・・ような気がしているからか
恐怖心は薄れつつある
「おい、こら、ガキ、ここまで優しく言ってンのにまだ突っぱねるってか?
自分が今どんな格好してるか自覚してンのか」
「は、はい!分ってます!えっと、
バンさんが善意で申し出て下さっている事は分かるんですが」
「”バン”じゃない、”ヴァン”だ、” ヴ ァ ン ”」
「・・・」
似たようなものじゃないか、とは思ったけど
また「おい、こら、」と凄まれるのも嫌なので言わないでおこう
そして、ぼくが頑なに彼の親切を断るのにはちゃんと理由があって
その理由はおばあちゃんから誰にも言っちゃいけないって言われてる
・・・だけど、
(この人になら、言ってもいいんじゃないかなぁ)
悪い人ではないかも、という考えは会話を重ねる毎に大きくなって
改めて彼の赤い瞳を盗み見て、小さな視界の中で視線が交わると同時に
言うか言うまいかと決めかねていた迷いが消えた
自分でも驚くほどに、あっさりと。
「ぼく、人に姿を見られちゃ駄目だって言われてるんです、おばあちゃんに」
「姿って・・・そんなモンお前、」
「分ってます、隠してたってどこからどう見ても子供だし
声出すと余計にバレちゃうし、こんな格好自体意味なんか無いって分かってますけど」
「意味が無ェっつーか、」
「問題はぼくの 『 髪 』 らしくて
人目に触れないように何重にも布で包んでるんです」
「その見た目なら、間違っちゃいねーとは思うが・・・」
「この所為でお風呂とか大変だし、視界は狭いし、暑い季節は地獄だし
人通りの多い所では周りが見え辛いからよく人にぶつかっちゃうし」
「・・・」
「本当は他の人と同じように普通に服を着たいんです、でも
髪を見た人が不幸になってしまうっておばあちゃんの言いつけだから
ちゃんと守らなくちゃいけないんです」
「・・・」
「・・・あの、ヴァンさん?ぼくの話聞いてます?」
言葉の合間に相槌を入れてくれていた彼が黙り込み
前髪を片手で軽く乱しながら地面を見つめ
微動だにしなくなった様子を不審に思って問いかける、すると
「ん"~・・・」
と、少しの間を置いて低く長いうなり声を上げたかと思えば
ひょいと上げられた顔にはハの字の眉が張り付いていた
顎の先を指先で撫でつけながら立ち上がり、またも目線が高くなった所で
一旦視線が交わるが今度は唇まで心境を表したかのように尖らせ
再び唸りながら空を仰ぐ・・・
と、目の前で行われた一連の動作は”彼を困らせている”と理解するには十分で
「ごめんなさい、こんな話困りますよね」
「あー、まぁな、そこそこ困ってる」
「いいんです、本当は誰にも言ってはいけない事でしたから
聞かなかった事にして下さい・・・それじゃあ、ぼくはこれで」
「待て、困ってはいるが迷惑はしてない
とりあえずその、お前が言ってるおばあちゃんに会わせてくれるか?
大至急話さにゃならん事があるんでな」
「それは無理です」
「なんだ、そういう契約でもしてんのか」
「おばあちゃんは戦災孤児だったぼくを拾ってくれた恩人で
仕事相手ではありませんから雇用契約はしてません」
「戦災孤児・・・」
「お小遣いは時々もらってたけど・・・三か月前に老衰で亡くなったんです」
「それで一人旅をしてるのか、失くした記憶を取り戻すために」
「はい、戦時中にショックな事があって記憶を失くしたんだろうって
おばあちゃんが言ってました」
「って事は完全に野良かよ・・・あー・・・しかも、なるほど、どうしたもんか・・・」
「あの、ヴァンさんが困るような事ではありませんから
服だってここで洗って乾かしますし、お気遣いなく」
「悪いが余計に放っておけなくなった、家に案内するから上がっていけ」
「えっ・・・で、ですからお気持ちだけで」
「黙って、俺に付いてこい」
有無を言わせない、低く響いたその言葉がぼくの耳の奥の鼓膜を震わせた
瞬間、とてつもない強迫観念に襲われて
ぼくの返事を待たずに歩き始めた彼の背中を追いかける事しかできなかった
(やっぱりこの人、凄く怖い人だ)
彼が背を向けて歩いている今、逃げ出すには絶好のタイミングだというのに
また逃走に失敗したら今度こそ酷い目に遭う気がする
怖すぎて緊張しきったぼくの体は彼の言うなりだった
痛む膝を庇うのも忘れてひたすら彼の背中に付いていく
道中一言も交わすことなく森を出ると、ヴァンさんはぼくが来た道を戻り始めた
このまま町まで向かうのだろうか、折角森まで食材を採りに来たのに
(・・・)
空腹を訴える腹をさすって立ち止まりかけたけど
ここまで一度も振り返ってくれない人との距離が開きそうになって
溜息を吐く暇さえなく足早に追いかけた
今日一日のケチの始まりとなったお屋敷の前を通り過ぎるのだろうと思って
フードの隙間から、徐々に近づきつつあるその建物を睨みつける
目の前の背中から意識が逸れた僅かの間にヴァンさんが歩調を緩めて
それと同時に大きな背中の向こう側から聞いた事のある声が聞こえてきた
「お早いお帰りですね、先生」
「出迎えご苦労、早速だが客の世話を頼む」
「客ですか?お姿が見えませんが」
「こいつだ、 『 客人 』 としてもてなしてやってくれ」
こいつ、と言われた瞬間目の前にあった背中がひょいと横に逸れて
その先に居た人物と目が合うと同時に顔の筋肉が強張る
(げっ・・・)
ぼくも彼も心の中で同じ声を発したに違いない
やだなぁ、一回家政婦の仕事断られてるし冷たく追い出されてるし・・・
互いに無言で微動だにせずに居るぼくら二人をそのままに
ヴァンさんは我関せずみたいな態度でさっさとお屋敷に入ってしまった
よりにもよってこのお屋敷の人だったのか
通りに二人きりになってしまった所で歩み寄ってきた男の人に
立ち去れと言われた時よりも数倍冷え切った眼差しで見下ろされる
「『客人』、ですか」
「ご、・・・ご迷惑、おかけします」
「付いてきなさい、先ずは身なりを整えて頂きます」
優雅に裾を翻した男の人の背中で揺れていたのは
足元に届くのではないかと思わせるほどに長い髪
頭の上で一纏めにした部分から毛先であろう部分まで
高価な布一枚で丁寧に包まれた髪の束が動物の尻尾のように目の前で揺れる
(ぼくの髪もこんな感じにまとめられたら少しは身軽になれるかなぁ)
目の前で揺れる髪を覆った布を羨まし気に眺める
そしてやっぱり彼は、最初に感じた通り神秘的な雰囲気を纏っていた
佇まいや静かで姿勢の良い歩き方もそうだけど
歩く度に靡いて光の波を作り出す長い袖や裾の端に付いている装飾が擦れる音
綺麗に整えられて煌めく前髪や耳元を彩っているイヤリング
相手の注意がこっちに向いてないのを良い事にじろじろと観察していると
後姿や横顔だけ見れば女性と見まごうほどの美人だと気が付いた
長い睫毛や通った鼻筋・・・何より青い瞳が
星を散りばめたみたいに輝いてて間近で見つめても飽きそうにない美しさ
ついうっとりして見蕩れていると
お屋敷に入ってすぐに湯気が立ち込める部屋へと通されて
これまた広くて立派な作りの湯殿に目を奪われ
忙しなくキョロキョロとしているぼくに向き直った男の人は
相変わらずの冷たい眼差しで異論は受け付けないとばかりに言い切る
「ここで身を清めて下さい、着ている物は全て処分させて頂きます」
「ええ!?こっ困ります、ぼく着るものはこれしか」
「脱衣所に新しいものを用意する、それを着なさい
客人としてもてなしてはやるが、妙な事をすればその場で塵に返すからな」
「ひっ・・・」
今度こそ完全に面と向かって警告され、引き攣った悲鳴を上げてしまう
命の危険を感じさせるこの状況はもはや拉致監禁というのではないだろうか
恐怖で身を凍らせながら湯殿を出ていく男の人を見送って
戸がピシャリと閉ざされた所で大切な事に気づき更に慌てる
「あ、あのォ!!髪をっ覆う布だけはどうしても必要なんです!
裸でも構わないのでそれだけでも・・・っ」
用意を、して、ほしい
なんてお世話になっている立場上言えるはずもなく。
しかしこのままだとこのお屋敷の人たちに髪を晒してしまう事になる
どうしたものかと考えるけどこのまま突っ立ってても埒が明かない
ここは素直に彼に従って『妙な事』だけは絶対にしないように努めて切り抜けなければ
でも、あの人の言う『妙な事』って具体的にどういう事を指すんだろう
(兎に角、何も触らず言われた事以外はせず
余計な事を言わなければ大丈夫・・・ ・・・だと、いいなぁ)
先行きが不安で仕方がない
ヴァンさんは危害を加える気はないって言ってくれたけど
さっきの人は危害加える気満々だったよ、塵に返すって警告までされちゃったよ
(それに・・・)
こんな立派なお風呂、使った事ないからどうすればいいのかわからない
突っ立っていても埒が明かないと分かっていながら
身綺麗にする為に何をどう使えばいいのかさえ分からず結局途方に暮れる
石鹸の使い方は分かるが生憎とここにはぼくが知っている類の道具が一切見当たらず
用途不明の不思議なモノばかりが目についた
(ヘタに触って壊したら多分あの人に・・・殺されるよね)
まるでゴミ虫でも見るかのような彼の冷たい眼差しを思い出して乾いた笑みを浮かべる
無難に服だけ脱いで、お湯に浸かって頃合を見て出ればいいだろうか
この泥だらけになった服はどこに置いておけばいいのだろう
やっぱりここで服も一緒に洗って、捨てられずに済むように確保しておくべきだろうか
髪を包む布だって用意してくれるかどうか分からないし
気がかりな点を悶々と考えながら緩慢な動作で身に纏っていた服を脱ぎ始める・・・が、
「先生をお待たせしたら殺すぞ」
客人に対して敬語もへったくれもない、ドスの利いた言葉が戸の向こう側から聞こえてくる
次の瞬間には素っ裸で湯船に飛び込むとお湯だけを使って必死に体の汚れを落し
泥だらけの服は戸口の傍に纏めておくに留め、駆け込むように脱衣所に入った
肩で息をしながら用意されていたタオルでがしがしと体を拭き
お湯で流しただけでゴワゴワになった髪を手早く乾かして周囲を見渡せば
目についた籠の中に綺麗に畳まれた服が目に留まる
多分これを着ろという事なのだろう・・・ヴァンさんや
まだ名前を聞いてないあの男の人が身に着けていた高価な布地ほどではなかったけど
それでも襤褸を着る事に慣れていたぼくには十分すぎるほど上等な服だった
そこそこ家柄の良さそうな子供が着ていそうな服に袖を通して
髪を覆い隠せそうな布を探したけど、やっぱり用意されてはいなかった
水を吸って重くなったタオルを頭に巻いても良いけど
それをしたらせっかく用意してもらった服まで水浸しになりそうだし
そもそも布面積足りないから隠したい部分が隠しきれないし・・・
(どうしよう)
髪を晒したままでは彼らの前に出られない
新しく用意された服で代用出来るかと思ったけど
服で髪を隠すなんて行動こそ『妙な事』と判断されて殺されかねない
頭を抱えて俯いていると前触れなく通路側の扉が開かれて
ぼくが風呂から出るまでずっと待っていたらしい彼が顔を覗かせる
登場があまりにも突然で髪を隠すことができなかった
「準備は出来たのか、なら付いて来い」
「え!?あ、のっどこへ・・・じゃなくて、かっ髪を」
「客人を騙る分際で私の先生を今以上にお待たせする気か?
三度は言わない、黙って付いてこい」
・・・あの師にしてこの弟子あり。
まだよく知らない人たちではあるけど、ヴァンさんを「先生」と呼んでいるだけの事はある
この人が本当にお弟子さんかは定かではないけど
先のヴァンさんに感じたものと同様の強迫観念に襲われ従わざるを得なかった
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