第319話 囚われのセシル
続きです。
とある場所のとある部屋。
そこにあるベッドに、一人の女性が眠っていた。
「ん…………?」
目を開けると、そこにあったのは見知らぬ天井。
寝起きだからか、ぼんやりとした頭では疑問らしい疑問が思い浮かばなかったが、彼女は自身に満ちる不思議に動かされるように、身体を起こした。
「ここは…………?」
およそ5m四方の小さな部屋は、窓はなく、扉は真正面に1つ。
天井も壁も白で統一され、何とも現実味がない。
見回せば、自分がいるベッド以外は、花瓶が置かれた台が1つだけ。
花瓶には、透明なガラスで出来ていると思われる花が数本活けられて? いた。
そこからだろうか、甘い香りが漂っている。
それ以外は特徴もない、何とも殺風景な部屋である。
ぐるりと見回して、興味をそそる物が他にないことを認識すると、彼女は自分の身体を眺めた。
部屋と同一の白い服を着ている。
裾から覗く自分の手は、黒い体毛で覆われていた。
左手を見た時、何かが足りないという感覚に陥ったが、その理由はわからない。
不思議に思いつつ手を開け閉めしていると、鋭い爪が現れた。
「獣……人」
未だ霞みがかった頭で、彼女は自身が獣人であることを理解した。
だが、
「あれ…………私、誰だっけ?」
彼女は、自分が誰であったのか、忘れてしまっていた。
ーーーーーーーー
「……ダメ、思い出せない。なんで? 私は、誰なの?」
この部屋で起きてから彼女はずっと、自分が誰であるか思い出そうとしていた。
時間にして10分程度であったのだが、それは今の彼女にとってはとてつもなく長かった。
自分が何者なのか、なぜここにいるのか、なぜ思い出せないのか。
過去がないという恐怖が徐々に心を蝕んでいく。
「恐い……恐い……誰か…………誰か助けて……!!」
自分を抱きしめ、誰もいない部屋で怯えるその目に映ったのは、外へと続く扉。
「扉……外…………」
急かされるように扉に走った。
ノブを掴み捻る。
が、扉は開かない。
「なんで?! 出して! ここから出して!! ここはどこなの?! 私は誰なの?!」
この部屋における唯一の希望。
自分を知る手がかりの第一歩となるかもしれない扉が開かない。
それは、彼女の心にヒビを入れ続ける。
半ば恐慌状態でドンドンと扉を叩く彼女は、自分が人化していることにすら気づかなかった。
いくら叩いても叫んでも何の変化も起こらず、やがて疲れてへたり込むと、力なく泣き始めた。
親とはぐれた幼い子どもの様に泣くその姿は、彼女を知る者からすれば信じられない光景だった。
「ひっぐ……ぅう…………」
小さな虫の様に蹲る。
真っ白な部屋は一見清潔で優しそうに見えるが、今の彼女にとっては心を塗り潰そうとする悪魔の様に思えた。
恐怖に震える身体を抱いて、彼女は泣き続けた。
やがて
『………………』
『………………ル』
「? だれ?」
自分しかいない部屋で、誰かの声が聞こえた気がした。
泣き腫らし、ぼろぼろになった顔で部屋中を見回す。
やはり、誰もいない。
が、
『…………シル』
「!」
やはり声がする。
その事実にネコ科獣人特有の目は見開かれ、耳も音を逃さんとピクピクと忙しなく動いている。
全身がセンサーになった様に、彼女はどんな変化も逃すまいとその時を待った。
「……………………」
『…………セシル』
「?!」
今度はハッキリと『セシル』という声が聞こえた。
そして理解する。
「(音じゃない。心に話しかけてきてる)」
そう、その声は周りから聞こえているのではなく、自分の心に話しかけているのだと。
「…………」
他人が見れば、目を見開いたまま微動だにしない彼女の姿は、かなり異様に映っている事だろう。
だが、その心の中では、必死の呼びかけが続けられていた。
「(あなたは誰?! ねえ! 私のことを知っているなら教えて!! 思い出せないの!)」
『………………セシル』
「(応えた!)」
目覚めてから始めて、自分以外の存在を感知できた。
そのことが、彼女の脳を覚醒させてくれる。
歓喜に震える身体を抑え、彼女は問いかける。
このチャンスは絶対に逃すことができない。
「(セシル、それはあなたの名前? それとも私の名前?)」
『…………私と、あなた』
「…………え?」
『下を見て』
「……!!」
語りかけてくれる存在に意味不明なことを言われ、一瞬固まった彼女だったが、言われるがまま見た床に、驚くべき物を見る。
それは、影に映った顔だった。
黒い髪と、少し尖ったネコ耳。
鋭い八重歯に、特徴的な吊り目。
誰がどう見ても、黒い毛並みのネコ科獣人の女性。
「…………」
自分が首を倒せば、影の顔もそれに倣う。
口を開けば口を、耳を動かせば耳が同じく動いた。
まるで鏡の様なそれは、あることを如実に物語っていた。
「(私の、顔?)」
そう思った瞬間、影の顔がニコリと笑う。
『そうよ。これがあなたの顔。私はあなたの影。私は……いえ、私達はセシル。セシル・クリム。思い出して……さあ』
「!!」
影が自分の身体を這いずったかと思えば、口の中に懐かしさを感じる液体が注がれた。
驚きつつも嚥下すれば、それは全身を駆け巡り、彼女を、いやセシルを蝕む何かを吹き飛ばしていく。
「(…………思い、出した)」
そして彼女は思い出す。
自分が何者であるか、なぜここにいるのかを。
全てを思い出したしたセシルは、現状を把握するために自身の影と会話を始める。
顔は下を向いたままだ。
先程までと同様の姿でいるのには理由がある。
なぜならここは、恐らく敵地だからだ。
監視されていることを視野に入れつつ、脳内では素早く会議が行われる。
「(私はどれくらい眠ってたの?)」
『詳細はわからないわ。変な男が現れたと思ったら、そこからの記憶がないの。でも、ここに連れて来られた時からならわかる。あなたがここで眠っていた期間は1週間よ』
「(……何か、されましたか?)」
敵地において1週間意識不明。
影も、敵に存在を知られないように大人しくしていただろうことは予想できる。
だとしたら、何をされていてもおかしくはない。
最悪の状況を想像し、背筋が冷えるのを感じた。
『落ち着いて。エーリに顔向け出来ない様なことはされていないわ』
影の言葉に、ホッとするのを感じた。
だが、続く言葉に背筋の冷えが戻る。
『されたのは身体検査、鑑定、そして洗脳ね』
身体検査はまだしも、鑑定と洗脳というキーワードはかなりの衝撃をセシルに与えた。
フラフラと歩いてベッドに倒れこむ。
これには、本気と演技が混じっていた。
鑑定はそれを行う鑑定士の力量によるが、様々なことが敵に知られることになる。
情報の漏洩は、それだけで戦況を覆す要因にもなるのだ。
ただでさえ敵の規模も戦力もわからない状況で、自分達の情報だけが知られるというのは、負けがほぼ確定してしまうのと同義である。
「(どこまで、知られました?)」
恐る恐る、心の中で影に聞く。
声に出していたら、きっと震えていただろう。
『……安心して。オードリーとルイーズが守ってくれたから、才能とか、能力値とか、そういう部分くらいしか知られていない。敵の鑑定士も歯噛みしてたわ。それに、運もあった』
「(運?)」
オードリーとルイーズが守ってくれたというのは、彼女達が施してくれた精神プロテクトが働いたということ。
特級クラスの2人は、メンバーの精神世界を守るために強固なプロテクトを施してくれている。
それにより、こちらの大事な情報は敵に知られることはなかったわけだ。
しかし、運というのが何を示すのか、セシルには分からなかった。
『2人のプロテクトが強固で、それを突破出来なかった敵の鑑定士は、私達の心を無理矢理壊そうとしたのよ。「どうせ使い捨てだ」って。でも、他の鑑定士が「アベクシス・ウルゴのお気に入りを廃人にするのはマズい」って言って、それは中止されたの』
「(それを運というかは疑問が残りますが、助かったのは事実ですね)」
そもそも拉致されるという状況自体が不運であるので、運がいいとは言い切れない。
が、不幸中の幸いとも言えるため、なんとも複雑な気分のセシルであった。
「(まあそれは良いです。洗脳というのは?)」
『それは、あれよ。あなたも見たでしょう? 部屋に置いてあった花』
「(ええ、甘い香りのする。……そういえばあの匂い、どこかで)」
殺風景な部屋に1つだけある飾り。
あのガラスの花から香ってくる匂いは……
「(バディア国民を洗脳していた物と似ている?!)」
あの花の香りは、バディア国民を誘拐する際に使用された魔導具、そこから発せられていた匂いに、酷似していた。
『そうみたい。あれのせいで、あなたの自我がどんどん消えていくのを感じてたわ。私も最初消えかかったんだけど、貯蔵してあったポーションのお陰で浄化出来たみたい』
「(そうだったんですね……。1週間待った理由は?)」
『敵が定期的にあなたの洗脳、というか記憶の抹消を確かめに来てたのよ。そして昨日「もう大丈夫だろう。明日洗礼だ」って言ってたから、このタイミングで起きてもらったの』
影の言葉に、セシルは敵の手法の恐ろしさを知る。
記憶の抹消から、洗礼という、恐らく雛鳥の刷り込み効果に似た洗脳を行うことで、より確実に深い洗脳がかけられるという寸法であろう。
「(あなたの半異界化が始まっていなかったら、危なかったですね)」
『本当に。オードリー達が守ってくれなかったらそれも意味なかったわ。持つべき物は家族ね』
「(ええ、私達は幸せ者です)」
セシルの影は、アンジーの『影って、なんか私達の空間と似てますね。貯蔵出来るんじゃないですか?』という一言と、セバスも加わっての異界化チャレンジという遊びにより、少しなら異物の貯蔵が出来るようになっていた。
貯蔵量も大したことはなかったのだが、万一の時を想定してポーションを入れておいたのだ。
そしてその情報は、オードリー、ルイーズ両名の精神プロテクトにより、敵に知られることがなかった。
家族が、セシル達を救ってくれたのである。
その事実は、セシルの精神を穏やかにしてくれた。
「(絶望なんか、していられませんね)」
顔を埋めた枕の中で、微笑みを作るセシル。
緊張で固くなった心が、ゆっくりと解けていくのを感じる。
だが、その幸せが長く続くことはなかった。
コツ、コツ……
「(誰か来る?!)」
覚醒したセシルには、遠くから誰かが来る音が聞こえていた。
その数、10名。
『多分、お迎えよ。あなたは記憶を消されて、絶望の中にいる予定になっているわ。わかっているわね?』
影の忠告に心の中で頷きながら、セシルは息を吐き、集中する。
「(お芝居は得意な方じゃないですけど、動揺なんかしてたらジャンヌに笑われますね。さあ、やりましょう)」
きっと自分を心配しているであろう、愛する同期に想いを馳せ、セシルはその時を待つ。
コツコツ……
……ガチャ
そして、扉は開かれた。
お待たせしました。
セシルはよく窮地に陥りますね。
何故だかそうなってしまいます。
ごめん、セシル。
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