プロローグ
人生で初めて書く創作物です。
よろしければご覧ください。
2017/12/05 読みにくい箇所を修正しました。
今日も今日とて仕事に追われた。
ハゲのパワハラ上司に怒鳴られ、後輩が起こしたトラブルの尻拭いに奔走し、そのせいで出来なかった自分の仕事をこなす。
ようやく終わって家路についたが、気づけば日が変わる時間になっていて、数時間後にはまた会社に行かなければならない。これでも泊まりにならないだけマシな方だ。
こんな生活がもう5年になる。
買い手市場だった時代に入社し、その頃には山ほどいた同期はどんどんいなくなった。
残っているのは脳筋で体力さえあれば仕事ができると思っているやつと俺だけだ。
自分の未来を考えると、決して明るくなんかないだろうということは考えなくてもわかる。
昔からそうだ。なぜこうなる?何が悪いんだ?いつも考えるが、答えは出ない。
「はあ……」
仕事以外で発する言葉らしいものは溜め息だけ。
溜め息をつくと幸せが逃げる、と昔聞いたことがあるが、こんなにつく前から幸せが逃げている気がするのはなんでかね?
「俺、生きてる意味あるのかな……」
立ち止まって独りごちる。
33歳、独身。一応、友達はいる。ここ数年会ってないけど。
彼女もいた。何社かブラック企業を転々としてる最中に別れてしまったけど。
両親も存命だ。義理な上によく金を無心しに会社までくるけど。
正社員だから、派遣よりまだましだ。ブラック企業だけど。
俺より辛い境遇の人間なんて腐るほどいるのだろうし、このご時世贅沢言ってられないのはわかる。
わかるけど、自分の人生の先が見えないのはやっぱり辛いものだ。
いっそ死ねたらいいが、台所で刃物を手首に当てた時、怖くてそれ以上は何も出来ず、膝を抱えて部屋で泣く始末だったから、自殺もこの先無理なんだろうな。
死にたいけど自分では出来ないし、生きていても死ぬより辛いと感じる。
こう言うのを、生き地獄って言うんだろう。
「誰か、助けて(殺して)くれよ」
ポツリ、とそう呟いた。
「いいよ」
「え?」
不意に後ろから声がした。
驚いて振り返ると、少女が電柱に寄りかかり、こちらを見ていた。
背中まで伸びた黒髪と、白いワンピース。
暗がりでも光る綺麗な青い瞳と、紅に染まる唇。
端正、とはこういう顔を言うのだろう。
「あ、いや、すいません」
しばし見とれた後、慌ててそう言った。独り言を拾われるとかだいぶ恥ずかしい。
まあ、他の言葉でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだけど。
それにしてもいつから居たのだろう。
下ばかり見ながら歩いていたから、気づかなかっただけか。
こんな夜中に10代とおぼしき少女が、独り言を言いながら歩いているおっさんに話しかけるなんて、普通ない話だ。
話しかけてもらっておいてなんだが、こちらから変に話しかけて、痴漢か何かと思われるのもまずい。
早々に退散すべきと判断し、少女から離れようと歩きはじめる。
「助けて欲しいんでしょ?」
痺れたように、足が止まる。
「あー、独り言、聞こえてちゃってた?」
もう一度振り返り、少女に向かって苦笑しながらそう問いかけた。
別に聞こえていても他人にとってはどうでもいい発言だったとは思うが、なぜこんなにも絡んでくるのか。側から見たらおっさんが少女に絡んでいるか、深夜まで連れ回しているように見えるだろう。
おまわりさんが見たら職質アタックをかけてくること請け合いである。
体力的に死にかけだが、社会的にも死亡フラグを立てるのはやめてほしい。
「うん、ずっと聞いていたし、見てた」
微笑みながら、そう言われた。
「えっと……。ずっとっていうのは」
「あなたが小学生だった時から、かな?」
おっと、これはヤバイ人かもしれない。
いくら綺麗でも、10代そこそこの少女が33歳のおっさんの子供時代から知っていると言うのはおかしい。
もしかしたら酒かクスリでもやっているのかもしれない。
「ふふふふ。そんなことしてないってば!」
「は?」
「だから、お酒もクスリ? もやってないよ」
ん? 動揺して考えていたことを口走ったのか?
いや、まさかそんなはずは……。
疑念を確かめるべく、俺は自分の口が閉じているのを確認し、頭の中で(1+1は?)と問いかける。
「にっ!」
少女は真っ白な歯をみせると、笑顔を弾けさせて答えた。ピースした右手が、俺の顔の前に突き出される。よく見ると、手の周りに小さな光の粒のようなものが飛んでいて、指先でチカチカ点滅している。
なんだこれ?
いや、ただ単に笑ってピースしただけかもしれない。
だったら、もう一度……(子供の頃怖かったものh「モーさん!!」
考え終わる前に少女は叫んだ。
初対面の人間には絶対にわからないはずの正解を。
ちなみに、このモーさんというのは架空の化け物のことである。
ちいさいころ、いうことを聞かない俺を怖がらせるために両親が作った、存在しないおばけ。
少なくとも成人してから思い出したことはないし、そもそもあてずっぽうに言って当たるわけがない。
と言うことは、間違い無くこの子は俺の思考を読んでいることになる。そうなんだろ?
「うん、わかるよ。小さい頃から見てたんだもん。だからさ、助けてあげよっか?」
ゴクリ、と唾を飲み込む。
助けてくれる。さっき思っていたことがそのまま叶うということ、それはつまり。
「この場合、死ぬことになるんだよな?」
「そうなるね」
「いやでも、俺まだ33だし」
流石に若すぎないか?
「んー、でもこのままだと数年以内に自力か過労かで死んじゃうんじゃない? 自力の方はこの前試してみて、自分には無理だーって思ってるみたいだけど、追い詰められた人間なんてなんでも出来るんだよ? 飛び降りるでも、飛び出すでもいいんだしさ。病気だって、今の生活だったら向こうからやってくるでしょ」
「まあ、そうだな」
最近の仕事について振り返ると、それもそうかと思ってしまう。今の俺の勤務時間は、国の設定した過労死ラインをぶっちぎりで置き去りにしており、残業時間はそろそろ4桁を超えようとしていた。
自分でもよくこれで死ななかったものだと呆れてしまう。
「だからさ、この世界とバイバイして、私のところに来ない?」
……それは、ヒモってことか? 少女に養ってもらうとか、社会的には死んでそうだが。
「ちがうちがう! 私の世界、えーっと、この場合異世界? になるのかな。に来ない? って言ってるの」
「異世界?」
「そう、異世界」
「まあ行くためには肉体を捨てないといけないから、こちらの世界では死ぬことになるんだけどさ」
先ほど見えた光の粒は、数が増えて少女の周りを踊るように飛んでいる。しかもよく見たら少女の身体が浮いているように見える。と言うか確実に浮いている。
思考を読み取ったことといい、目の前で繰り広げられている怪奇現象といい、現実は少女の話を信じろとこれでもかと主張する。
少女の言葉を信じるなら、俺はこの生き地獄から異世界? へ逃げることができる。
普通に考えれば馬鹿らしい話だが、俺はこの非現実的な誘いに乗りたいと思う気持ちが高まっていた。
「いくつか質問がしたい」
「ん、いいよ」
ずっと逃げ出したかったのだ。
でも現実は逃げることを許してくれなかったし、全てを捨てて逃げることも今まで躊躇してきた。
あんなだが両親もいるし、ブラックだが正社員をやめるのは、ただでさえ不安定な生活が立ち行かなくなることを意味するからな。
だが、もし、この少女が言っていることが本当なら?
何の憂いもなく異世界とやらに行けるとしたら?
俺は、少しの不安と大きな期待を込めて、この世界とオサラバするための準備をすることにした。
「俺が死んだら両親はどうなる?」
「あなたにかけた保険金を受け取って、今よりも暮らしが良くなるよ。まあ、すぐに使い果たして貧乏になるだろうけど、もう十分養ったんじゃない?」
「会社は?俺がいなくなったら周りに迷惑がかかるだろう」
「むしろ迷惑かけられまくってたでしょ? あなたもかけて何が悪いの? それに、あんな会社なくなった方が社会のためよ」
「友達も少しくらいならいるんだが」
「ここ数年連絡もとってないでしょ。このまま自然消滅したって相手も気にしないわ」
「アパートの荷物とか」
「あなたの部屋あんまり荷物ないじゃない。それに敷金?で何とかなるレベルだから大丈夫よ」
「……なぜ、俺なんだ?」
「あなたが好きだから!」
「好き、なのか?」
これは予想外だった。
「うん、大好き! そりゃあ優柔不断で意気地なしで、ちょっとっていうかかなりエッチだし。自分のことも大事なはずなのに、結局最後は自分を犠牲にしちゃってこんな風になっちゃうお人好し、と言うかもうただのドMだね。でも、そんなあなたが、私は好きです」
「はは! そうか……そう、か」
なぜだろうか。いつの間にか俺は泣いていた。俺を好きだと言ってくれた彼女の言葉を聞くうちに、涙が溢れて止まらなかった。それは、彼女の優しさが伝わってきたからだと思う。
少しだけ残っていたこの世界への未練が、ゆっくりとなくなっていくのを感じる。
「死ぬのは、痛いか?」
最後に、そう聞いた。痛くてもいいが、覚悟するために。
「んーん。肉体、精神共に疲れてる状態から魂を解放するだけだから、えーと、温泉に浸かってるみたいな感覚? になると思うよ。あなた、自分が思ってるよりボロボロなんだからね。あ、死因とかも過労による突然死ってことになるだろうから、安心して」
「安心して死ぬっていうのは、不思議な感じだな」
「ふふ」
「じゃあ、やってくれ」
「うん。……お疲れ様、よく頑張ったね」
「ああ、ありがとう」
彼女の手が光り始め、そこから粒子が俺の方に流れてくる。
それは全身を包むように、ゆっくりとした速度で俺の身体を覆っていった。
身体がポカポカと暖かくなってくる。少しの浮遊感と、抱擁感。身体の気だるさは消え、あれほど落ち込んでいた気持ちも、高揚してくるのがわかった。
生まれ変わったら何をしよう。
忙しすぎて自分のしたいことなんて考えられなかったから、すぐには思いつかない。
でも、何をするにもゆっくり、のんびり暮らしていきたいな。
あの少女には感謝しないと。
そういえば、名前を聞くのを忘れていたな……。
自分が溶けていく感覚の中、ぼんやりとそう思った。
「私の名前はミルク。あっちで会いましょう、エーリ!」
そう聞いた俺の意識は、真っ白な光の中に溶けていった。
その日、俺、其ノ先衛理は死んだ。