ナイトメア・アライブ
葵が話している。
此処は間違いなく、ライブが始まる数時間前の教室だ。
「あ!」
葵が何かを思い出したように、ハッとなった。
「どうしたの?」
「今日、部活でどうしてもやらなきゃいけない事が・・・・。ライブの時間までかかる事なのに、すっかり忘れていたのよ~」
『1回目』の時と全く同じ調子で、葵はその言葉を放った。多分、私が戻った時間が此処なのは、此処が『あの惨劇』を起こさない為の、必要最低限の分岐点なのだ。
つまり。
「まさか、部活で蓮華君のステージ設定をする気?」
此処で何かを変えなければ、この先の出来事全てが何も変わらない。
「・・・・何で分かったの?」
ヒョウタンからコマ、という感じで、葵は目を見開いて驚いた。・・・・当然だ。おそらく、周りにも部活だと言っているのだろう。関係者である紫苑君以外には、知られていないはずなのだ。
まぁ、私も紫苑君に教えてもらったから知っているのだけれども。
「紫苑君に教えてもらったの。ね、葵って設営係の方に知り合いとかっている?」
「・・・・いるけど」
何も無い場所を睨みながら、葵はいかにも不機嫌そうに呟く。小さく「あいつ」と聞こえてきて、何か、中々会えない時とは違うイメージを抱きそうな、そんな恨めしそうな表情と声が聞こえてくる。明るいだけじゃないとは思っていたけど、葵って私が考えているよりも暗い部分がありそう。
「ねぇ、葵」
「なぁに、藍菜ちゃん」
切り替えの早さが凄まじい。もうさっきまでの憎々しそうな表情が消えて、営業スマイルじみた笑顔をその顔に浮かべている。
ふむ、こういう時の笑顔って、怖いね。
「あのさ、その人ってステージ開始の直前まで、ステージの設備の確認ってする人? 信用出来る?」
「出来ないね」
え、即答?!
「あの人、根は良い人だけど、大事なステージの設営とかは若手に任せるの。スリルがあるから、そこら辺のメカニックより頼りになるから、って。頼りにはなってもさぁ、その人の知る技術とか熟練の技的なものへの信頼感が無いのよねー」
うわぁ。確かにそれは信頼できないわ。
「うん・・・・決めた」
と、葵が真剣な表情で頷いた。
「何を?」
「私、仕事の合間にあの人に嫌がらせメール送りつけてやるわ。今日という今日こそ、あの人自身に設営を任せてやる・・・・!」
普段明るい笑顔のイメージが強い葵の目が燃えている。
この調子だったら、私が見た『1回目』みたいな悪夢は起こらないで済むはずだ。葵はやると決めたらやる人だし、しっかり最後までやり通してくれる人でもある。きっと、話題となっている設営係の人も、腕の方は信用出来るのだろう。
・・・・これで。
これで、多分だけど、悪夢は起こらない。そう、願っておく。
◇ ◆ ◇
葵との会話以外は、何ら『1回目』と違う部分が無い。
暇つぶしの為だけに、いつもより若干華やいだ雰囲気の中央通を練り歩く雑踏集団。いつもは空いていて子供達が走り回っても、車すら来ないから何の心配も無い通りなのに。
・・・・人で溢れかえる通りを、押されるでも引かれるでもなく進みながら、考える。
何も考えずに『1回目』を歩いていた私。
今思えば、何も考えずに歩くなんて・・・・『今の私』にはあってはならない事だ。
何処で『あれ』が起こるのか分からないのに、何も考えないでいるなんて、出来るはずが無い。
「・・・・はは」
私は歩きながら、笑った。
顔を伏せて、とても小さく。
誰にも見えないように、誰にも聞こえないように。
嘲るように、責めるように。
誰にも気付かれないように、誰も覚えていられないように。
・・・・私は。
・・・・私という人間が。
―― 何で笑ったのか、理解出来なかった。
追い込まれて自殺をする人って、みんなこんな気持ちなのだろうか。
悲しくて、辛くて、苦しくて、でも、それが『悲しくて辛くて苦しい事』だと受け止められない。
自分が昔と変わっているようで、でも周りはそれほど気にしていなくて。
気付いてほしいのに、気付かれたら全部が終わると思ってしまう不安感。
全部っていうのは、自分の周りにある世界の事で。
自分の周りにある世界っていうのは、友達だったり、家族だったり、先生だったり。
みんながみんな、たった1人しかいない『自分』から離れてしまうのではないかという、恐怖。
・・・・。
「・・・・あ」
視界の中に、カフェが入る。確か此処には、藤黄君が気になるあの子と、その子と仲の良さそうな男の子がいたはず。で、藤黄君がその2人の会話を眺めていた。
と、思ったら。
(あれっ?)
カフェに目を向ける。あの2つのテーブルへと。この前は気にしなかったけれど、木で出来た階段を三段上がって、まず見えるのがカフェの入口。10歩も進まない内に行ける距離。その入口手前、カフェの左側にある階段から見て少し右にあるテーブルと、右奥にあるテーブル。
そのどちらにも、人がいない。
入口近くのテーブルには、藤黄君が気になるあの子と、その女の子と仲が良い男の子が座っていたはず。それにもう一方のテーブルには、藤黄君が座っているはずなのに。いない。
・・・・あれぇ?
(と、とりあえず・・・・『1回目』と同じように座っておこうかな)
私は『1回目』と同じ、入口から離れている方のテーブルに向かう。よくよく考えれば、大してその場所に慣れていないのに、意図して時間どおりに動ける人間がいるだろうか。
ふむ、とても早く着いてしまったらしい。
私がイスに座ると、カフェの入口から、焦った様子の店員さんが出てきた。かわいらしいブラウンと白の制服をまとった店員さんだ。
「いらっしゃいませ! 本日はチーズケーキがお勧めですが、いかがですか?」
「それでお願いします。あ、そのチーズケーキに合う紅茶はありますか?」
「あ、はい、ございます」
「じゃあ、それで」
店員さんは、また焦った様子で店内へ戻っていく。特に混んでいる様子は無く、バイトや初心者の類では無さそうな堂々とした態度だったから、あの焦った様子はクセの類なのだろう。
とりあえず、あの2人と藤黄君を待つ事にして、イスに深く腰掛ける。それほど混んでいないとはいえ、持ってくるまでは時間があるだろうし、ゆっくりしておこうかな。
「あ、あのっ」
後ろから、聞き覚えのある声で話しかけられた。
いやいや、この声、聞き覚えがあるというか、少し前に聞いていたというか。
・・・・私は、なるべくゆっくりと振り向いた。
「・・・・あっ、そ、その」
そこには、オドオドとした態度の少年が立っていた。真っ黒な髪はミルクチョコ色の帽子がかぶせられてよく見えないけれど、癖が若干付いている。若草色のスカーフ、水色と白のチェック模様がプリントされたワイシャツ、色が薄めのジーパンを履いていて、若干地味な印象を受ける。
あの、藤黄君の気になっている女の子と一緒にいた男の子である。
こうして見てみると、服とかの雰囲気は地味だけども、何処と無くキラキラ輝くオーラが見える、ような気がする。
間違い無い。この子は――
「花宮、蓮華君、だよね?」
「はっ? はい、えっ、あっ。いえ、そのっ。えぇっ?」
「何、やってんの。レンゲ」
蓮華君らしき男の子の後ろから、ひょっこりと顔を出す女の子。明るい茶髪でm中学校の制服を身に纏った女の子。
「あれ? 貴方は・・・・」
と、女の子が私の顔を覗き込む。あれ? この子と私、まだ出会っていないはずなのだけれど、まさか、誰かと間違えているのかな?
「あ、ち、違うよ、この人、茜さんじゃ無いよ? 微妙に顔が違うもの!」
茜。―春瀬 茜―。四季貴族と呼ばれる、季節を冠する苗字を持つ4つの大金持ち、その1つである春瀬家の令嬢。私のクラスメイト。
確か、後ろ姿が似ていると言われた事があったなぁ。
「や、そうじゃなくてさぁ。・・・・まぁ、良いや。勘違いしてすみません。でも、その制服、新しい高校生の服と、胸ポケットに刺繍された校章の縁取りの色から高校一年生ですよね? 茜さんの事、何か、小さい事でも知りませんか?」
冷静に、にこやかに、女の子が話しかけてきた。うわぁ、こっちも何処と無くオーラがキラキラしていて眩しい感じがする。
「クラスメイトの紅紫 藍菜です。えぇと、君はそのぅ、花宮 蓮華君、で良いのかな?」
おそらく彼の名前であろう部分を弱く発すると、男の子は一瞬肩をビクつかせて、オロオロし始めてしまった。これ『僕は花宮 蓮華です』って、自分で言っているようなものだよね。
うん、やっぱりこの男の子は蓮華君だ。中学2年生の、今現在人気急上昇中アイドル。
そして『1回目』で・・・・。
「あ、あの。藍菜さん。僕が此処にいる事、誰にも言わないでください! い、言うと大変な事になって、ステージに間に合わないし、それと、ああ、これが、ううぅぅう」
蓮華君は不安げに呟く。私よりも背が低いけども、立っているからか座っている私よりは背が高い。・・・・はずなのに、私より小さく見えてしまう。
多分この辺りで物凄く大きな、人々の塊が出来てしまう妄想でもしてしまっているのだろう、その顔には絶望の2文字が書かれており、段々とその顔が青ざめていく。やがてその瞳が潤んで涙ぐんだけども、傍にいる女の子は溜め息をつくだけで何もしない。むしろ他人のフリをしている。
「心配しなくても言わないよ」
「ほっ、本当ですか? 良かったぁ~」
ニッコリと、微笑む。こう言っては失礼かもしれないけれど、この笑顔、かわいい。メガネがサングラスではないから、その笑顔がよく見える。
そんな蓮華君の横で、不機嫌そうに口を尖らせる少女がいる。何と無くその顔が誰かに似ている気がするけど、誰だったかな。僅かにつりあがった目、フワッとしたクセのある髪の毛。うん、やっぱり誰かに似ている気がする。
「私、―彩芽―です。彩るに、草の芽と書いて彩芽。茜さんのクラスメイトという事は・・・・レンゲのライブに来るという事ですよね。今此処でくつろいでいるという事は、熱烈的なファンじゃないみたいですね。良かったね、レンゲ。ばれたのがそういう人で」
「あ、うん。そうだね、彩芽。あ、改めまして、花宮 蓮華です。本名もレンゲで、文字は錬金術の錬と、夏で錬夏です」
ニコニコしながら小首をかしげる錬夏君。少女漫画によくある、キラキラしたオーラが目に見える。本当にこういう表現が出来る人っているのか・・・・。
と、そうこうしている内に、店員さんがトレイに色々乗せてやってきた。紅茶とチーズケーキが3つずつ乗っている所を見ると、さては彩芽ちゃんと錬夏君、予約でもしていたのかも――
「お連れ様の分もご用意いたしました。どうぞ、ごゆっくりしていってください」
―― 違ったらしい。
「何か連れだと勘違いされたみたいですけど、ちゃんと別にお金払うので大丈夫ですからね!」
私の目を覗き込みながら、錬夏君は申し訳無さそうに言った。まぁ、初めて会った人がいきなり奢るのも変だし、私の懐事情を考えればそれほど余裕があるわけでもないので、助かる。
「錬夏、そんな当然の事、言わなくても良いと思うよ? まぁ、そういう訳で、大丈夫です。そういう意味では、はい。本当に・・・・大丈夫です。余分に持ってきたぐらいなので」
一方、彩芽ちゃんはなにやらソワソワした様子で、どうにも落ち着かないようだ。カフェの入口付近を、飴を舐めるようにしつこく見回している。何か気になる事があるのかな?
「あ、の。とりあえずケーキ食べようよ。此処のチーズケーキ美味しいし」
「それも、そうね。藍菜さん、席一緒になっても良いですか?」
彩芽ちゃんは、半分ほどしか私に目線を向けずに聞いてくる。ある意味失礼な行動だけれども、傍目にはちょっと恥ずかしがっている女の子、という感じにしか見えないので、あまり触れないで置こう。
―― そう思った瞬間の事だった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「ふぇ、何が?」
彩芽ちゃんが、唐突とも言えるタイミングで謝罪してきたのだ。
「だ、だって。そうですよね、藍菜さん、先輩ですし、失礼な態度でしたよね・・・・ごめんなさい」
私は、驚いた。
彩芽ちゃんは、私の思考を読んだのだ。
その態度、仕草からではなく、私が思ったこと、そのままを。
だって、その横にいる錬夏君が彩芽ちゃんの方を向いて驚いた顔をしているのは、彩芽ちゃんの様子がおかしい事に気付いていなかったから。その彩芽ちゃんが私に謝っている意味が分からないからだ。つまり、彼は私が「失礼だ」と思っていた事に気が付かなかったのだ。
彼と意思疎通していたとして、彩芽ちゃんが私の態度をおかしいと思って、そのおかしい態度が、自分に関する事だとは、どう考えても結びつかないだろう。
だとしたら、何で彩芽ちゃんは私の考えている事が分かったのだろうか?
「え、えぇっと。それは・・・・」
(あー・・・・これは・・・・)
彩芽ちゃんは目を伏せている。目線は何処も向いておらず、強いて言うならフローリングになっている床の部分。
後ろめたそうな、そんな雰囲気を醸し出しながら、彩芽ちゃんは黙って座る。
うん、確かに・・・・『言いたくも、言われたくも無い事』だよね。
―― 『自分は超能力者だ』なんて、中二病じみた発言は。
◇ ◆ ◇
困り気味の笑みを浮かべる彩芽ちゃん。
無邪気に笑いながらチーズケーキを頬張る錬夏君。
その2人を静かに見ている、私。
「ねぇ、錬夏君」
「ふぁい、・・・・何でしょう」
口の端にチーズケーキの欠片を付けたままの錬夏君は、私が話しかけると、焦りもせずに応じた。口の中にあるチーズケーキを飲み込み、一息ついてにっこりと笑う。
「そろそろ、行った方が良いと思うけど」
「・・・・あ」
そもそも、ライブ当日でライブ寸前にこんな所にいる事自体おかしいのだけれども、本人はあまり気にしていない感じだったから触れなかっただけだ。
「さすがに、ライブ1時間前でこんな所にいるのはどうかと思う」
「「ですよねー・・・・」」
彩芽ちゃんは(おそらく)錬夏君を連れ出した事に責任を感じているのだろう。先程私に色々知られてしまった事も合わせて、落ち込み具合は錬夏君よりも上だ。
「じゃ、錬夏。そろそろだし。リラックスはこのぐらいで良いでしょ」
「ふふっ。ちょっと多すぎるくらいだったけどね」
「ん、行ってらっしゃい」
「うん、彩芽! ちゃんと見ていないと怒るからね!」
「あんたが怒っても怖くないけどねー」
一生懸命に手を振って、錬夏君はカフェから去って行く。人ごみをものともせず進み、大人より背の低い彼は、すぐ雑踏にまぎれて見えなくなってしまった。
何だろう、あの後ろ姿、何処と無く藤黄さんに似ている気がする。
「それは、錬夏が藤黄さんに凄く懐いていて、ちょっとした真似をしているからです」
「あ、そうなの」
苦笑を浮かべた彩芽ちゃんは、一口分残っていた紅茶を飲み干して立ち上がった。タイミング良く店員さんがやって来て、あらかじめ用意してあった私と、彩芽ちゃん達2人分の料金を支払う。
「私達も行きませんか? 実は、入場開始前から入れる超穴場スポットを知っているので」
「何でそんな場所を・・・・」
「まぁ、知り合いがいるので。茜さんのクラスメイトなら、その人ともクラスメイトのはずですが」
今度は悪戯っぽく笑う彩芽ちゃん。この条件だと、約3名、彩芽ちゃんの言っている『知り合い』の候補がいる。紫苑君とか、葵とか。あと翠ちゃんとか。
誰かは分からないけど、とりあえず、今は知る必要性を感じない。
なので。
「行こうか、彩芽ちゃん」
あまり気にせず、笑顔でライブ会場に向かう事にした。
◇ ◆ ◇
錬夏君が藤黄君の真似をしている、と、彩芽ちゃんは言った。
でも、彩芽ちゃんも大概だと思った。
雑踏にまぎれてしまっているのに、自由に走っているかのような錯覚に陥ってしまうほど、スムーズに、スルスル進むのだ。
彩芽ちゃんに手を引かれて、人の行き交う雑踏に飛び込んで3分ほど歩いている。ゆっくり進んでいる、と、思う。でも、私の感覚は走っているぐらいに早く感じるのだ。・・・・いや、実際同じ方向に進む他の人達は私達よりずっと遅いペースで歩いている。
まるで、雑踏の方が道を開けているかのような。そんな感じ。
―― 雑踏を抜けてライブ会場の近くまで来ても、その不思議な感覚に酔っていた。
「だ、大丈夫ですか?」
吐き気は無い。酔った、と言っても、意味合いは惚れ惚れした、という方に近く、決して酒に酔っただとかの意味ではない。
ただ、彩芽ちゃんの周りにキラキラ輝くオーラが見えて、彩芽ちゃんの顔がりりしい事もあって、少し、ほんの少しだけ、彼女の事を『格好良い王子様』的な風貌に見えてしまっただけだ。
そして、この思考は彼女へと届いてしまっているわけで・・・・。
彩芽ちゃんは、その凛々しくも柔らかさのある顔立ちの頬の部分を、紅く染めて私を見つめる。その表情は狼狽に覆われていた。
「いや、本当、彩芽ちゃん格好良いなぁ、と、思ったよ。本気で」
「でしょうね・・・・まぁ、慣れていますから、良いですよ」
と、入場開始前のライブ会場、青桐ドームの裏手で、お互いに火照ったように紅くなった頬をこすりながら、さすがに手を離して歩いていた。
裏手にはそれなりに大きな、背が3mほどある正面入口より一回り小さい、背が2mほどの入口。幅も、正面入口は一度に大人が6人並んでも余裕で入れるのに、こちらは大人3人ギリギリ通れるほどで、まるでスパイでもしているかのような気分になるほどの静けさと相まって、何と言うか。
「何処とないスリル、良いですよね!」
何と無く、この子がリスペクトする理由が分かった気がした。
立ち入り禁止になっていないところを見ると、別に入っても構わないけど、誰も知らない、本当に超穴場のスポットみたい。
キラキラ眼を輝かせる彩芽ちゃんは、少し薄暗い一本道を進んで行く。もう、この姿が男らしいというか格好良いというか。そういえば顔立ちが何処と無く錬夏君と似ているし、髪を真っ黒に染めてほんのちょっと声をハスキーにしたら、見分けも聞き分けも出来ないだろう。
と、そんな事を考えて、ふと、彩芽ちゃんがこっちを向いている事に気が付いた。
「あの、藍菜さん。私と錬夏が似ているの、当然ですよ?」
「え、何で」
「いや、私達、その・・・・『双子』ですから」
・・・・。
あ。
「なーる」
素直に納得。
髪の色とか性別とかで隠れていたけれども、確かに顔立ちとかクセのある髪質とか、同じだ。うん、全く同じだ!
「そういえば初対面でしたし、知っているわけ無いですよね・・・・」
「じゃ、彼氏彼女の仲じゃないのね、そっかぁ」
「か・・・・っ、え、そんな風に見えました?!」
さっきより顔を紅くして、彩芽ちゃんは慌て始める。
この慌てよう、まだ彼氏がいるわけじゃないみたいだし、うん。
・・・・良かったね、藤黄君。
「ねぇ、彩芽ちゃんも歌とかダンスとか得意なの?」
「ぅえっ、あっ、はぃっ。い、一応錬夏の真似で、錬夏と間違われるほどにはっ」
それって凄く上手いって事だよね。
「そういえば、小さい頃、いつか一緒にステージに出る、なんて約束したなぁ~」
自分の心を静めるためか、それとも無意識下、話題を変えてきた。
火照った頬に向かって手を扇ぎながら、彩芽ちゃんはキョロキョロとせわしなく見回す。薄暗い一本道でも、そろそろ出口という目印でもあるのか、彩芽ちゃんは注意深く、廊下の壁、下の部分を見る。そして、非常灯の緑色の明かりが見えると、暗くても分かるほど明るい笑みをこちらに向ける。
「もうすぐですよ!」
そこに、先程までの赤面が混ざり、とても嬉しそうな笑みに見えた。弧を描いた目、振り返り際にたなびく、動物の尻尾にも見える髪、出口から差す光に照らされてキラキラと輝くその姿は、私が改めて、彼女と錬夏君が兄妹、双子である事を納得させるに十二分の効果をもたらす。
だから、言ってあげたのだ。
「その約束、きっと守れるよ。彩芽ちゃん達なら、ね」
「えっ、何ですか?」
出口に近付くにつれて、人の声が大きくなっていった。おそらく入場が始まっていたのだろう。私が普通の音量で出した言葉は、掻き消されてしまった。
でも、それで良いのだとも思う。気恥ずかしいのだ。
彼女に言った事を悟られないよう、心にそれを思い浮かべないようにしながら、私は彩芽ちゃんの指差した先の光景を見つめる。
なるほど、確かに誰もいない。大きなドームの天井近く。観客席よりは高い位置にあり、あの紫苑君曰く特別席のあの場所よりは低い位置にある、壁にグルリと吸い付くように作られた廊下。おそらくお客さんが入る事を前提に作られたのだろう、子供が走って遊んでも、なんら支障の無い幅がある。
もっとも、公にされていない所為か、本当の意味で誰もいない。静かでは無いけど、騒々しくも無い。なるほど、彩芽ちゃんが誰にも教えないはずだ。
兄妹の応援をする時、ここなら一発で見つけてもらえるのだろう。下の雑踏に入ってしまえば、発見するには非常に困難で、度尾ことなく寂しいだろうし。
「おっと、ごめんよ」
「えっ、いえいえ。そちらは大丈夫ですか?」
そんな事を考えていると、不意に、私達以外の声が聞こえた。
そこには、彩芽ちゃんに衝突してしまったらしい青年が立っていた。背丈は恢さんほどに高く、身体の線は細い。首周りが広く空いた白いセーターと白いズボンをはいている。靴は赤い線の入ったスニーカーで、爽やかな印象を覚えた。
彼は両手に、おそらく会場前の露店で買ったのだろうジュースを手に持っている。オレンジと黄色の縦縞模様が入った紙コップに、白いプラスチック製の蓋がついていて、すでにストローが付けられている。
その青年は『1回目』に、彩芽ちゃんと仲良く話していた青年だった。服装も背丈も同じで、この声だ。間違いないと断言できる。
「良かった、やっと人に会えたよ。連れがいるのだけれど、全然見つけられなくてね。入口付近にいる、と言っていたのに、いなかったのさ」
「あぁ、それだったら、一度此処から出て、ドームの周りを180度ほど周ってみてください」
彩芽ちゃんが言いたいのは、この人の連れがいるのだろう正面入口に行け、という事。確かに、此処にいないならそういう事。というか、人がいないのに此処まで来るこの人、もしかして。
「あのっ、出口コッチですよ?!」
「えっ、あっ。ありがとう」
うん、方向音痴だ。
「いやぁ、昔から方向音痴は治らなくてね。そうだ、このジュース、もらってくれないかな」
「えっ、でも」
「良いよ良いよ。どうせ今から行っても怒られるだけだし、ぬるくなっているだろうし。だったら、新しく買う方が良いでしょ? ね、お礼だから!」
そう言って、ほぼ強引に、私と彩芽ちゃんにそれぞれジュースを手渡す。・・・・十分冷たいと思うのだけれども、せいぜい10分しか掛からないのに新しく買う必要性があるとは思えない。
でも彩芽ちゃん、凄く嬉しそうだ。蓋の中身を見ているところを見ると、とうど自分が好きな味のジュースだったらしい。まぁ、ぶつかられた本人だし、ほんの少しは遠慮しなくても良いだろう。私はそんな事もないので、遠慮しがちになってしまうけれど。
鼻歌混じりに、鉄っぽい、冷たい柵に寄りかかる。青緑のペンキが塗られており、触感はツルツルとしていて、何処と無く気持ち良い。所々ペンキが剥がれている。その剥がれた部分に、錆びて赤茶色になった、いかにも鉄、といった体の柵が見えるのだ。
「あっ、そろそろ始まりますよっ!」
眼をキラキラ輝かせて、私を覗き込んでくる彩芽ちゃん。いかにも楽しそうに、嬉しそうに。満面の笑みは眼以上にキラキラ輝いていて、目を瞑りたくなる程に眩しい。
幻覚だと分かっていても、こういう事ってあるのか。そんな風に思った。
やがて薄暗くなる会場。
何が歌われるのかは、もう知っている。
今回は楽観視出来そうだ。
―― なんて
そう、上手く行くのなら。
私は、本当の意味で安心できたのだろう。
ありえない現象が起きた。
下にいる観客の1人と、目が合ってしまったのだ。
『彼』は怪しげな笑みを、こちらに向けていた。
その手には何も持っておらず、連れなんてものは存在しない。
あぁ、自分で言ったではないか、油断大敵だと。
その油断が生み出した、あの不敵な笑みが示すものは。
・・・・。
ボコン、と、隣で音がした。
左隣の、ちょっと下辺り。
凹んだ音には違いないけれど、柔らかい物を落として、それが凹んでしまったという音。
心当たりがある。
今、私の手の中にもある物だ。
先程眼が合った『彼』からの、お詫びという名の甘い汁。
隣には、誰もいなかった。
視線を落とすと、そこに人がいた。
近くに、蓋が開いて、オレンジ色の液体が流れ出す紙コップがあった。
その近くに、ビクビクと、体を痙攣させて、口の辺りから赤よりも紅い液体が流れ出している。
それが何を意味するのか?
もう、頭の中に刷り込まれていた。
第一の感想は「あぁ、またか」
そして第二の感想は・・・・。
喜々とした歓声にまぎれて、消えてしまった。




