↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

第4話  「老いぼれの腕一本で、この国を救えたのよ?」

隣国で、クーデターが発生した。


国王の座を奪った者が、その勢いのまま我が国へ侵攻してきたのである。


敵軍は大軍だった。


国境に展開する我が軍の十倍以上もの兵力だという。


その報告を聞いたとき、私は庭で日なたぼっこをしていた。


侍女が、青ざめた顔で駆け込んできた。


「奥様!大変です!」


「どうしたの?」


「敵軍が国境を越えました!すでに、我が軍は後退を続けているそうです!」


私は、ゆっくりと顔を上げた。


「指揮官は?」


「……ご子息様です」


私は、しばらく黙っていた。


息子は、軍の責任ある立場に就いていた。


だが、平和な時代が長かった。


大きな戦争を経験したことはない。


「それで、あの子は何をしているの?」


侍女は、答えにくそうに口を開いた。


「それが……何を命じればよいのか分からず、軍は混乱しているそうです」


なるほど。


その瞬間だった。


身体の奥底から、何かが湧き上がってきた。


忘れていた感覚だった。


血が熱くなる。


頭の中が、急に澄み渡っていく。


私は、ゆっくりと立ち上がり、侍女に命じた。


「馬を用意しなさい」


「え?」


「それから、軍の司令部に連絡を。すぐに向かいます」


「お、奥様!?」


私は、久しぶりに声を張り上げた。


「急ぎなさい!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


司令部は、大混乱に陥っていた。


将校たちは地図を囲み、口々に意見を述べていた。


だが、誰も決断できない。


指揮官である息子は、青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「母上!?」


私を見つけた息子が、驚きの声を上げた。


「どうして、ここへ!」


私は、息子の前に立った。


「状況を説明しなさい」


「い、いえ!母上はお戻りください!ここは危険です!」


私は、ため息をついた。


「あなた」


「はい?」


「上が無能なら、下は悲惨なのよ」


息子は、言葉を失った。


「あなたが何もできないのなら、私が指揮を取ります」


「む、無理です!母上はもう……!」


「老いぼれだから、役に立たないとでも?」


私は、息子を見つめた。


「ならば、あなたが何とかしなさい」


息子は黙った。


私は、静かに言った。


「できないのでしょう?」


しばらくして、息子は私に頭を下げた。


「……母上。どうか、お力をお貸しください」


そして、居並ぶ将校たちに告げた。


「これより、母上に作戦指揮を委ねる。皆、指示に従ってくれ」


こうして私は、指揮を引き受けた。


まず、戦場の地図を広げた。


部隊の配置を確認する。


敵軍の進軍経路。


味方の守備隊の位置。


地形。


街道。


そして、補給路。


私は、次々に報告を求めた。


「この地点の敵兵力は?」


「こちらの部隊は、いつから後退しているの?」


「敵の本隊は、今どこにいる?」


「シルバー王国への援軍要請は?」


「すでに行っております!」


将校たちは、慌てて答え始めた。


私は、地図をじっと見つめた。


懐かしい。


何十年も前の記憶が、蘇ってくる。


戦場の地形。


部隊の位置。


それらが頭の中で組み合わさっていく。


まるで、実際の戦場を上から眺めているようだった。


敵は大軍だ。


正面から戦えば、勝ち目などない。


だが、どれほど強大な軍勢でも、必ず弱点はある。


どこか一か所を突けば、全体が揺らぐ地点がある。


私は、目を細めた。


見えた。


ここだ。


ここを突けばよい。


敵の大軍が、まるで一本の糸でつながっているように感じられた。


その糸を切れば、敵軍は崩れる。


ただし、その場所へ到達するには、敵の警戒を抜けて進まなければならない。


しかも、奇襲に投入できる兵は、ごく少数に限られる。


一度攻撃を始めれば、敵の大軍に囲まれるだろう。


生きて帰れる可能性は、極めて低い。


私は、しばらく地図を見つめた。


そして、決断した。


「百人を集めなさい」


将校たちが振り返った。


「百人、ですか?」


「ええ。決死隊を編成します」


司令部が静まり返った。


私は、息子に向き直った。


「あなたには、本隊を任せます」


「本隊、ですか?」


「ええ。まず、後退している部隊を集め、守備隊を立て直しなさい。兵士たちを落ち着かせ、援軍が到着するまで防衛線を維持するのです」


息子は、驚いたように私を見た。


「できるわね?」


「……はい!」


「よろしい。あなたは、この国の将軍なのですよ。兵士たちの命を預かっていることを忘れてはいけません」


息子は、深く頭を下げた。


「承知いたしました!」


私は、もう一度地図に目を落とした。


私の仕事は、敵軍の進撃を止めること。


その間に、息子たちが守りを固める。


そして、シルバー王国の援軍が到着すれば、勝機が生まれる。


あとは、私の奇襲が成功するかどうかだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


集められた兵士たちの前に、私は立った。


百人。


若い者もいれば、年配の者もいる。


皆、緊張した表情をしていた。


私は、一人一人の顔を見た。


そして、口を開いた。


「時間がありません。よく聞きなさい」


兵士たちの視線が集まった。


「敵軍は、この戦線に展開する我が軍の十倍を超えるでしょう。このままでは、我が国は滅びます」


誰も、何も言わなかった。


「そうなれば、あなたたちの愛する者たちはどうなるでしょう」


私は、続けた。


「家族が死に、傷つき、苦しむことになるでしょう。故郷は焼かれ、大切なものが奪われるかもしれません」


兵士たちは、じっと私を見つめていた。


「今から私たちは、絶望的な兵力差の中へ突撃します」


私は、はっきりと言った。


「私たちは、おとりです。捨て石となります」


兵士たちの間に、緊張が走った。


「敵の急所を突き、その軍勢を混乱させる。そうすれば、我が軍は持ちこたえられるでしょう」


私は、地図を示した。


「狙うのは、敵の指揮と補給を支える要所です。そこを叩き、敵の進軍を止めます」


兵士たちは、真剣な顔で地図を見つめていた。


「その間に、シルバー王国からの援軍が到着すれば、勝機が生まれます」


もっとも、援軍が来るまで私たちが生きている保証はない。


私は、正直に伝えた。


「間違いなく、死を覚悟しなければならない戦いになります」


それでも。


「私は、すでに覚悟しています」


私は、兵士たちを見渡した。


「あなたたちにも、守りたいものがあるでしょう。死を覚悟した者だけ、私についてきなさい」


しばらく、誰も動かなかった。


当然だ。


死ぬかもしれないのだから。


私は、それでよいと思った。


無理に連れていくつもりはない。


ところが。


「俺は行きます!」


一人の兵士が声を上げた。


「私も!」


「家族を守れるのなら!」


次々に声が上がった。


百人の兵士たちは、皆、私についてくると言った。


私は、胸が締めつけられる思いがした。


そして、初めて気づいた。


この百人を、死地へ連れていこうとしているのは私なのだ。


彼らにも家族がいる。


愛する者もいるだろう。


皆、生きて帰りたいはずなのだ。


その命を、私が預かっている。


なんと重いのだろう。


私は、思わず目を閉じた。


シェーラ様。


あなたは、いつもこのような思いをしていらっしゃったのですか。


いくつもの戦場で。


あの五千崩しで。


私たちに背中を見せてくださったとき、どれほどの命を背負っていたのだろう。


私は、初めてその重さを理解した気がした。


そして、思った。


シェーラ様は、一体何のために戦っていらっしゃったのだろう。


国のため?


民のため?


それとも、あの方にも、命に代えて守りたい大切なものがあったのだろうか。


私は、目を開けた。


百人の兵士たちが、私を見つめていた。


その目には、覚悟があった。


死を諦めた目ではない。


大切なものを守ろうとする者たちの目だった。


私は、込み上げる思いを飲み込んだ。


この百人を、無駄死にさせてはならない。


たとえ捨て石となる覚悟が必要でも、最後まで生きて帰る道を探そう。


それこそが、命を預かった者の責任なのだから。


「出陣!!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


私は、馬にまたがった。


長年、屋敷で大切にしてきた老練な馬だった。


決して若くはない。


駿馬のような速さもない。


だが、険しい道を進むには、若くて速いだけの馬より、経験豊かな馬の方が頼りになる。


「頼むわよ、相棒」


私は、その首を撫でた。


馬は、静かに鼻を鳴らした。


私は、司令部を出発した。


背後から、百人の騎兵たちが続いた。


目指すのは、敵軍の側面にある険しい山道だった。


まともな軍勢なら、まず選ばないような道である。


だからこそ、敵の警戒が薄い。


私は、馬を進めた。


険しい坂を上り、細い道を抜ける。


馬が一列になって、ようやく通れるような場所もあった。


若い兵士たちは、必死に私についてきた。


私は、昔のことを思い出した。


シェーラ様の背中を追いかけていた、あのころの自分。


あのときも、こんな気持ちだっただろうか。


必死だった。


ただ、置いていかれないように。


あの方の背中を見失わないように。


私は、思わず笑ってしまった。


まさか、今度は自分が先頭に立つ日が来るとは。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


やがて、目的の場所へ到着した。


眼下には、敵軍が広がっていた。


数え切れないほどの兵士たち。


軍旗が翻り、補給の荷車が列をなしている。


だが、彼らはまだ、こちらに気づいていなかった。


私は、静かに息を吸った。


やはり、思ったとおりだ。


敵軍の前線と本陣をつなぐ街道の合流地点。


そこには伝令が行き交い、補給物資を積んだ荷車が集まっていた。


ここを潰せば、敵の指揮も補給も大きく混乱する。


さらに、その背後には急な斜面と狭い通路が続いていた。


突然攻撃を受ければ、大軍であることがかえって足かせになる。


そして、私たちが通ってきた山道。


ここを押さえておけば、敵の追撃を防ぎながら撤退することもできるはずだ。


もちろん、すべてが思いどおりに進むとは限らない。


それでも、勝機はある。


私は、百人の兵士たちを見渡した。


皆、恐ろしいほど緊張していた。


無理もない。


目の前には、絶望的な数の敵がいるのだ。


私は、ゆっくりと口を開いた。


「皆、聞きなさい」


百人が、私を見た。


「敵は、まだ私たちに気づいていません」


私は、槍を構えた。


「今から、奇襲をかけます」


兵士たちが息をのんだ。


「怖いでしょう」


私は、静かに言った。


「恐ろしいでしょう」


誰も答えなかった。


「ですが、安心なさい」


そして、あの言葉を口にした。


「私の背中を追いなさい」


その瞬間、私は、胸が熱くなるのを感じた。


まさか、自分が、この言葉を口にする日が来るなんて。


何十年も前、若い私に、シェーラ様がかけてくださった言葉。


あの方の背中を追いかけて、私は戦場を駆け抜けた。


そして、今。


私は、百人の兵士たちに背中を見せようとしている。


シェーラ様。


少しは、あなたに近づけたでしょうか。


私は、槍を高く掲げた。


そして、腹の底から声を張り上げた。


「我が名は、リネン!」


兵士たちの視線が集まった。


「かつてシルバー王国軍、大将軍シェーラ様の直属部隊に属した者!」


私は、馬を走らせた。


「迅雷隊のリネン、参る!!」


その叫びとともに、私は敵陣へ突撃した。


百人の兵士たちが、後に続いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


奇襲は成功した。


敵軍は、まさかあの険しい道から攻撃を受けるとは思っていなかったらしい。


突然現れた騎兵たちに、敵兵は浮き足立った。


私は、最初から敵の全軍を相手にするつもりなどなかった。


狙いは、一点だった。


敵の指揮と補給を支える要所。


そこだけを叩けばよい。


私たちは、一気に突入した。


敵兵が倒れた。


命令を伝える兵士たちが逃げ惑う。


補給の荷車が道をふさぎ、後続の部隊が立ち往生した。


運ばれていた物資が散乱し、伝令たちも行き場を失っていた。


これでは、前線の部隊へ命令を届けることも、必要な物資を送ることも難しいだろう。


敵軍は、何が起きたのか理解できなかったのだろう。


あちらこちらで混乱が広がった。


大軍で攻撃されたと勘違いした部隊が後退する。


後方の部隊は、その理由が分からず前進する。


狭い道で両者がぶつかり、さらに混乱が大きくなる。


私は、その様子を見ながら命じた。


「深追いしてはいけません!」


兵士たちは、すぐに従った。


「こちらへ!敵の動きが止まる場所を狙いなさい!」


私は、槍を振るった。


何十年ぶりだろう。


身体は、昔のようには動かない。


腕が重いし、息も苦しい。


わずかながら無属性の身体強化魔法を使っているが、若いころのようにはいかなかった。


それでも、頭の中には戦場の全体が浮かんでいた。


敵が次にどう動くのか。


どこで混乱が広がるのか。


どの地点を押さえれば、敵の動きが止まるのか。


見える。


私には、見えていた。


シェーラ様。


あなたが見いだしてくださった才能は、まだ私の中に残っていたようです。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


だが、戦いは簡単ではなかった。


敵軍が混乱から立ち直り始めたのだ。


一部の部隊が、こちらへ向かってきた。


「隊長!敵が!」


「分かっています!」


私は、部隊の進路を変えた。


ここで囲まれれば終わりだ。


あと少し。


あと少しだけ、敵を引きつければよい。


そのとき、一人の若い兵士が敵の攻撃を受けそうになった。


私は、反射的に馬を進めた。


「危ない!」


槍を突き出し、敵兵を退けた。


だが、その瞬間。


激しい衝撃が走った。


左腕だった。


敵兵の攻撃が、私の左腕を深く傷つけた。


思わず顔をしかめた。


だが、止まるわけにはいかない。


私は右手で槍を握り直した。


「隊列を崩してはいけません!」


兵士たちが、私の声に応えた。


そして、ついに、敵軍の混乱は収拾できないほどに広がった。


大軍は、大軍であるがゆえに動けなくなった。


指揮系統は乱れ、部隊同士が互いの進路をふさぎ、後退する兵がさらに混乱を招いた。


補給の荷車が立ち往生したことで、前線への物資輸送も滞っている。


敵軍は、態勢を立て直すまで進軍を続けることが難しくなったのだ。


私は、ようやく息をついた。


これでよい。


これならば、持ちこたえられる。


シルバー王国からの援軍が到着するまでの時間を稼げる。


そう確信した。


私は、兵士たちに命じた。


「目的は果たしました!これ以上は戦いません!全員、私についてきなさい!」


私たちは、敵の混乱に乗じて、来た道を引き返した。


追撃してくる敵兵もいたが、狭い山道では大軍を展開できない。


あらかじめ退路として考えていた道である。


後方を警戒する兵を配置し、負傷者を守りながら進んだ。


敵が追いついてきても、狭い場所なら少数で食い止められる。


私たちは、互いを守りながら撤退した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


その後の戦いは、驚くほどあっけなく終わった。


敵軍は、指揮と補給を支える要所を襲われたことで、大きな混乱に陥っていた。


そのため、当初の進軍を続けられなくなったのだ。


その間に、息子の指揮する我が軍は守備を立て直した。


後退していた部隊が集まり、防衛線が再び整えられていった。


そして、ついにシルバー王国からの援軍が到着した。


立て直しもできないまま援軍を迎え撃つことになった敵軍は、次々と敗走した。


我が国は、救われたのである。


そして、奇跡のようなことが起きていた。


百人の兵士たちが、誰一人として死ななかったのだ。


もちろん、負傷者はいた。


だが、全員が生きて帰ることができた。


私は、その報告を聞いたとき、思わず涙を流した。


よかった。


あの百人を死地へ連れていったのは、私だ。


その百人が、全員生きて帰れた。


こんなに嬉しいことはなかった。


私は、天を仰いだ。


シェーラ様。


あなたが背中を見せてくださった意味を、私は少しだけ理解できた気がします。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


治療を終えて軍の司令部へ戻ると、息子が駆け寄ってきた。


「母上!」


その顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。


「ご無事で……本当によかった……!」


私は、笑った。


「何を泣いているの。指揮官がそんな顔をしてはいけませんよ」


「ですが……!」


息子は、私を抱きしめようとした。


そして、突然動きを止めた。


「……母上?」


「何?」


「その腕は……?」


私は、左腕があった場所に目を向けた。


戦いの途中で負った傷は、思いのほか深かった。


戦いが終わった後、治療を受けたものの、左腕を切断するしかなかったのである。


息子の顔が、真っ青になった。


「母上……!」


私は、困ってしまった。


そんな顔をされても、どうしようもない。


「これ?」


私は、右手で残った肩のあたりを示した。


そして、笑った。


「喜びなさい」


息子は、呆然としていた。


「老いぼれの腕一本で、この国を救えたのよ?」


私は、胸を張った。


「大戦果だわ」


息子は、泣き崩れた。


私は、少し困ってしまった。


そんなに泣くことだろうか。


確かに、腕を失ったのは残念だ。


だが、百人の兵士たちは、皆生きて帰れた。


国も守れた。


息子たちも、娘も、孫たちも無事だ。


それなら、これ以上望むことなどない。


私は、そっと息子の頭を撫でた。


右手で。


「よく頑張ったわね」


そう言うと、息子はますます泣いてしまった。


困ったものである。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


戦いが終わった後、私は再び王宮へ呼び出された。


国王陛下は、私の姿を見るなり、大きく息をついた。


「……また、そなたに国を救われたな」


私は、頭を下げた。


「もったいないお言葉でございます」


「王都を守り、今度は国の存亡をかけた戦いを救った。これほどの功績を挙げた者は、そうおるまい」


陛下は、しばらく私を見つめた。


そして、おっしゃった。


「今度こそ、そなたを公爵にしたい」


私は、驚いた。


また、その話である。


「陛下。ありがたいお言葉ですが……」


「断るつもりか?」


「はい」


陛下は、額に手を当てた。


「そなたも、強情だなあ」


そして、苦笑された。


「これで断られるのは、二度目だぞ」


私は恐縮した。


「申し訳ございません」


だが、やはり私には、公爵位など恐れ多い。


私は、伯爵夫人で十分だった。


愛する夫が与えてくれた、私の大切な居場所だったのだから。


陛下は、最後には諦めたように笑った。


「分かった。そなたの望むようにしよう」


私は、深々と頭を下げた。


そして、陛下は、もう一つのものを私にお与えくださった。


「シルバー王国から、そなたに書面が届いておる」


「……シルバー王国から?」


私は顔を上げた。


「大将軍シェーラ様からだ」


私は、息をのんだ。


シェーラ様から?


あの方が?


私に?


震える右手で、書面を受け取った。


そこには、懐かしい文字が並んでいた。


私の戦いを知ったシェーラ様が、お褒めの言葉を送ってくださったのだ。


私は、何度も読み返した。


何度も。


何度も。


そして、最後の言葉を見たとき。


涙が止まらなくなった。


『私の背中を追いなさい』


私は、書面を胸に抱いた。


シェーラ様。


ありがとうございます。


私は、あの日のことを思い出した。


家族から死ぬことを望まれ、軍へ入った私。


自分には生きる価値などないと思っていた私。


そんな私に、あの方は言ってくださった。


「私の背中をただ追えば良い」


私は、その言葉を信じて生きてきた。


そして今。


あの方から、褒めていただけた。


公爵位よりも。


国王陛下からの褒賞よりも。


私には、この書面の方がはるかに価値があった。


私は、いつまでもそれを抱きしめていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


私は、この戦争を境に表舞台から姿を消した。


国の人々は、私のことを「国の至宝」と呼ぶようになった。


ある者は、王都を救った英雄と呼んだ。


軍人たちは、百人の決死隊を率いた女傑と呼んだ。


ありがたいことだ。


だが、私はもう、戦場へ出るつもりはなかった。


左腕も失った。


年も取った。


そろそろ、静かに暮らしてもよいだろう。


私は、再び屋敷の庭で日なたぼっこをするようになった。


息子たちは、相変わらず私を気遣ってくれる。


娘も、よく顔を見せに来てくれた。


孫たちも、元気に走り回っている。


私は、その姿を眺めながら、ゆっくりとお茶を飲む。


時折、昔のことを思い出した。


シルバー王国の戦場。


迅雷隊の仲間たち。


五千崩し。


夫との出会い。


結婚。


四人の子供たち。


王都を守った日。


そして、最後の戦い。


ずいぶんと、いろいろなことがあった。


私は、ふと笑ってしまった。


男爵家にいたころは、自分には何の価値もないと思っていた。


戦場で死んでしまえばいいと思っていた。


それなのに、今、私はこうして生きている。


大勢の家族に囲まれて。


幸せな日々を過ごしている。


不思議なものだ。


私は、空を見上げた。


シェーラ様。


あの日、私を選んでくださって、本当にありがとうございました。


あなたの背中を追いかけたこと。


それが、私の人生の始まりだったように思います。


そして、あなたに教えていただいたものを、私は最後まで守れたでしょうか。


私は、そっと目を閉じた。


暖かな日差しが、頬に当たっていた。


ああ。


今日は、本当にいい天気だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから、30年後。


かつて「国の至宝」と呼ばれた女傑は、静かに息を引き取った。


その最期は、穏やかなものだったという。


三人の息子と一人の娘。


そして、多くの孫やひ孫たち。


大勢の家族に囲まれ、惜しまれながら、この世を去った。


かつて、家族から死ぬことを望まれていた少女。


その少女は、長い人生を生き抜き、最後には多くの家族に愛されながら旅立った。


彼女の戦歴は、のちの世まで語り継がれた。


人々は、彼女の戦功を称えた。


数多くの軍人が、その戦術を学んだ。


歴史家たちは、彼女の功績について書き残した。


だが、彼女自身が何を最も誇りにしていたのか、それを知る者は、決して多くなかった。


彼女が亡くなった部屋には、一領の古びた鎧が大切に保管されていた。


シルバー王国軍、大将軍シェーラ直属の近衛部隊の一つ、迅雷隊の鎧である。


そして、その傍らには、一枚の書面があった。


大切に保管されていた書面には、あの大将軍からの言葉が記されていた。


『私の背中を追いなさい』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。