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第0話 マフィアの俺が、守りたいもの

「た、助けてくれ……」


 泣きながら、哀れに命乞いをする一人の男。


 奴は、裏社会で悪名を轟かせる犯罪組織の頭だった。


 これまで何人もの人間を傷つけ、弱い者から金を奪い、逆らう者には容赦なく暴力を振るってきた。


 俺は、そんな男を目の前にしていた。


「貴様は……やりすぎた。」


 俺は日本刀をゆっくりと構える。


 この男が今まで何人の人間を泣かせてきたのか。


 何人の人生を壊してきたのか。


 俺には、その全てを知る必要なんてない。


 目の前にいる男が、これ以上誰かを傷つける人間だということ。


 それだけで十分だった。


「地獄で反省しておけ。」


「や、やめっ――」


 次の瞬間。


 俺は命乞いを聞くことなく、日本刀を振り下ろした。


「ガハァアアアアア!」


 男の叫び声が、夜の闇へと消えていく。


 俺は何も感じなかった。


 怒りも、恐怖も、罪悪感もない。


 ただ、自分がやるべきことを終えただけだ。


 裏社会に身を置いていれば、こういう場面には何度も遭遇する。


 綺麗事だけでは、誰かを守ることなんてできない。


 誰かを守るためには、時として誰かを止めなければならない。


 俺は、そういう世界で生きている。


 これが――


 俺、不知火奏の日常だった。


 男が倒れたのを確認し、俺は日本刀を鞘へ収めた。


「……終わったか。」


 その時、背後から足音が聞こえてきた。


「不知火。」


 振り返ると、そこには一人の男がいた。


 黒のスーツにトレードマークの白いハット。


 緑のハイライトがかかった白い髪。


 エアロの幹部、山川和真。


 俺とは同い年で、昔からの付き合いだ。


 俺はこいつのことを「カズ」と呼んでいる。


「遅かったな。」


「悪い。ちょっと手間取った。」


 カズは倒れている男を一瞥する。


「こいつが例の犯罪組織の頭か?」


「ああ。」


「……一人でやったのか?」


「他に誰がいる。」


「まあ……そうだよな。」


 カズは呆れたようにため息をついた。


「相変わらずだな、お前。」


「何がだ。」


「やることが早すぎるんだよ。」


 俺は返事をせず、その場を後にする。


 カズも俺の隣を歩き始めた。


 こいつとは長い付き合いだ。


 エアロを立ち上げた頃から、ずっと俺の隣にいる。


 俺が無茶をすれば止める。


 俺が判断を誤れば意見を言う。


 そして、俺が何も言わなくても、ある程度は察してくれる。


 だからこそ、俺はカズを信用している。


 そんなカズが、歩きながら口を開いた。


「それにしても、こいつらも運が悪い。」


「自業自得だ。」


「まあな。」


 カズは少しだけ笑った。


「薬物、人身売買、一般人への暴行……。エアロのルールを何一つ守る気がなかった連中だ。」


「だから潰した。」


「そうだな。」


 俺たちはそのまま歩き続ける。


 俺がトップを務める、静岡の巨大マフィア『エアロ』。


 裏社会にいる人間なら、一度くらいはその名前を聞いたことがあるだろう。


 だが、俺たちは他の組織と同じようなやり方で勢力を広げてきたわけじゃない。


 エアロには、いくつかの絶対的なルールがある。


 『無関係な人間を巻き込まない。』


 『弱い者を狙わない。』


 『薬物や人身売買には手を出さない。』


 俺たちはマフィアだ。


 綺麗な人間の集まりじゃない。


 必要ならば、俺自身も人を斬る。


 それでも、越えてはいけない線はあると思っている。


 裏社会にいるからこそ、その線を守らなければならない。


 力を持つ人間が、弱い人間を好き勝手に踏みにじっていい理由にはならない。


 俺はそう考えている。


 ……まあ、こんなことを組織の外で言えば、笑われるかもしれない。


 「マフィアが何を偉そうに」とな。


 それでも構わない。


 俺には、俺なりのやり方がある。


 それが気に入らない奴には、好きにすればいい。


 ただし――


 エアロのルールを破った奴は、俺が許さない。


「そういえば、不知火。」


「なんだ。」


「今日はこの後、予定あるか?」


「……ない。」


 軽く返した俺の一言を聞くと、カズがニヤッと笑った。


「嘘つけ。」


「何がだ。」


「結愛さんとの約束、あるだろ。」


「……。」


 俺は黙り込んだ。


 そういえば、今日は結愛と会う約束をしていた。


 仕事のことを考えているうちに、頭の隅へ追いやっていたらしい。


「もしかして……大切な彼女との約束を、忘れてたか?」


「忘れてねえよ。」


「じゃあ、なんでそんな顔してんだよ。」


「うるせえ。」


 俺はポケットから携帯を取り出す。


 画面を見ると、結愛からメッセージが届いていた。


『奏君、今日って暇?』


 その下には、もう一通。


『もし暇だったら、一緒にご飯食べに行かない?』


 俺は少し考えてから返信する。


『分かった。何時だ?』


 送信してから、数秒。


 すぐに返信が来た。


『やった!』


 たった一言。


 それだけなのに、なぜか少しだけ気持ちが軽くなった。


 さっきまで仕事のことで頭がいっぱいだったのに、不思議なもんだ。


「……ったく。」


「どうした?」


「何でもねえ。」


 携帯をポケットにしまう。


 カズが横から俺を見る。


「お前、本当に結愛さんのことになると分かりやすいな。」


「黙れ。」


「はいはい。」


 カズは笑っている。


 俺はそんなカズを無視して歩き続けた。


 俺にとって、裏社会は日常だ。


 抗争も、裏切りも、血を見ることも珍しくない。


 明日になれば、また誰かが敵になっているかもしれない。


 それが、この世界だ。


 だが――


 結愛と過ごす時間だけは、少し違う。


 彼女といる時だけは、俺が裏社会の人間だということを忘れられる。


 くだらない話をして。


 飯を食って。


 たまにくだらないことで言い合って。


 そんな普通の時間が、俺には妙に心地よかった。


「不知火。」


「なんだ。」


 カズが少しだけ真面目な声を出す。


「……幸せそうだな。」


「は?」


 俺が振り返ると、カズは前を向いたまま笑っていた。


「いや、何でもねえよ。」


「……意味分かんねえ。」


 俺は小さく息を吐く。


 だが――


 否定する言葉は、なぜか出てこなかった。


 カズと別れ、俺は結愛との待ち合わせ場所へ向かった。


 この時の俺は、まだ知らなかった。


 この何気ない日常が、俺にとってどれほど大切なものになるのかを。

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