34話 球技大会①
師匠たちが帰った後、私――高瀬澪――はコートの真ん中で打ち震えていた。
――私は今、人生の分岐点に立っているのかもしれない。
師匠が放ったあのサーブ。
あれは、私がずっと追い求めていた“理想”そのものだった。
トスの高さ。ジャンプの躍動感。腕のしなり、指先のスナップ。
どれをとっても完璧で、まさに至高の存在。
あんなフォームをこの目で見られるなんて――。
あぁ師匠。一体どんな研鑽を積めば、あんな一撃が打てるのですか……。
思わず両手を胸の前で握りしめる。鼓動が早い。
これが、憧れというものなのだろうか。
私は小さい頃から人よりも背が高くて、嫌でも目立った。しかも無愛想で、表情も固い。それだけで、同年代の子たちには少し浮いて見えたのだと思う。
「巨人だー。喰われるぞー」
当時流行っていた漫画のせいで、随分からかわれた。男の子が苦手になったのは、その頃からだ。
どこでなにをしていても、私には居場所がなかった。
ある日、そんな私を心配してくれた姉様が声をかけてくれた。
「澪はさぁ、そんなに大きいんだから私と一緒にバレーしようよ」
バレーなんて特に興味はなかったけど、姉様がせっかく誘ってくれたので仕方なく参加した。
でも、私はそこで必要とされた。
「澪ちゃんすごい!」
「背が高いの羨ましい」
私は生まれて初めて自分の身長を誇らしく思った。どんどんバレーを好きになっていった。姉様もとてもバレーが上手だった。
……でも教えるのが絶望的に下手だった。
「勢いでなんとかなる! こぉ、ぐおーって感じ」
説明になっていないけれど、なぜか不思議と楽しかった。
姉様は明るくて、優しくて、いつも笑っている。
たまに調子に乗って失敗するけど、そんな姿も全部好きだった。私にはない“眩しさ”を、姉様は持っている。
私が交友関係の相談をしたときも――。
「大丈夫だよ。澪はすっごくいい子だからさ。正直に自分をぶつければ、きっとわかってもらえるよ」
その言葉は、今でも胸の奥で光っている。
だけど――今日、初めてわかった。
男の人なんてみんな同じ顔だと思っていたけど、違った。
あの瞬間だけは、師匠しか見えなかった。
ボールの軌道も、音も、風の流れさえも――全部、彼の世界だった。
この胸の高鳴りは……なんでしょう?
初めての感覚だった。彼のことが知りたい。もっと知りたい。
「澪〜。まだ練習してるの?」
練習場の扉が開いて、姉様が顔を出した。夕陽を背にして笑うその姿が、やけに輝いて見える。
「はい、今日の師匠の動きを忘れない為に。……姉様、師匠……神崎さんってどんな人ですか?」
「どんな人って……うーん、筋トレ馬鹿?」
――筋トレ、馬鹿。
私の理想のフォームを打つ師匠が、筋トレ馬鹿……?
なるほど、確かに初めて見たときは体幹強そうだな……とは思いましたが……。
「あっ、もしかして澪……翼のこと狙ってる?」
「狙うとはよく分かりませんが、気になります」
……やはり、直接確かめなければ。
「厳しいと思うよ。翼は麗のこと――」
姉様はなにか言っていたけど、私の耳には届いていなかった。この気持ちがなんなのか、直接会って確かめたい。
ただそれだけしか考えられなかった。
* * *
――球技大会の朝。
教室は朝からざわついていた。
各クラスがゼッケンをつけたり、応援の紙を貼ったりしていて、普段の教室とはまるで別世界だ。
俺――神崎翼――は自分の席で、なんとなく落ち着かず視線をキョロキョロと飛ばしていた。
……こういうイベント、苦手なんだよな。
汗ダルマと呼ばれていた中学時代、クラスが団結するようなイベントでは良い思い出がない。
でも今は違う。クラスには気軽に話しかけてくれる駿がいて、明るく場を回す高瀬がいて――。
そして。
月城さんがいる。
ふと視線を向けると、月城さんは机の上に置いてあったチーム表を見ながら、そわそわと落ち着かない様子で俺の方をチラと見た。
「か、神崎君、今日は頑張ろうね」
「せ、せめてクラスの足を引っ張らないように頑張るよ」
「神崎君、バレーあんなにできたんだから、バスケもきっと上手だよ……私に嘘ついたもんね……」
彼女が言っているのは高瀬の家で俺が放ったバレーサーブのことだろう。あのときも嘘つきと言われたが、まだ根に持っていたのか……。
「いや、ごめん。嘘をついたつもりはないんだ。あのときはイメージ通りに身体を動かせただけで、俺自身も驚いたんだ!」
「ふふ。うん。わかってる。ちょっと羨ましくって、イジワルしちゃっただけなの。神崎君カッコよかったよ……」
「へっ?」
思わず、間抜けな声を上げてしまった。今……カッコいいって言われた? 俺が? 月城さんに? やばい。嬉しい……。
「私は澪ちゃんにいっぱい教えてもらったけど、やっぱり緊張するよ。ちゃんとできるかな……」
「ちゃんとできなくていいんだよ。澪ちゃんも言ってたけど、力み過ぎないように。周りのことは気にしないで楽しんできたら良いと思う」
「そ、そっか。そうだったね。ありがとう神崎君、なんだかいけそうな気がしてきたよ! 応援よろしくお願いします!」
「あれ? いいの? この前は絶対見に来たらダメって言ってたのに」
「……うん。前はね。でも、一緒に練習したし、やっぱり応援して欲しいなって思っちゃって……ダメかな?」
月城さんは両手をモジモジさせて上目遣いでお願いしてくる。
それ反則! 絶対に断れないだろ。まぁ断るつもりなんかないけども。
「ダメじゃない! 必ず行くよ」
俺たちの会話がひと段落したのを見計らったように高瀬の声が廊下から響いた。
「麗ー! 集合時間だって。いくよー」
「はーい! じゃあ、いってくるね」
「ああ。頑張って」
月城さんはバレーに出場するクラスの女子数名と行ってしまった。
あの様子なら大丈夫だろう。俺も精一杯頑張ろう。そう思っていたら――。
「やっぱり、応援して欲しいよ……ダメかな?」
駿が、似ても似つかない月城さんの声真似をしながら、にじり寄ってきた。
「駿、聞いてたのか。あと俺の青春を汚すのやめろ」
「ハハ。悪い悪い。そんなゲスを見るような目で睨むなよ。翼のときめきをプレイバックしただけじゃん」
「お前のせいでときめき消えたぞ」
「いやー、イチャイチャしてたからついからかいたくなってさ」
「イチャイチャしてない。聞いてたんだろ。緊張してたから励ましただけだ」
口では否定してるけど、心臓のバクバクはぜんぜん収まってない。
月城さんの顔、近かったな……とか、思い出した瞬間さらに恥ずかしくなる。
「……翼、お前ほんとたくましくなったな。前はオドオドしてて面白かったけど、今じゃばっちし月城さんと会話できてるぞ」
駿がぽん、と背中を軽く叩いた。その一言が、妙に胸にしみる。
たぶん、あの日の俺なら今日の会話さえできてなかった。
ここまで来られたのは――。
「……それは高瀬と駿のおかげだよ。ほんとに感謝してるんだ」
「お、素直じゃん。翼はよく頑張ったよ。今日の球技大会も頑張って月城さんにいいとこ見せろよ?」
「が、頑張るよ」
「よぉーし! じゃあバレーの応援行こうぜ。早く行かねぇと月城さんが待ってるぞ」
駿がぐいっと俺の肩を押す。
その勢いに乗るようにして、俺も立ち上がった。胸の奥が、さっきとは別の意味であったかい。
「ああ……行くか」
廊下の先に見える体育館の屋根が、やけに大きく見えた。
――月城さんの応援。
言われなくても行くつもりだったけど、こうして友達に背中を押されるのも悪くない。
駿に軽く小突かれながら、俺たちは体育館へ向かった。
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