11話 隣の席の美少女が睨んでこない
俺は自分の席で、机に肘をつきながらぼんやりしていた。月城さんは教室の隅で数名の女子達と笑い合っている。
その姿はいつも通りなのだが、昨日の抱きつき事件が気まずくて、今日は彼女と挨拶さえもできていない。
前から睨まれていたから気まずかったのだが、雰囲気が違う。俺のことなんか眼中にないという感じだ。睨まれてもいないけど、それは俺のことなんか見ていないということでもある。
なんとかしないといけないのはわかってる。でも、今は高瀬の“モテ会話マスター講義”にすがるしかない。
当の高瀬は、男女問わず誰にでも自然に帰りの挨拶をしている。まるで息をするみたいに、微笑んで、みんなを笑顔にする。
そうして、一通り挨拶を終えると“高瀬先生”が満面の笑み……というかニヤニヤしながら俺のところにやってくる。
「翼、今日はいよいよ実践だよ!」
笑顔でそう言うと、高瀬は俺の席に両手をついて前のめりになる。そのふくよかな胸と、女の子の匂いが脳を沸騰させる。
「今日の課題は“クラスの女子と自然に会話すること”!」
昨日の屋上での特訓を思い出す。声の出し方、目線、相槌、質問――全部、実践で試すチャンスだ。
「さあ、ターゲットはあの子! 翼。いってこーい!」
高瀬の指差す先には、前髪ぱっつんでほんわかした雰囲気の女子――佐伯さん。教室でもあまり目立たないおっとり系だ。
自分と高瀬のテンションの違いに不安になるが、覚悟を決める。深呼吸をひとつして、頭の中で昨日の練習を反芻する。
「えっと……佐伯さん、プリントまとめてるんだね」
低めの声を意識して、裏返らないように慎重に言う。
「あっ、神崎君。はい、ちょっと整理してて……」
優しげな返答にひとまず安心する。よし、質問だ。女の子は話したい生き物なんだよな? れ、練習通りに……。
「そっか。ちなみに――そのプリントは何の教科?」
「えっ? あ、えっと……数学です」
「数学か! あれ、ちょっと難しかったよね。俺も正直ついていくのがやっとで……」
「わかります! あの公式、覚えるの大変でしたよね」
――自然に会話が続いている。勢いに乗って、さらに話題を広げてみる。
「佐伯さんって、数学得意そうに見えるけど……部活はどこに入ってるの?」
「実は文芸部なんです。数学はあまり得意じゃなくて……」
「文芸部か、いいね! どんな活動してるの?」
佐伯さんが少しだけ目を輝かせ、部活の話を語り出す。俺は相槌を打ちながら、時折質問を挟む――まるで高瀬に操られているかのように、スムーズに会話が続いた。
「あっ! ごめんなさい神崎君。私もう行かないと……」
あれ!? 俺、なんか気に障るようなこと言ったかな……。少しずつ感じた自信が急に崩れていくような気がした。
「あっ……うん。ごめんね佐伯さん。忙しいのに」
佐伯さんは教室を出る直前、ふと立ち止まり、少し頬を赤くして緊張しているようだった。
「ごめんなさい。部活行かないとダメなんです……。でも、またお話ししたいです」
そう言うと、彼女は軽やかに去っていった。
俺はぽつんと取り残される。けれど、心の中では手応えと安堵が広がっていった。
「いい感じだったよ、翼!」
「お、おう……」
「佐伯さん、またお話ししたいですだって! かわいくない!? あれは惚れられたわ……」
「そんな訳ないだろ。俺に惚れるなんて、絶対にない」
「こら! 昨日、モテ男は自分に自信を持つことって、教えたでしょ! なんて言うの?」
俺のモテ男思考がフル回転する。えーっと、自信に満ち溢れたセリフは……。
「……責任……取るよ?」
「ぶっ! あはははは。なにそれ〜展開早すぎるでしょ! まぁ確かにそれぐらい自信あったらいいんだけどさ」
やっぱり、早いのか……。青春ラブコメの主人公が言いそうだが……自分に自信を持つというのは難しい。
「で、さっきの佐伯さんとの会話なんだけどさ。最初の入りは完璧だったし、笑顔も自然! でもね、質問のパターンがまだ偏ってたかな。さっきは何部なの? どんなことするの? って繰り返してたでしょ? 会話は広げ方が大事。次は、質問と自分のちょっとした話を混ぜてみると、もっと自然になるよ」
「……なるほど」
高瀬先生の的確なアドバイスに驚く。なんだか心理学の先生のように理路整然としている。
「でも、最初にしては上出来だったよ。やるじゃん!」
笑顔を向けられて、急に恥ずかしくなった。そりゃあこんな美人が褒めてくれるんだ。良い気分になるに決まってる。実際、高瀬の容姿はとても整っている。十人に聞けば全員が美人だと言うだろう。マジでかなりモテるらしい。
少し話しみて分かったのだが、リアルな陽キャは周りの人間をよく見ている。俺がコミュ障だってすぐに見抜いて力を貸してくれるし、いつだってみんなが気持ちよく過ごせるように行動している。
俺もあんな風になれたらなぁ……。いや、なるって決めたんだ。頑張ろう。
さぁ! 次の講義はなんだ高瀬!
俺が全身の筋肉からやる気を噴出していると、彼女は学生カバンを片手で肩にひょいと掛け、背中の方へ持ち上げた。軽そうな仕草なのに、妙にサマになっている。
「――あ、そうだ翼! 今日はウチちょっと用事あるから講義はなしね。ちゃんと脳内でロープレやっといて」
「えっ!? あ……あぁ、わかった」
「じゃあ。また明日ね〜」
手をひらひら振りながら、肩にかけた鞄を揺らして高瀬は去っていった。
……明日、か。
なんか妙にあっさり終わったな。ついさっきまで教室を明るくしてた人がいなくなるだけで、空気ってこんなに静かになるのか。
講義がないなら今日は帰って広背筋でもいじめるか……。
俺はロッカーから自分の鞄を取り出して、昇降口へ向かった。
* * *
少し離れた教室の隅で、私は鞄を抱えて、神崎くんと愛の会話をモヤモヤした気持ちで眺めていた。
神崎くん……。
胸の奥がズキズキと痛む。二人でなに話してるんだろう……。気になって目が離せなかった。
神崎君が今度は、佐伯さんのところに行ってなにか話している。佐伯さんは笑顔で楽しそう。すると、彼女は立ち上がり、私にも聞こえる声で言った。
「でも、またお話ししたいです」
その言葉を聞いた瞬間、私が神崎君に送ったLINEのメッセージを思い出す。
『……うん、私も、少しずつでいいからまた話したい』
ダメだ、このままじゃ……。なんのために彼と一緒の高校を選んだんだ。
昨日、彼は私が転びそうになったのを助けてくれただけなのに。抱えられたときは夢みたいで、かっこよくて、胸がぎゅーってなった。
「私、お礼も言えてない……。最低だ」
入学してから学校にいるときは隣の席に神崎君がいる。そこに……すぐ隣にいるのに……なにもできていない自分にうんざりする。
愛や佐伯さんとお話している彼を見ているのが辛かった。私だって……神崎君の隣にいたいもん……。勇気を出さなくちゃ……。
私は彼を追いかけて、昇降口へ向かった。
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