第80話 狩人の武
Side アミュゼ
「来ますかね?」
「とりあえず偵察には来るだろう。状況がはっきりしない今の段階で大部隊を動かすとは思えない」
副官の男が荒野の先を見つめながら問うと、アミュゼが同じ方向に顔を向けつつ表情を変えずにそう答えた。
ふたりの視線の先、今は豆粒程度にしか見えない距離にあるのは帝国兵の遺体だ。
「……戦士の亡骸を罠に使うのは気分の良いものではないですね」
「戦士でなくとも気分は悪い。盗賊ならさほど気にならないがな」
アミュゼたちが待っている帝国軍がいつ来るかわからないため、それまではすることもなく手持ち無沙汰だ。
しばらくは無言で荒野を見つめていたが、沈黙に耐えかねて出た話題がいささかならず気分を盛り下げるものになってしまいそこから話が続かない。
「にしても、いつものこととはいえ、押しつけられるのが面倒事ばかりというのは嫌になりますな」
「おまえたちには苦労をかける。だが、それだけに手柄を立てる機会が多いと考えればそこまで悪いことではない」
なんとも言えない微妙な空気を変えようとしたのか、副官の男がことさら明るい調子で愚痴をこぼすと、アミュゼも苦笑を浮かべて肩をすくめて見せた。
「噂では王宮の中もあまり穏やかな様子ではないとか。妹君のためにも殿下は足場を固めなければなりませんからな」
「ああ。俺だけなら別に辺境で武官でもしていれば良いし、最悪でも他国に逃げればどうとでもなるが、カルーセやミリア妃はそうもいかん。せめてあのふたりには穏やかに過ごしてもらいたいものだ」
アミュゼとカルーセは異母兄妹という関係だが、異民族の出だったアミュゼの母は王宮では蔑みの対象となっていた。そんな母に親しく接していた唯一の存在が第7側妃のミリアで、カルーセはその娘だ。
ミリアは子爵家出身で実権を持った後ろ盾がなく、側妃とはいっても王宮でも微妙な立場にある。
カルーセは王女として有力貴族と姻戚を結ぶためだけの存在価値しか認められておらず、いずれは王命によって高位貴族に嫁がされることになると言われている。
アミュゼにとってこのふたりだけが心を許せる人物であり、蔑まれ、利用され続けていてもいまだ王宮に留まっている理由だ。
だからこそ、アミュゼの地位が高くなり権力を持つようになればふたりの王宮での立場も強化されることになるのだ。
「なんにしても、今はとにかく武功を重ねるしかない。ようやく旅団を自分の裁量で動かせるようになったのだからな」
アミュゼの旅団はまだファンル王国の他の旅団と比べてわずか2割強の規模でしかないが、人事権は持っているので余計な横やりを受けることも少ない。もちろんないわけではないが。
今は小さな武勲を積み重ねて予算を増やし、規模を拡大していくことが最優先だ。
結果としてそれが影響力を高めていくことに繋がり、その分だけアミュゼとカルーセ親娘の立場を守ることになる。
「まぁ、我々も長生きしたいですからね。殿下には出世してもらいたいものですが……っと、どうやらお客さんですよ」
言葉の途中で副官の男は表情を厳しいものに戻す。
「いち、に、30人、分隊が2~3ってところか。……半数が歩兵?」
荒れ地の先からキラリキラリと光が明滅しているのが見える。広く分散して配置した見張りからの信号だ。
音や狼煙と違い、磨き上げた金属板の反射を使った信号は相手から悟られる恐れがほとんどない。
「さすがは歴戦の指揮官が守る砦だな。誰も帰還しなかったことで遠距離からの包囲攻撃を受けたと察したんだろう。歩兵に大楯を持たせているはずだ」
「遠見水盤を用意しろ!」
忌々しげにアミュゼが舌打ちするが、これも想定の範囲内だ。
2分隊が伝令も出せずに全滅した可能性を考慮すれば罠か遠距離からの攻撃に備えるのは当然のことだ。
副官が指示をすると、すぐに数人の兵士が木枠で作られた土台と水の入った桶を設置した。
準備が整うと、今度は杖を持った魔法使い然とした初老の男が土台に設えられた水晶球に手を添えて朗々と呪文を唱えはじめる。
数瞬後、土台に彫られた文様から陽炎のように空気がゆがみ桶の水が、水だけが生き物のように持ち上がってくる。
そして直径が20cmほどの水球となり、木枠に沿って平らに広がって、やがて二枚のレンズが並んで遠くの像を映し出した。
大陸各国の軍に広く使われる遠見の鏡と呼ばれる魔法だ。
ファンル王国に限らず、魔法を使える人は多くない。
この大陸において魔法は科学であり、ごく一部の素養のある者が長い年月を勉強と修練に費やしてようやく奇跡を起こすことができる。
だが、目的に応じて様々な触媒が必要で、事前準備に手間が掛かり、さらには発動にも時間が掛かるため、直接戦闘で使用できるようなものではない。
唯一の例外は自分の魔力を使った能力強化なのだが、それすらも相当な修練が必要となるため使える者は少ない。
軍で魔法使いを使う用途は今回のような遠くを見たり、遠くの音を聴いたりすること、ある程度離れた場所から情報を伝えること、それから魔法を使った罠の設置などだ。
なので、そもそも絶対数の少ない魔法使いで軍役に従事しているのはごく少数しかいない貴重な存在でもある。
閑話休題。
遠見の鏡に映し出されたのはまだまだ小さく見える人影。
信号で伝えてきたとおり、騎兵と歩兵の小集団で、歩兵は身体がすっぽりと覆い隠せるような大楯を手にしている。
「気付いたか? 足が止まりましたね」
副官の男が呟いた直後、鏡の向こうの兵士が弓を構え、そして甲高い笛の音が彼らのところにまで聞こえてきた。
「罠に気付いた!? まさかあの距離で?」
「チッ! こちらの存在に気付かれた。総員、騎乗しろ!」
アミュゼが苦い顔ですぐに命令を下す。
と同時に、背中に冷たいものが流れるのを感じていた。
水鏡越しに先頭の一際大きな馬に跨がった男と目が合った気がする。
遠見の鏡を使ってすら表情を見ることのできない距離でそんなことはあり得ないが、確かに帝国兵はアミュゼたちの存在に気付き、すでに撤退の動きを見せている。
このままでは逃げられてしまうと思ったアミュゼと副官はすぐさま馬に乗り、同じように鏑矢で他の部下たちに合図を送った。
アミュゼは放置した帝国兵の遺体を囲むように弓兵を配置して身を隠させていた。
それらが合図に立ち上がり、一斉に帝国兵に向けて矢を放つ。
だが想定していたよりかなり前に気付かれてしまったため、長弓を使ってもギリギリ届くかどうかの距離。
山なりで自然落下程度の勢いしか無い矢はあっさりと防がれてしまうがそれでも構わない。
弓兵の矢が足止めしている間に騎兵で距離を詰める。
なりふり構わない様子で走る歩兵の周囲を騎兵が援護しているが、人の足で馬の速度に敵うはずもない。
追いつけるとさらに足を速めたアミュゼたちの機先を制するように騎兵が3ヶ所に分散して突出してきた。
「死兵だ、気をつけろ!」
アミュゼは飛び出してきた帝国兵を、自分の身を盾にして仲間を逃がそうとしていると考えて注意を促す。
死ぬつもりで向かってくる兵は恐ろしい。
まして圧倒的優位の状態で防御すら考えずに刺し違えようとする敵兵ひとりのために前線が止まることすらあり得るのだ。
だがそれはある意味見当違いな懸念だった。
真っ先に突っ込んできた、一際大きな見慣れない外見の馬に乗った小柄な男は、しかし身の丈を優に超える重厚な矛のような武器の一振りで、小部隊の指揮官を馬ごと斬り飛ばしてしまう。
「なんだあの騎士は!」
横目でそれを見ながら声には出さず口の中だけで吐き捨てるアミュゼ。
アレは他の騎兵では止められない。
だがアミュゼとは距離があり、すぐに駆けつけることもできない。
「迫ってくる2騎を処理して援護に回る!」
少しの間持ちこたえてくれることを願いつつ、すぐに気持ちを切り替えてわずか100mほどにまで近づいて来た帝国騎兵に馬首を向ける。
「行かせない!」
(女!?)
全身を覆う革鎧と面兜で顔はわからなかったが声で女性だと察したアミュゼの剣がわずかにぶれる。
そのせいで剣先は槍の柄と肩当てと兜の横を掠めただけで狙った首は繋がったままだ。いや、それだけでなく咄嗟に身を捻り致命の一撃を避けた騎兵の技量を褒めるべきか。
(女を斬りたくはないが、恨んでくれるなよ)
すぐに手綱を引き、いまだに体勢を直しきれていない女騎兵を追い、馬の後ろ足に向けて剣を振り下ろした。
が、それはまるで大岩を切りつけたかのように途中で弾かれ、それに留まらずに跳ね飛ばされた。
「何!?」
思わず驚愕の声が出る。
女騎士と切り結んだ時は近くに帝国兵は見えなかったはずだ。
しかしそれを手の痺れが否定する。
アミュゼは立ち塞がった騎兵に目を向ける。
並の騎馬の倍近くあろうかという巨体の馬に似た獣に跨がる男は、目が合った瞬間、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
Side フォーディルト
いやぁ、危なかったぁ!
オーリンドさんが斬られるかと思って焦ったけど、なんとか間に合って良かった。
一瞬バスクを乗り捨てて跳んでいこうかとも思ったけど、しっかり俺の動きに合わせてくれたから良かった。
さすがのオーリンドさんはちょっと悔しそうな顔はしたけど、すぐに俺の意図を察してジュゼットの援護に回り、二人して離脱していってくれた。
「おっと! 追うのは止めろって」
追う素振りを見せた数騎に向けて矢をぶん投げる。
最初に射かけられた矢を数本受け止めて鞍に挟んでおいたのだ。
2本ほど馬の首に刺さり王国兵たちは追うのを諦めたらしい。
それに、この全身真っ黒な騎士。
雰囲気からどうやらこの部隊の指揮官、それも結構な高位の武官と見える。
俺が目の前にいる状況で放っておくことはできないようだ。
チラリと横目で周囲を見ると、撤退していく分隊たちを追っているのは30騎ほど。
あのくらいなら騎乗してる連中と、歩兵の弓でなんとか退けられるだろう。
問題は単騎で取り残された俺、なのだけど。
久しぶりに敵兵に囲まれているという状況に、俺はむしろ気持ちが高揚してきた。
まぁ、この真っ黒騎兵、強そうなので油断できないが。
「ひとりで我等の足を止めさせるか。見事なものだ。一応訊ねるが、降伏する気は? 最低限、命は保証するが」
ありがたくもない提案をしてくれたのは目の前の黒騎兵。
馬も鎧も真っ黒なのはさっきも言ったとおりだけど、白い肌と金髪の多いファンル王国の兵にしては兜を被っていないその顔は浅黒く、短い黒髪だ。
顔立ちは彫りが深くて整っているし、長身で武人らしく鍛え上げられた体躯をしている。見るからにモテそうな外見だ。
……なんか、腹立ってきたな。
この真っ黒騎兵に恨みはない。いや、味方の兵士を殺したんだから恨みはあるか。
とにかく、少しばかり憂さ晴らしさせてもらうとしよう。
「そっちこそ。今王国に逃げ帰るなら追わないでいてやるよ。じゃなきゃ、狩る!」
言葉と同時に思いっきり戟を横薙ぎに振る。
もちろん届かない。
あくまで示威行為ってやつだ。
けど、気合いを入れた一振りに、真っ黒兵の馬が怯えたように前足を上げ、その後ろの騎兵も思わず数歩後ずさっているから虚仮威しとしては十分だろう。
「なるほど。ただの死兵ではないか。だが、こちらも引き下がるわけにはいかないのでな」
交渉決裂。
わかってたけど。
というか、交渉、してないな。
「私の名はアミュゼ・ノル・セント・ファルセット。貴公は?」
高位だとは思ってたけど、ファルセット姓で、しかも四つ名ってことは王族かよ。
まぁとにかく名乗られたからにはこっとも返さなきゃな。
「フォーディルト・アル・レスタール」
俺が名乗るとファンル王国の騎兵たちがざわついた。
「……レスタール、なるほど、どうやら簡単には勝てぬ相手か」
あぁ、そう言えばレスタール家が叙爵した切っ掛けがファンル王国との戦争だったっけ。となると、帝国以上にレスタールは悪名高いんだろうな。
まぁ、今はどうでも良いか。
アミュゼが長剣、馬上剣って言った方が良いか。
普通の長剣の1.5倍くらいの長さがある剣を構えたのを合図にして、俺も戟を振りかぶる。
「参る!」
「っ!」
ガギンッ!
振り下ろされた戟と長剣がぶつかり火花が散る。
全力ではないにしろ、そこそこ力をこめた一撃をアミュゼの剣は真っ正面から受け止め、弾かれた勢いの方向を上手く利用して下から俺の左足に向けて剣を振るう。
ギンッ、ジャッ、ガシンッ!
俺が下からの剣を戟の石突きで弾き、逆にアミュゼの脇を狙って突きを繰り出すも、奴は戟の矛と柄を繋ぐ胡と呼ばれる部分に刃を滑らせて斬ろうとするも柄の表面を削っただけだ。
オーリンドさんが使っていたような槍は柄が木だけど、俺の戟の柄は鋼の芯に魔獣の皮を巻いたものなのでそう簡単に断ち切ることはできないのだ。
それにしても、ある程度は予想していたが、それ以上に真っ黒騎士アミュゼは強い。
俺の戟の勢いを上手く殺しながら、わずかな隙を縫うように剣を滑らせてくる。
「強い、な」
「そっちもね。もっとあっさり片付けられると思ってたのに」
「侮られたものだ、な!」
今度はアミュゼが俺の胸目がけて真っ直ぐに突いてくる。
それをいなしつつ戟引き、矛の根元にある枝で絡め取ろうと剣の柄近くに引っかけようとするも、ほんのわずか逸らされ空振る。
くそっ、指揮官倒して混乱してるうちに引こうかと思ってたのに上手くいかないな。
「殿下、お下がりください!」
そこにふたりの騎兵が割り込んでくる。
「ば、馬鹿!」
形の上では3対1。
けど、俺にとっては逆にやりやすくなった。
騎士が繰り出してきた槍を逸らしてもうひとりの方に突き出させ、同士討ちを躊躇して動きが止まった瞬間にバスクを相手の馬に体当たりさせてアミュゼの方に吹っ飛ばす。
もちろん馬の巨体がそんなに飛ぶわけがないが、目の前で横倒しになった騎馬に慌てた黒馬が棒立ちになった隙を見逃さずに真上から全力で戟を叩きつけた。
ガゴッ!
「ぐぅっ!」
剣撃とは思えない鈍い音が響き、アミュゼの長剣がくの字にしなる。が、折れない。
さすが王族の持ち物。
かなりの業物なのだろう。
もう一撃と、戟を再度振り上げようとしたその時、歪んだ長剣から手を放したアミュゼが馬ごと身体をぶつけ、腰から短剣を抜いて逆手で突いてきた。
流れるようなその動きに、俺も戟を戻すのが間に合わない。なので、短剣を持つ腕を掴んで止める。
逆に戟の石突きでアミュゼを打とうとするも、今度は向こうが俺の腕を掴んだ。
結果的に両者の動きが止まる。
「これでも届かないか」
面白く無さそうに呟く黒衣の王子様。
だがまだ余裕がありそうな感じ。
こうして膠着状態になれば周囲を囲む味方が優位だと思っているんだろう。
確かに普通の騎兵同士なら相当な武力があってもこの体勢では避けるのが難しい。
けどな、残念ながら俺が騎乗しているのは馬じゃないんだよなぁ。
「ゴァゥゥ!」
動きが止まった俺に王国騎士が槍を繰り出すよりもほんの少し早く、バスクが咆吼をあげながら黒馬の首に牙を突き立て、そして毟り取るように食い千切った。
「な!?」
「驚く暇なんてないぞ。ほらよ!」
崩れ落ちる馬体と驚きわずかに力の緩んだ腕を振りほどいてアミュゼの胸ぐらを掴み、地面に投げ飛ばす。
「で、殿下ぁ!」
騎士の悲鳴。
背中からとはいえ草も生えていない岩だらけの地面に叩きつけられたんだ。しばらくは動けないし、声も出せないだろう。
咄嗟に顎を引いて頭を打ち付けるのだけは避けたみたいだし、後顧の憂いを絶つためにもトドメを刺した方が良いのかもしれないけど、王族の戦死がどんな影響を及ぼすのかわからないので追撃はしないでおく。
アミュゼの落馬? に浮き足だった包囲網を一気に突き抜け、俺は撤退していった仲間を追いかけた。
というわけで、今回はここまでです。
初邂逅はフォー君の勝利!
今週も最後まで読んでくださってありがとうございました。
そして感想を寄せてくださった方、心から感謝申し上げます。
数あるWeb小説の、この作品のためにわざわざ感想を書いてくださる。
本当に嬉しく、執筆の励みになっております。
なかなか返信はできませんが、どうかこれからも感想や気づいたこと、気になったことなどをお寄せいただけると嬉しいです。
それではまた次週の更新までお待ちください。




