90話.初めての命がけ
セレーネは生まれてからまだ1月も経っておらず、人格形成をする時間も足りなさ過ぎた。
好きなものも、善悪の区別も、自分の信念もなにもない真っ白な紙のようなものだった。
マクラのように初めから生き方を決めている方がおかしいのである。
ルナばかりを心配して自分の意思を一切持とうとしないセレーネを案じ、
ルナは今回セレーネに判断を委ねた。
だが、セレーネは自分自身の気持ちもうまく理解できていない赤子だ。
フェルミナとペルニシアの境遇を見て、モヤモヤする気持ちの正体も分かっていなかった。
ただ、そのときセレーネは自分が何かしなければならないと感じていた。
だからセレーネは自分が知っている人たちが取るであろう選択から一番自分が
気持ちいい解決方法を取ることにしたのだ。
それが、何もない自分が正しい選択をする道だと信じて。
そうやって誰かの真似をし、自分で考えることを止めるに等しい方法を覚えることが
この先どんな結果をもたらすのか、セレーネにはまだ分かっていなかった。
◇
「立てる?」
液体の体を人の手の形に変形させて、私は手を差し伸べる。
「え、えぇ」
困惑混じりの表情で白装束の少女は私の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「君がフェルミナだったんだね」
フェルミナ。それはこの少女がペットとして見返りに私達に差し出すと言っていた魔獣の名前。
まさか、その魔獣が目の前の少女のことだとは先のゼイ伯爵の言葉を聞くまで思わなかったが。
少女は私の言葉にコクリと頷いた。
そう言って少女ことフェルミナはその手の一部分を翼に変えてみせる。
「すごい、これが人化の術」
「私には何故か才能があったらしいの」
まじまじとフェルミナの変化した翼を見る。
それは純白で奇麗な白だった。
「…奇麗だね」
そんな声が口をついて出る。
「…」
その時、背後から声がかかる
「お、お前ら、なんてことを!?」
声を上げたのはゲンザルマン男爵だった。
そうだ。ゼイ伯爵以外にももう1人いたんだった。
私は慌てて振り向く。
さっきのゼイ伯爵は不意打ちで倒せたが、こいつとは真正面からの対峙だ。
だが、戦いができるようには見えないし、私でも勝てるかもしれない。
うまく気絶させて無力化させよう。
暴走してるペルニシアは私には手に負えないだろうけど、ゼイ伯爵が魔具で動きを止めてくれている。
これならルナに助けを求めに行って、ペルニシアを止めてもらえば、問題は全て解決と言っていいだろう。
事態の収束の道筋が見えて、少し安堵した。
だが、ゲンザルマンは何故かすでに絶望の表情を浮かべていた。
膝をつく様は戦意を喪失しているようにしか見えない。
「あぁ、終わりだ。我が家は終わりだ」
ゲンザルマンはブツブツと呟きながら両の手のひらで頭を抑え、膝をつく。
様子のおかしさに気づいた私とゲンザルマンの目が合う。
向こうも私が困惑していることに気づいたらしい。
途端にゲンザルマン男爵の視線が私を睨みつける。
「分からないのか!この魔具はゼイ伯爵の魔力で起動している。つまり、ゼイ伯爵が気絶してしまったということは」
そこまで彼の言葉を聞いて私は自分の誤算に気づく。
ゲンザルマンの言葉の続きは、ゼイ伯爵が止めていた拘束が解ける、だろうとすぐに分かった。
つまり…
ペルニシアが暴走を始める。
私みたいな最弱魔獣に止められるわけがない。
暴走したペルニシアの魔力、あれはおそらく魔獣の中でも最上クラスにヤバイ。
ゲンザルマンの絶望が私にも伝播する。
いったいどうしたら。
答えがどうやっても見つからず、私はしばらくその場に立ち尽くしてしまう。
方法が全く見つからない袋小路に迷い込んだみたい。
こんな時って全く動けなくなるんだと、場違いにも呑気な感想が頭の中にうかぶ。
だけど、そんなときなんだ。
「見てたわよ。セレーネ!よくやってくれたわ」
その時、私がこの世界で1番安心できる声が聞こえた。
振り返ると同時に壁が蹴破られ、そこから1人の少女と1匹の蜘蛛が華麗に着地する。
やっぱりルナだった。
彼女は私がピンチの時はいつも助けにきてくれる。
私が安心して気を抜くと、どっと疲れが押し寄せる。
いけないいけない。まだ何も始まってないんだ。ルナの邪魔にならないようにこっちはこっちで頑張らないと。
私は気を引き締め直す。
「ここからは任せて」
その少女、ルナは私とフェルミナに笑いかける。
私は嬉しくてルナに駆け寄ろうとした。
希望と期待が混ざる勘定で口角が上がる。
だが、その時天井が爆発した。
「え?」
理解不能な事態に私は頓狂な声をあげた。
1人の人影がルナに斬りかかる。
上段からの鋭い剣撃をルナはかろうじて刀をぶつけて止めた。
ガキィン と刃と刃が激しくぶつかる音が部屋中に響く。
「くっ」
ルナが顔を歪める。
「にははっ、今の止めるぅ?」
天井から舞い降りたのは、漆黒のローブを観に纏った人影だった。
不気味で死を連想させるようなその姿に私は嫌な予感を覚える。
あまりの事態の変化に、私たちは動けずただ茫然と見つめるしか無かった。騒ぎの中心である2人以外は。
そのままそのコートの女とルナは斬り合いを始める。
コートの女が横から剣を薙ぎ払い、ルナはそれを剣で止め、反撃に斬りかかった。コートの女はそれを危なげもなく止める。
だ、大丈夫。ルナならあんなやつ、瞬殺だ。
そう思って少し余裕を取り戻しつつ、心の中で応援をする。
だが、剣と剣のぶつかり合い何合も続いた。
全くの互角で、勝負がつく気配もない。
「なっ!?」
驚愕に声を上げる。
あのルナと戦えるやつがいるなんて。
考えてる間にもルナがコートの人物を倒してくれるなんて期待したが、戦いは激しさを増すばかりで、今すぐの決着は期待できなさそうだ。
何よりルナの余裕の消えた顔がそれを物語っていた。
まずいぞ。
これじゃ。
視線を横にそらす。
その先には我を忘れ、怪物となったペルニシアが映った。
ペルニシアはすでに完全に動けるようになっているようだった。
彼は自由になると同時に凄まじい咆哮を上げる。
それと同時にとてつもなく巨大な魔力が彼の全身からほど走った。
その勢いに思わず目をつむってしまう。
ルナは手が離せそうにない。
この化け物を私とマクラとフェルミナ3人で相手しないといけないってこと!?
私の顔から血の気が失せていくのを感じた。
こんな化け物にどうやって勝てばいいの?
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