二十三話 男湯と女湯を間違えるなんて早々ない……はず
「へぇ。風呂も結構広いんだな」
風呂場に入った篤史の一番の感想は、それだった。
だだっ広い空間。その中で、風呂がいくつも存在しており、それぞれに色合いが違っている。
「こんな山奥にあるっていうのに、施設は想像以上にしっかりしてんのな。風呂も色々と種類もあるし。露天風呂に電気風呂にサウナ……あっ、ジェット噴射がでるやつもあるじゃねぇか。すげぇな」
この陸奥墓村は、電気も通っていないと思われるくらいの田舎。だというのに、この旅館は設備が完璧といっていいほど整っている。ここがまさか、山奥だと言われても、信じる者はいないだろう。
ただし、一方で、だ。
「ただ、やっぱり人は少ないな……いるのは俺と、沈んでる女の人だけだし……」
などと言いながら、篤史はまず風呂に入る前にシャワーを浴びに……。
「ん?」
と、そこで何かしらの違和感を感じた。
それはこの大きな風呂場に対し、客が少なすぎる、ということではない。
では、何が気になったのか。
そこで彼は、自分の言葉をもう一度確認してみる。
人は少ない。いるのは自分と、沈んでいる女の人だけ。
沈んでる女の人だけ。
…………沈んでいる女の人?
「……って、おいおいおいおい!?」
などと、今更ながら驚きつつも、篤史は急いで沈んでいる女性を脱衣所へと運んだのであった。
*
しばらくした後。
脱衣所で、沈んでいた金髪の女性は目を覚ました。
「いやぁ、危なかった危なかった。まさか風呂場で寝落ちするとは。自分のことながら、驚きだ……」
「いや、驚いたのはこっちの方なんですが……」
などと、女性に対し、思わずそんなことを呟く篤史。
無理もない。何せ、男風呂に女がいるだけでも異様だというのに、それが風呂で沈んでいたとなれば、最早パニックである。
とりあえず、そのままではまずいので、互いに着替えを終えた後、女性の方から声をかけてくる。
「しかし、何はともあれ助けてくれて、感謝する。ええと……」
「山上篤史です」
「あ、自己紹介痛み入る。わたしは江川弘南。あっ、これはペンネームでね。しがないミステリー漫画を描いている者だ」
「へ、へぇそうなんですか」
言われ、篤史は適当な相槌を打つ。
(何故だろう……そのペンネームがめちゃくちゃ危ないような気がする……)
心の中で思わずそんなことを零すものの、しかし敢えて口にはしなかった。
「でも、何で男風呂なんかに……しかも、沈んでたんですか?」
「いや~、ここにはよく旅行に来るんだが、今回は鬼編集がこっそりとついてきててね。まだ原稿書き終えてないのに何してんだぶち殺すぞと脅されて……それからというもの、部屋に缶詰というなの監禁状態にされてたんだ。そして、ようやく原稿が終わって風呂に入ろうとしたら……」
「男風呂と女風呂を間違えてしまった、と」
「ああ。幸か不幸か、今の時期は本当に客が少なくてね。こうやって、君に助けられるまで、ここが男風呂だと気づかなかったよ。いやぁ~、こんなことってあるもんなんだな」
あっはっは、と笑いながらいう江川。
確かに、彼女の眼の下にはクマがあり、明らかに寝不足であるのは見てわかる。だが、まさか男風呂と女風呂を勘違いするとは……もしも他に客が大勢たら、とんでもない事態になっていたかもしれない。
「それにしても、この時期にここに客が来るなんて珍しい。大体、毎年私といっちゃんくらいしかこないというのに……」
「いっちゃん……? それってもしかして、金田さんのことっすか?」
「おや。いっちゃんを知っているのか?」
「ええ。さっき廊下で会って」
いっちゃん、という呼び名から察するに、どうやら二人は顔見知りのようである。
見た目からして、年齢も近そうではあった。そして漫画家と小説家という職業。どちらも創作するものとして、繋がるがあるのだろうか。
「そうかそうか……ところで、どうして君はこの旅館に?」
「どうしてって……まぁ、色々とありまして……」
「ふーん、色々ね……まぁ、詮索はしないでおくよ。ただ、一つ言っておく」
「何ですか?」
「ここ、あまり夜には出歩かない方がいい。何でも、この時期になるととある幽霊が時折徘徊しているらいしいからね」
「それって、この村の名前にもなってる陸奥の霊とかですか」
「おお。何だ、陸奥のことを知っているのか。話を聞く限りには、陸奥は未だにこの世に未練があるらしく、自分が死んだ時期になると、この旅館に現れるそうだ。ま、私は見たことがないんだがね」
江川の口から出た話は、まさにどこにでもある内容であった。
ただ、篤史はその話に、ちょっとした疑念を感じる。
「でも何でこの旅館に現れるんですかね。恨みつらみがあるんなら、旅行客がくるここじゃなくて、村の方にばけてでるもんだと思うんですけど」
かつて、村人に八つ裂きにされた陸奥。その恨みが向かうとすれば、それは村人のもとだろう。だというのに、旅館という、それこそ村には関係のない人間が集まる場所に化けて出るのは少しおかしな話ではないだろうか。
だがしかし。
「何故ってそりゃあ、君。この旅館が立っていた場所こそが、陸奥の墓があった場所だからだよ」
篤史の疑念を吹き飛ばす理由を、江川はさらりと口にしたのだった。
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