第六章 臆病者のロマヌゥシア(1)
少女が扱うには、その弓はあまりにも大きすぎた。
男は長弓を手に悪戦苦闘する少女の姿を、大きな岩に腰かけたまま眺めていた。
「テーベ、無理」
そう言いつつも、少女は渾身の力をこめて弦を引こうとする。右足で弓を踏みつけ、両手で弦を引いてもびくともしない。
「そうだな。無理だ」
欠伸をかみ殺しつつテーベが言うのを見て、少女は頬を膨らませた。弓を教えて欲しいとせがんだものの、矢をつがえることも出来ないのでは話にならない。
「もっと小さい弓はないの?」
「ある――が、やめておけ。お前の力では咄嗟に引けぬ」
「咄嗟にって?」
「やれやれ……咄嗟にというのはな――」
テーベは少女に歩み寄り、少女の持つ弓を手に取った。少女は何かコツを教えてもらえるのかと期待したが、テーベは弓を手に取ったまま黙ってしまった。
「ねぇ、テーベ?」
不可解に思った少女はテーベの視線を追った。だがそこにはただ蒼く広がる空があるのみである。と、その時――
「わっ!」
まるで目と鼻の先に突然竜巻が起こったかのようである。驚いた少女が悲鳴にも似た声を上げて尻もちをついた直後、少女から数歩離れた場所に何かが落ちた。
雲雀である。矢に貫かれている――が、
「生きてる……」
少女は恐る恐る射抜かれた雲雀を手に取った。触れるのを躊躇うような温もりと膨らみを掌に感じる。よく見れば矢は羽の間を貫いており、引き抜いてみれば一滴の血もついていない。より不思議なのは、テーベから見て後方あるいは直上からこの鳥が落ちてきたことだ。テーベには何が見えていたのだろうか。
「……こういうことだ」
咄嗟に矢を射るとはどういうことか――への答えがこれであろう。こんな神業を見せられて、それに至らぬなら全て無意味と断じられたようなルーンが落胆するのも無理はない。
「そう拗ねるな、ルーン。誰にでも向き不向きがある。弓が無理なら剣を持てばよい。それならお前の力でも扱えるだろう……な」
テーベの歯切れの悪さもまた少女――ルーンにとって不思議だった。だが少女はこれを実に少女らしい意味で受け取った。
「ははぁ、実はテーベって剣の方はからっきしなんでしょう?」
意地悪な笑みが浮かぶ。テーベの授業の下手さに対する可愛らしい復讐でもあろう。
「いや、弓よりは得意だ」
本当だろうか。ロセに拾われて三年経つが、テーベが剣を抜いているところをルーンは見たことがない。
「ねぇ、じゃあ剣の方を教えてよ。父さんに言っても教えてくれないんだ」
ルーンが訝しんだのは、テーベが何やら考え込んでしまったからだ。ロセに怒られるのが怖いからだろうか。だがロセも剣を教えてくれないだけで、誰かから学んではいけないなどと言ってはいない。
ふと、テーベの視線が地面に落ちた。自分の義足を見ていると知ったルーンは、これは全く不利ではないとでも言わんばかりに足を動かして見せた。
ふっ――と、力の抜けるような笑みがテーベの口から漏れ出た。
「未熟よな……」
「えっ?」
「いや、何でもない。さっさと剣を取れ」
一刻ほど剣を振り続け、足腰も立たなくなった。テーベは剣の握りを教えてくれただけで、他には何の手ほどきもしてくれなかった。ルーンがそれについて不平を言ったところ――
「手ほどきも何もない。ぶった切り、突き殺す。それができれば技と呼ばれる。それだけだ」
嘘だ。結果が技術であるとするならば、何故義父ロセが剣士団の指南役になど呼ばれようか。テーベは自分のことを煙に撒こうとしている。だが――である。テーベという男からは詐術のにおいがしない。この男は、あるいは本気でそう思っているのだ。
「ねぇ、テーベ。どうして得意な方の剣を使わないの?」
少女――というよりは、子供らしい問いである。問いの難しさを自覚しないが故に子供であるとも言える。
「剣はな、飽いた」
「飽きたの? どうして?」
「……頂きを見たのだ」
「頂き?」
「そう。そのはずだった。だが、それは巨竜の爪先に過ぎなかった」
答えになっているのかどうか、ルーンは首を傾げた。テーベの笑いは妙に渇いていた。




