第四章 狂剣乱舞(7)
「ロマヌゥいるー?」
ロマヌゥが祖霊に捧げる供物を卓上に並べていると、勢いよく家の戸が開き、トローンが顔を出した。
「いないよ」
不機嫌な声。それもそうだろう。今日は母を弔うための日だというのに、この女は迷惑にも押しかけてきて何の用だろうか。
「いや、いるじゃん」
「トローン。今日がどういう日か、昨日言ったはずだけどな」
「知ってるわよ。というより、あんたが前もって教えてくれればよかったのよ。お母さん、お酒飲む人だった?」
トローンの手には青硝子で作られた酒瓶がある。酒場でも棚に置かれないような上物だ。恐らく父エリリスにせがんだのだろう。
「少しはね」
「じゃあ、お邪魔していいかしら?」
ロマヌゥは無言でトローンを誘うと、香を焚き、祖霊に食膳を勧め、その度に拝礼した。この場にトローンは立てず、彼女は部屋の隅でちょこんと座ったままロマヌゥの一挙手一投足をつぶさに観察していた。
祭事が済むと、トローンは感心したように言った。
「クーンの作法とほとんど変わらないわね」
「昔はナバラ式でやってたみたいなんだけどね。爺さんの頃からはずっとこうらしい」
「ふぅん」
ロマヌゥは卓上から餅を二つ手に取り、片方をトローンに渡した。
「昨日エトを見つけたよ。今は多分屋根の上で寝てるから、連れて帰るといい」
「あっ、ありがとう。あたしも多分ここにいるんじゃないかなーって思ってさ。……ってこれは昨日言ったっけか」
少女の笑顔に違和感を感じたのか、ロマヌゥはわずかに眉を寄せた。
「何かあったのか?」
「えっ?」
トローンは陽気な娘である。ロマヌゥはそれがうっとおしくて仕方がないのだが、どこか憎めないところもある。正直な娘でもあるから、今日のように空元気でいると一目でわかる。
「顔に書いてある」
思わず顔を触ってしまったトローンの頬がすぐに紅潮した。
「親父さんと喧嘩でもしたか?」
二代団長エリリスについて、ロマヌゥはほとんど知らない。だが、彼の人柄はよく言えば頭の切れる商人で、カルカラに似ているという。竹を割ったような性格のカエーナと違って、カルカラは常に下に対して峻烈なところがある。甘い上官が欲しい訳ではないが、ロマヌゥは彼の隊には入りたくないと思っている。
右に目をやったかと思えば、すぐに左を見るといった具合で、先程からのトローンはどうにも落ち着きがない。
「いや、まあ少し」
「どうせお前がわがまま言ったんだろう?」
ロマヌゥがため息をつくと、トローンは彼をジロリとひと睨みした後、何を思ったのか先ほど祖霊に捧げた酒の残りを杯に注ぎだした。
「おい、お前確か下戸だろう? 何を考えて――」
言い終わらぬ内に、トローンは杯を干した。途端に周囲が酒臭くなった。
(何考えてるんだ、こいつは――)
考えようによっては、人の家の祭祀に押しかけてきておいて、これほどの無礼もないだろう。トローンが意識してそれをやっているようにも見えないところがどうにもやりきれない。二代エリリスは剣士団を大いに盛り立てたが、どうやら娘の教育には失敗したようだという結論を、ロマヌゥは出さざるを得ない。
「あのさぁ、ロマヌゥはまだルーンの事が好きなの?」
あまりに予想外の言葉にロマヌゥは口に含んでいた餅を思い切り噴き出した。よく見るとトローンの目が据わっている。
「意味のわからないことを言うな!」
「えっ、剣士団の男ってみんなルーンに惚れてるんでしょう? サシャが言ってたわよ。ロマヌゥはルーンとカエーナとどっちが好き?」
「好きの意味が違うだろう! それに、そんなの一部のうわついた連中だけだ。あんなのと一緒にするなよ!」
「じゃあ、違うのね? ルーンなんてどうでもいい?」
「いや、どうでもいいわけでもないだろう。一応、団長なんだし」
「ちょっと、はっきりしてよ! あんた、どんなお嫁さんが欲しいのさ!」
急にトローンがいきり立ったのだが、ロマヌゥには意味がわからない。わからないが、何やら馬鹿にされているのではないかと思えてきたので、徐々に頭に来るものがあった。
「そうやってお前みたいに下品な声を上げない奴かな」
「……本気で言ってるの?」
周囲の空気が急に冷めた。ふと、トローンの目を見ると、とても酔っているとは思えない醒めた目でこちらを見ている。
(ああ……こいつ、もしかして――)
ロマヌゥ自身、自分がそこまで鈍重な性格でもないと思っている。トローンが先程から何を言いたがっているのか――ここまで言われてわからぬ阿呆ではない。
(ミトラと何かあったか)
あの不愉快な同期の剣士は、全てがロマヌゥより優っている。ミトラの女好きをよく知っているロマヌゥは、あの男がトローンに近づく理由に二代団長の娘であるということ以外に意味を見いだせない。トローンもそれに気づかぬはずも無く、事あるごとにミトラの誘いを袖にしている。
(競ってもつまらんだろう――)
ロマヌゥは女の取り合いをするために剣士団に入ったわけではない。彼の憧れは常にカエーナにある。名誉、地位、女には目もくれず、全てを剣に捧げる最上の剣士――それがカエーナだ。彼を追いかけることをやめれば、剣士団に入った意味がない。
「ロマヌゥ……あんたもうちょっと強くなりなよ。じゃないとみんな持ってかれちゃうよ」
トローンの決まり文句である。だが、この時ばかりは額面通りに受け取れない響きがあった。
――ミトラから逃げるな。そしてあたしからも――
ロマヌゥにとってはそう言われたに等しい。
トローンが去った後、ロマヌゥは少女のことを思い返し、あるいはあの時の彼女の目に涙が溜まっていたのではないか――などと思いもしたが、すぐにやめた。
「今の僕じゃダメだ」
決心にも似た言葉は、何故か酷く虚しかった。




