山姥(やまんば)
頭が凄く痛い。
どうしてこんなに痛いのかと思うほど痛い。
その昔、派遣のアルバイトで建築現場に行き、凄く暑くて頭がボーっとしてきたのでヘルメットを外して作業していた。その方が視界も広いし、首が軽くて作業も捗った。午前中は現場監督が監視していてヘルメットを外して作業すると凄い勢いで怒られた。自分よりも10歳以上年下なのに、上から目線で見下す態度が凄く嫌だった。
てめえはいったい何様だ!そう腹を立てて、年上を敬えと毒づいた。
頭の中で妄想して作り上げた監督の胸ぐらを掴み、ぐるぐる回して空高く放り投げてやった。現場監督は人工衛星にぶつかってピンポン玉のようにしばらく跳ね回り、あれぇぇ助けてちょぉぉと言いながら宇宙の彼方に消えて行った。
「ぶふぁっ!馬鹿じゃねぇ?」
自分の妄想に吹き出しておお笑いしながら、幸せな気分になった一朗は建築足場の階段をトントンと景気よく一番下まで降りて行った。もあと二分でお昼の時間だった。ヘルメットは邪魔だったから上に置いてきた。昼飯を食って休憩が終わればまた同じ場所に戻るのだから、手ぶらで身軽な方がいいじゃないかと思って置いてきた。
「危ない!避けろ!」そんな声が上からした。
そして声がした方を見上げた。黒い何かが降って来た気がするが、病院で目覚めた時は何も覚えていなかった。現場監督がベッドの隣で青ざめながら震えていたのはよく覚えているが、記憶の一部分は欠落したまま今も思い出せない。一朗が目をあけて周りをキョロキョロする様子を見て、医者はペンライトでピュッピュッと眼球に光を当てながら瞳孔反応を確認していた。
(ああ、思い出した。あのとき落ちて来たのはラチェットだ)
ラチェットとは足場を組み立てたり解体する時に使う、普段腰袋の金具に吊り下げているナットを閉めたり緩めたりする道具だ。あのときは思い出せなかったのに、8年以上も経ってようやく思い出すなんて、不思議な事があるもんだと一朗は思った。
痛烈な頭の痛みが思い出させた記憶にはドラマに出て来るようなミステリー性もなく、別にどうでもいい日常的に起きていて不思議でない事柄だった。そういえば、あの若い監督は俺に頭を下げて謝ったんだったな。自分の管理が行き届かず、途中に落下防止の防護ネットが貼ってなかったために大変ご迷惑を掛けましたと頭を下げて謝罪して、会社からも見舞金が支給されたんだった。
見舞金だから支給とは言わないのかなと少し考えてみたが、一朗にはどうでもいい事だったので二秒で考えるのをやめた。やり始めるのには物凄く時間を必要とする一朗は、やめたり諦めたりする時はギネス級のスピードを誇っていた。彼の人生のほとんどがどうでもいい事の積み重ねで、浪費とギャンブルと喧嘩にほんのひとかけら1%ほどの青春の思い出があるだけだ。
「うおああ、マジで痛ぇ!本当に痛ぇ!
げっ、血まで出てるじゃねぇか!」
後頭部には出血の後があった。
もう血は止まっていたが、髪の毛がごわごわして触ると乾き切っていない血が手にべっとりと付着した。かなりの量が出たのではないかと寒気がした。一朗は子供のころから血を見るのが苦手だったし、今もそれは変わらない。いつも虚勢をはって肩で風を切るように歩いたりするが、基本的には臆病者なのだ。
「ここは何処だ?何でこんな場所にいるんだ?」
その時ふわりと視界が揺れた。
先ほどから床がふわふわする感じがするのは頭を割られたのが原因ではなく、本当に床が揺れていたのだとようやく理解した。
(この独特の臭いニオイは船の中?
間違いない!俺は船に乗せられているんだ!)
薄暗いその場所の唯一の光源は船体側につけられた直径10センチ程度の小さな丸い窓だけだった。裸電球がぶら下がっているが灯りはついていないし、一度ニオイが気になりだすとやたらに臭く感じるようになった。腐った海藻のニオイで頭がおかしくなりそうだ。気持ち悪いと思うと本当に気持ち悪くなって吐きそうになった。
こみ上げた咀嚼物が口いっぱいに溢れ、せめて部屋の隅に行って吐こうと思って立ち上がろうとしたら転んだ。片足に鉄のわっかがついて、1メートルも長さがない鎖に繋がれていたのだ。倒れた拍子に、頬を膨らませて塞き止めていた内容物が吹き出して、ぶしゃっと勢いよく空中に広がった。
ゲロの臭いが部屋に充満し、更なるゲロを誘発した。
だが一朗は銀行に行く前にパンと菓子を少し食べただけで、1日ほとんど何も食べてなかった為、吐き気だけで2回目の内容物がなかった。パチンコ店で飲んだコーヒーを吐き出すと後は胃液しか出て来なかったのだ。
吐いたが気分はよくならない。
船酔いかなと思って、どうやら間違いないと確信した。
頭がくらくらし、腹のそこから沸き上がる気持ち悪さもおさまらない。助けてくれ!陸地に戻してくれ!と叫んではみたが誰も部屋の扉を開ける者は現れなかった。
しばらく叫び続け疲れてはやめ、また叫ぶを三回繰り返す頃には一朗の気力はゼロになっていた。彼にしてはかなり粘ったほうだ。それほどマジに船酔いが壊滅的にひどかった。その後も何度か胃がひっくり返るような苦しみを味わったあと、一朗は疲れて横になるうちいつの間にか寝てしまった。起きたのは若い女の声がしたからで、男の声なら薄目を開けたあと再び寝てしまっていたかも知れない。
一朗は起きて声のする方向を見た。
するとそこには、女子高生の服を着た山姥がいた。
ボサボサの灰色っぽい髪の毛に真っ黒な顔。それに白い口紅と白いアイシャドウで彩られた気持ち悪い山姥がいた。
(マジかよ‼ あんな格好してる女子高生がまだいたのか?)
20年近く昔の事だが、山姥ファッションというものが流行した事がある。顔黒ギャルならまだ分かるが、あれはもう既に日本人ではなかった。さすがの一朗も触りたいとも思わぬ汚なさで、なんと彼女達は何日も風呂にも入らないのだ。そして何日間風呂に入ってないかを自慢し合うのである。何年も前に性病などで絶滅したと聞いていたが、現代日本にまだ生き残りが居たとは驚きだと思った。
(最後の生き残りかな?)
珍しい珍獣でも見る感覚で、一朗はしばらく山姥を見つめていた。
「う、うう~ん」
その声だけ聞くと、なかなかに色っぽい。
少しぽっちゃりし過ぎている感じもするが、とりあえずは若い。
暗くて細部までは見れないが、どうやらスカートは履いてないみたいだ。
このとき一朗は、洗えば使えるかも知れないなぁと考えていた。そう思い始めると興奮してきて、いつ使ったか覚えてないほど未使用のまま放置されていた股間のものがムクムクと大きくなって来た。山姥女子高生は足首に手錠をされ、後ろ手にロープで縛られていて自由には動けないようだし、自分の足に繋がれた鎖さえ外せたら手が自由な自分の方が有利だと思った。
一朗には、助けてやろうなんて気は全くなかった。
この先自分がどうなるかも分からないんだから、せめて生きている間に女を抱いて気持ち良くなろうと考えていた。
さっそく鎖を引っ張り、外れないかを試してみる。びくともしないが諦めずにグイグイやっていると、それほどには太くない、駐車場とかに渡してある一般的な太さの鎖の一部が溶接が剥がれて少し隙間が開いた。更に激しく引っ張ると、それは2ミリほど拡がった。
歯も磨かないのに虫歯もない事が自慢の一朗は、その少しだけ開いた鎖の部分を歯で噛みしめて捻るように反対側の鎖を引っ張った。歯茎から出血して奥歯がぐらついて来たが構わず引っ張っり続けグイグイと力を込める。
「やったぜ!ここまで開けば後はこうやって知恵の輪みたいにして・・・」
鎖同士を斜めに絡ませ、グンと引っ張るとキンと音を立てて鎖がちぎれた。
「どうだ!この野郎!俺様に掛かればこの程度の鎖なんて屁でもねぇぜ!」
全身汗まみれになり奥歯から血を流しながら吠える一朗。
これで自由になったと喜んび、後は山姥女子高生のところまで行き目的を果たすだけだとターゲットを振り返り見た。