番外編 緑の追憶と、やっぱり失敗
カイルのあんパンづくり。
柔らかな日差しが差し込む早朝。カイルは厨房に籠もっていた。
(今日こそ、絶対にずんだあんに近い形にする……)
試作で頓挫していた「ヴェルデあん」の改良だ。
ノルデン特産のヴェルデ豆を使った緑色の餡。前世で知っていたずんだあんの味を再現しようと試みているが、ヴェルデ豆を使うとどうしても青臭さが残り、食感もどこかもっさりと重い。看板商品にするには、まだ遠かった。
「……何か根本的に間違ってるのかな」
茹で上がったヴェルデ豆の湯気を見つめ、カイルは唸った。
「ふーん……」
入り口の壁に寄りかかっていたジークが、あくび混じりに歩み寄ってくる。鉢を覗き込み、鼻を鳴らした。
「……なあ、領主様よ」
「ん?」
「これ、潰しすぎなんじゃねえの?」
「え?」
「泥みたいに滑らかにしようとしてるだろ。……分かんねえけど、もっとこう、粒が残ってた気がすんだよな」
「粒感……?」
ジークは眉間に皺を寄せ、鮮やかな緑色の豆をじっと見つめた。
「それと……皮」
「皮?」
「この薄皮……邪魔じゃねえか? これが残ってるから、後味がもっさりして青臭いんじゃねえの?」
「っ……!」
カイルは目を見開いた。
前世の知識として「豆を潰して砂糖を混ぜる」ということばかり頭にあり、ひとつひとつの丁寧な下処理——薄皮を取り除く工程を完全に失念していたのだ。
「ジーク……君、やっぱりどこかで菓子作りの——」
「知らねえ!」
ジークは乱暴に頭を抱えた。
「俺に聞くな! 俺だって今、なんでこんなこと言ってんのか分かんねえんだからよ!」
「……でも、試す価値は絶対に存在する!」
「おい、待てって!」
「やろう、ジーク! 薄皮を一粒ずつ剥いて、粒感を残して潰すんだ!」
「俺、成功するなんて言ってねえぞ!?」
「いいから!」
「何なんだよその勢い!」
◇
数十分後。
二人で黙々と気の遠くなるような作業を繰り返し、出来上がった試作の「ヴェルデあんパン」が焼き上がった。
「…………」
「…………」
焼き色は完璧だ。生地の破裂もない。
見た目は間違いなく、これまでの試作で一番美味しそうに仕上がっている。
「……よし、食べてみよう」
カイルとジークはそれぞれ焼きたてを割る。
薄皮を取り除いたことで発色の良くなった鮮やかな緑色と、絶妙に残された豆の粒感が、食欲をそそる。
ふたり同時に、口へ運んだ。
「……どう?」
「……食感はいい。舌触りも前よりずっと滑らかだ」
「味も……砂糖の甘みと豆の風味がちゃんと噛み合ってる。でも……」
カイルは眉をひそめ、咀嚼した。
「……後味が、まだ青臭いね」
「だな」
ジークは呆れ顔で、自分の指先についた緑色の餡を見つめた。
「そもそも、このヴェルデ豆ってやつ……妙に水っぽくねえか? それに、この青臭さ。皮だけの問題じゃねえ気がする」
「……豆そのものが違うのか」
「あ?」
「いや……僕が知ってるものと、ヴェルデ豆は別物なんだ。当たり前なのに、同じ作り方で同じ味になると思い込んでた」
カイルはハッとさせられたように呟いた。
前世の知識をそのまま持ち込むだけじゃ駄目だ。ここにあるのは異世界の素材なのだから、その性質に合わせた工夫をカイル自身が組み上げなければならない。
「やっぱり一筋縄じゃいかないな。ずんだあんへの道は遠いか……」
「言ったろ。俺だって作り方なんか知らねえんだ」
そう言いながらも、ジークは残りのパンを口に放り込んだ。
「……まあ、最初よりは格段に食える味だけどな」
「本当!?」
「ああ。少なくとも毒の沼地みたいな味じゃなくなった」
ジークは口元を拭い、いつものように短く鼻で笑った。
鮮やかな緑。
だが、この色と食感を感じていると、ジークの胸の奥が妙にざわつく。
——違う。
(こんな色じゃなかった)
もっと淡く、静かな緑。
そして——。
(……甘かった?)
一瞬、意識が引き戻されるような感覚があった。
見覚えのない部屋、見慣れない服の袖。
白い皿、甘い香り。
何かを形作る、自分の手。
「……ジーク?」
「!」
ハッと正気に戻る。
「どうしたの?」
「……いや」
ジークは頭の後ろで手を組み、フンと息を吐いた。
「失敗したなら、次は豆の加熱時間かアク抜きでも変えてみろよ。領主様」
「言われなくても! 次こそ絶対完成させるから」
「その台詞、前にも聞いたぞ」
「今度こそ本当!」
再び豆に向き直るカイルの横で、ジークは自分の右手をひらひらと動かした。
そして、ゆっくりと拳を握る。
(……俺は)
剣を握ったときも。
あの日、朝飯を見たときも。
今も、知らないはずの何かを知っている。
(いったい、何を忘れてるんだ……?)
答えは、まだ出なかった。
けれど——失敗した餡の味は、前回よりも確実に、ほんの少しだけ美味しくなっていた。




