↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スキル『魔石生成』で追放された僕、国から役に立たないと切り捨てられた辺境で「あんぱん」を作ります ~貧困領地が大発展していくまで~  作者: きいろい なつ
職業斡旋所編、住宅編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/157

番外編 土の色。ベルクの秋

ある農夫のお話。


 最初は、上手くいくはずがないと思っていた。

 十七歳の若造が、新しい領主としてノルデンへやって来た。しかも王都の貴族の坊っちゃんだ。畑仕事なんてしたこともないような綺麗な手で、いきなり俺たちにこう言ったのだ。


『畑で、ルージュ豆を育ててみませんか?』


 馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑った。

 ……いや。鼻で笑ったなんてものじゃない。

 俺はあの日、怒りに任せて壇上に駆け上がり、あの人の胸ぐらを掴んだのだ。


『お前みたいな、温室育ちの子供に何が分かる! 俺たちはな、一回の失敗で家族が死ぬんだよ!』


 今思い出しても、とんでもないことをしたと思う。冷や汗が出る。

 だが——。


『……分かったよ、ベルクさん』


 あの人は怒らなかった。

 それどころか、俺が名乗ってもいない名前を呼んだ。

 家族が四人いることも。俺がどこの畑を耕しているのかも。

 今朝、自分の足で畑を見に来たから知っているのだと、擦り傷と泥のついた手を見せて笑っていた。

 あんな貴族、見たことがなかった。



 ◇



 それから、しばらく経った頃だ。


「よし、完成だ。みんな、冷めないうちに食べてくれ」


 広場に運び込まれた大鍋から、見たこともない赤いスープの湯気が立っていた。

 誰もが躊躇して近づかない中、俺は意を決して器を受け取った。

 一口すすり、二口すすり——。


『……もう一杯、もらっていいか』


 あのとき、必死で涙を堪えながら二杯目を頼んだことを、俺は今でも覚えている。

 甘かった。豆なのに、ほんのりとした優しい甘さが口いっぱいに広がり、腹の底から温かさが広がっていった。

 腹いっぱい食える。たったそれだけのことが、俺たちにはずっと遠かったんだ。

 今までは、冬が来れば飯を減らす。まず俺が減らし、次に女房が減らし、足りなければ水で薄める。


『父ちゃんは腹いっぱいだから』


 そう言って残したわずかな食べ物を子どもに分け与えた夜が、何度あったか分からない。

 だから——あのただ一杯の熱いスープが、どうしようもなく身に染みたのだ。



 ◇



 あれから、いろんなことが変わった。

 俺たちが育てたルージュ豆はパン工房がきちんと買い取ってくれるし、賃金も決まった日にきっちり支払われる。『今月はどうやって食っていこう』と夜遅くまで女房と頭を抱えずに済む。それだけで十分すぎるほどだった。

 だが、変わったのは俺たちの懐だけじゃない。


「……よっと」


 畑にしゃがみ込み、土をひと掴みする。

 指の間から、ほろほろと落ちる黒い土。


「…………」


 昔の痩せた土とは、色が違う。手触りが違う。

 ルージュ豆の皮やカスなど、以前なら捨てていたものを堆肥に混ぜて畑へ戻すようになった。一度撒いたところで翌朝に魔法のように土が変わるわけじゃない。それでも愚直に耕し、土へ還し続けた。


「おっ」


 指先で、太ったズミミがうねった。


「またいやがる」


 思わず頬が緩む。ズミミが湧く畑は良い土の証拠だと、昔年寄りが言っていた。こんなものを見て喜ぶ日が来るなんて思いもしなかった。

 立ち上がると、畑の端にはカイル様が導入してくれた小型の魔道具が置いてある。

 最初は『こんなものなくたって耕せる』と突っぱねたが、一度使ったら最後、もう手作業には戻れない。歳がいけば腰も痛むし、猛暑の中で無理をすれば倒れる。

 カイル様は収穫量だけでなく、俺たちが身体を壊さないようにとあれを買い揃えてくれたのだ。

 数字しか見ないお坊ちゃんだなんて、大間違いだった。

 あの人は最初から、俺たち人間を見ていたんだ。


「あなたー!」


 遠くから女房の声が響く。


「そろそろお昼にしましょう!」


「おう!」


 大きく手を振り返す。

 夏が過ぎ、風が畑を駆け抜けていく。ざわざわと音を立てて、青かった麦が実りの黄金色へと変わり始めていた。その向こうには、たわわに実ったルージュ豆の畝が広がっている。

 去年までなら、この時期が一番怖かった。

『一回の失敗で家族が死ぬ』と、不安で押し潰されそうだった。

 でも、今年は違う。


「父ちゃーん! 早くー!」


「分かった、今行く!」


 駆けてくる二人の子どもに手を振りながら、もう一度だけ足元を見た。

 風に揺れる麦と、実ったルージュ豆。そして、生命を育む黒い土。

 腰に手を当て、深く息を吸い込む。

 怖さなんてどこにもなかった。今はただ、待ち遠しい。


「……収穫が、楽しみだな」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。