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ハズレスキル『魔石生成』で追放された僕、辺境で「あんぱん」を作ります ~貧困領地が大発展していくまで~  作者: きいろい なつ
第二章 ノルデンに迫る金融業編

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番外編 プリメロ、頑張る!


 窓の外を、冷たい風が吹き抜けていた。

 ノルデンの街路樹は少しずつ色づき、朝晩には冬の気配が忍び寄るようになってきている。

 そんな季節の変わり目、プリメロは小さな机に向かっていた。


「……材料費がこれで、燃料費がこれ。それから、包装にかかるお金も……」


 紙の上に並んだ数字を、指先で一つずつ追いかける。

 以前の自分なら、こんな作業は見向きもしなかっただろう。お菓子を作って、売って、お客さんに喜んでもらう。それだけで十分だと思っていたのだから。


(……それだけじゃ、駄目だったのよね)


 プリメロは、そっとペンを置いた。

 かつて自分たちには、小さなお菓子屋があった。

焼き菓子の甘い香りが漂い、常連客が笑顔で訪れてくれる、なによりも大切な場所。

 けれど、設備を新しくしようと借りたお金が、すべてを壊した。

 契約書に書かれていた言葉の意味を、十分に理解していなかったのだ。

 返済が遅れたとき、何が起こるのか。どんな条件で残額を一括請求されるのか。店や設備がどんな担保になっていたのか——を知らないまま、ただ流されるように署名してしまった。

 その結果、店を失った。


(……もう、あんな思いはしたくない)


 プリメロは息を吐き、再びペンを握り直す。


「……お姉様?」


 背後から、柔らかな声が届いた。

 振り返ると、ベッドの上で身体を起こしたディアナがこちらを見つめている。

 少し前まで顔色も悪く、起き上がることすらつらそうだった妹の頬に、最近は少しずつ血色が戻り始めていた。


「あっ、ディアナ。起きていたの?」


「はい。お姉様ったら、またお勉強ですか?」


「ふふ、そうよ。覚えることがたくさんあるんだもの」


「以前よりずっと楽しそうです、お姉様」


 不意を突かれ、プリメロはパチパチと瞬きをした。


「……そう?」


「はい! 前は、帳簿を見るたびに悲しそうなお顔をしていらっしゃいましたから」


 プリメロは思わず言葉を詰まらせた。

 気づかれていたのだ。店を失ってからというもの、帳簿も契約書も、借金という言葉すら怖くて目を背けていた自分に。

 けれど、今は違う。

 エドワード先生の言葉が、頭の奥に残っていた。


『数字は、あなたを責めるために存在するのではありません。現状を知るための道具です。利益が出ないなら、なぜか。費用が大きいならどこに原因があるのか。それを確かめるために使うのですよ』


 最初はちんぷんかんぷんだった。だが、何度も教わるうちに少しずつ形が見えてきた。

 売上が多いことと利益が出ることは違う。手元にある金と、自由に使える金も違う。そして——契約書にサインする前には、必ず裏の条件まで確かめなければならないということも。


「……私ね、ディアナ」


 プリメロは照れくさそうに笑いながら、妹に語りかけた。


「今度こそ、自分の力でお店を守れるようになりたいの。まだまだ勉強中だけどね」


「お姉様……」


「……私も」


 ディアナが、ぎゅっと布団を握りしめた。


「私も、また一緒にお菓子を作りたいです。まだ長くは立っていられないけれど……昨日なんて、窓辺まで一人で歩けたんですよ!」


「まあ……! 頑張ったのね、ディアナ」


「はい! だから無理はしません。でも、お姉様のお手伝いがしたいんです」


 誇らしそうに胸を張るディアナを見て、プリメロの胸がじんわりと温かくなった。

 店を奪われ、絶望の底にいたあの日には、妹とこんな風に笑い合える未来なんて想像もできなかった。



 ◇



 翌日。プリメロは一冊の帳簿を抱え、エドワードのもとを訪れていた。


「……なるほど。材料費と燃料費を分けて記録できていますし、売上と利益の違いも捉えられていますね」


 差し出した紙に目を通し、エドワードが淡々と頷く。


「ほ、本当ですか!?」


「ええ。ですが——この計算には、まだ欠落している要素があります」


「えっ!?」


 エドワードの指先が、紙の一箇所を指し示した。


「あなた自身の労働コストです。材料費だけを引いて『利益が出た』と喜んでも、そのために一日十時間タダ働きしていたのでは、事業として長続きしません。それに、道具が故障した際の予備費も考慮に入れておく必要があります」


「な、なるほど……!」


 慌ててメモを取るプリメロに、エドワードは眼鏡の奥の目を少しだけ緩めた。


「焦る必要はありません。最初から完璧な帳簿を作れる人間など存在しないのですから。大切なのは、分からないことを曖昧なまま放置しないことです」


「……はい!」


 大きく頷いたプリメロは、少し逡巡してから口を開いた。


「あの……エドワード先生。私、もう一度……お菓子を売ってみたいんです。いきなりお店を借りたりはしません。お金も借りずに、まずは少しだけ作って、どれくらい売れるのか試してみたいんです」


 エドワードの手が止まった。


「……よい考えですね。ただし、試すのであれば最初に決めておくべきことがあります」


「何でしょう?」


「売れなかった場合、どこまでの損失なら許容できるか、です」


「……!」


「商売には必ず不確実性が伴います。売れる見込みが外れることもあれば、悪天候で客が来ないこともある。ですから、失っても生活が破綻しない範囲内で試すのです」


 失っても、生活に支障のない範囲。

昔の自分は、そんな撤退ラインのことなど考えもしなかった。新しい設備さえあれば売れる、売れれば返せる——そう思い込んで、最悪の事態から目を背けていたのだ。


「……先生。今度こそ、ちゃんと考えてから始めます」


「ええ。それでよいのです」



 ◇



 その日の夕方。

 借りた小さな調理場で焼き上げたお菓子を持ち、プリメロは帰宅した。

 高価な材料も特別な設備も使っていない、素朴なお菓子。けれど丁寧に混ぜ合わせた生地は、部屋いっぱいに甘い香りを漂わせた。


「ただいま、ディアナ! 今日は相談があるの」


「お帰りなさい、お姉様! 相談って……わあ、いい香り……!」


「ふふ、まだ食べちゃ駄目よ。先に数を数えて、材料費と調理場代を計算しないと」


「なんだか……エドワード先生みたいです!」


「えっ!?  そ、そんなことないわよ!」


 頬を染めて慌てるプリメロに、ディアナがくすくすと笑う。

 プリメロは照れ隠しに、焼き立てのお菓子をひとつ手に取った。


「はい、味見係さん。……どうかしら?」


 ディアナは両手で大切そうに受け取り、小さく一口かじった。じっくりと噛みしめ、それからにっこりと笑う。


「……美味しいです。お姉様のお菓子の味です」


 その一言に、プリメロの胸がきゅっと締めつけられた。涙が溢れそうになるのを慌てて指先で拭う。


「……もう。泣かせないでよ」


「えっ、お姉様!?」


「ふふ、大丈夫。……頑張るわね、私。今度こそ自分たちの足で立てるように」


 窓の外では冷たい秋風が吹き抜け、冬の到来を告げていた。

 失った店や時間がすぐに戻ってくるわけではない。それでも、一度止まってしまった歩みを、もう一度踏み出すことはできる。

 プリメロは帳簿を開き、今日の日付を書き込んだ。そしてその隅に、小さく文字を添える。


『試作品20個。味見1個。ディアナの評価:とても美味しい』


 明日は、残りの焼き菓子をどう売るかを考えよう。売れなかったら理由を確かめればいい。失敗しても、また工夫すればいい。

 今の自分には知識があり、支えてくれる妹がいて、そしてなにより——もう一度お菓子を作りたいという情熱があるのだから。


(……よし!)


 プリメロはそっと拳を握りしめた。

 それは、ノルデンの小さな部屋から始まった、たしかで頑丈な再出発の一歩だった。



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