第36話 受け継がれし癒光の首飾り(前)
ノルデンの街に、冷たい風が吹き始めていた。
秋も深まり、朝晩の冷え込みは日に日に厳しさを増している。
そんなある日の午後、リーザは警備隊の詰所を訪れていた。
「……お体の具合はいかがですか?」
「り、リーザ様!?」
ベッドの上で身体を起こしていた若い隊員が、慌てて背筋を伸ばそうとする。
「そのままでいてくださいな」
リーザは柔らかく微笑んだ。
「今日はただのお見舞いですもの」
「あ、ありがとうございます……!」
若い隊員の左腕には、痛々しい包帯が巻かれていた。
先日、倉庫街で発生した窃盗事件。魔道武器を突きつける犯人から街の住民を庇い、この隊員は負傷したのだという。
「……痛みは引かれましたか?」
「はい。だいぶ治まりました。医師からも、少しずつ動かしてよいと言われております」
「まあ、それは本当によかったですわ」
リーザは安堵の息を吐いた。
けれど、隊員は申し訳なさそうに視線を落とす。
「……隊長や他の皆に、余計なご迷惑をおかけしてしまいました」
「そんなことはありません」
リーザは静かに首を振った。
「あなたは、ご自分の身を顧みず、街の方々を守ってくださったのでしょう?」
「……はい」
「でしたら、どうか誇りをお持ちになってくださいませ。今は傷をしっかり癒やすこと。それが、あなたの大切なお仕事ですのよ」
「……ありがとうございます、リーザ様!」
力強く頷く隊員を見届け、リーザは詰所をあとにした。
しかし、街路へ出た彼女の表情には、どこか静かな翳りがあった。
(……街が豊かになるということは、守るべき暮らしも、それだけ増えるということなのですね)
カイルが懸命に立て直してきたノルデンには、今や多くの人々が集まっている。
商人、職人、冒険者。そして、新天地を求めて移り住んできた家族たち。
街に活気が生まれることは喜ばしい。
けれど、人が増えれば争いも起きる。事故や怪我がなくなるわけでもない。
警備隊は街の安全を守り、医師たちは傷ついた人々の治療にあたっている。
その一方で、自分には何ができるのだろう。
(……私にも、何かできることはないかしら)
リーザは無意識に、胸元へ手を添えた。
そこには、幼い頃から大切にしてきた、小さなペンダントが揺れていた。
◇
その日の夕刻。
領主館の自室で、リーザは一通の古びた羊皮紙を広げていた。
実家から持参した、一族の家宝に関する手記である。
そこには、代々受け継がれてきた特別な装飾品について記されていた。
——癒光のペンダント。
一族が持つ【身体強化】の力と、使用者自身の魔力を同調させることで、傷ついた者の回復を助けるという。
ただし、失われた命を呼び戻すことはできない。
病そのものを消し去る万能の道具でもなく、使用者には相応の魔力と体力が求められる。
『このペンダントはね、人を傷つけるためのものではありませんのよ』
幼い頃、母から聞かされた言葉が蘇る。
『強い力を持つ者ほど、誰かの痛みに気づける人であってほしい。そう願って、代々受け継いできたのです』
当時は、どこか遠いおとぎ話のように思っていた。
けれど今なら、その意味が少し分かる気がした。
リーザは胸元のペンダントを外し、掌に載せた。
繊細な金細工に包まれた、小さな桃色の結晶。
花びらを思わせる意匠は、今も美しい。
しかし、中心に嵌め込まれた魔石は濁り、細かな亀裂が走っていた。
長い年月を経て、魔力を蓄える力が失われてしまったのだ。
(……もしかしたら)
リーザの脳裏に、仲間たちの姿が浮かんだ。
ジークの紅蓮の魔道刀。
ローグの静謐な魔銃。
そして、エドワードの結界を展開する魔導杖。
いずれも、カイルが生み出した魔石を用いた特別な装備だ。
(……あの魔石ならば、このペンダントにも、もう一度……)
リーザは静かに立ち上がった。
◇
「……リーザ?」
執務室を訪れた妻の姿に、カイルは不思議そうに目を丸くした。
「どうかしたの?」
「カイル様。少し、ご相談がございますの」
リーザは大切そうに抱えていた小箱を、机の上へ置いた。
「これ……?」
「私の生家に代々伝わる、家宝のペンダントでございます」
蓋を開くと、金細工に包まれた美しい装飾品が姿を現した。
「わあ……綺麗だね」
カイルは思わず感嘆の息を漏らした。
「でも、どうしてこれを?」
「このペンダントには、傷ついた方の回復を助ける力が眠っているのです」
「……治癒の魔道具?」
「ええ。私の持つ【身体強化】の魔力を利用し、傷の回復を促すものだと伝えられております」
「なるほど……!」
カイルは興味深そうに身を乗り出した。
「身体強化で自分の身体を補助するように、傷ついた人の回復力を助ける仕組みなのかな?」
「詳しい原理までは分かりませんが、手記にはそのように記されておりますわ」
リーザは小さく頷いた。
「ただ、今は魔石が劣化してしまって……」
ペンダントの中心に嵌め込まれた、濁った結晶を指さす。
「ああ……そういうことか」
「……カイル様」
リーザは少しためらってから、顔を上げた。
「もし、保管されている魔石の中に、このペンダントに適したものがございましたら……一つ、お譲りいただけないでしょうか」
「もちろん!」
カイルは即座に答えた。
「……え?」
「リーザが誰かを助けたいと思ってくれたんだろう? 僕も協力したいよ」
「……カイル様」
「まずはクロウに相談してみよう」
その言葉に、リーザはほっと表情を緩めた。
「……ありがとうございます」
「お礼なんていいよ。僕たち、夫婦じゃないか」
「……ふふ。そうですわね」
リーザは嬉しそうに微笑んだ。
◇
翌日。
二人はペンダントを携え、鍛冶工房を訪れていた。
「……ほう。こいつはまた、随分と繊細な細工だな」
クロウは小さな拡大鏡を手に、ペンダントを検分していた。
「一族に代々伝わるものでございます」
「なるほどな……」
クロウは慎重に向きを変え、金細工の裏側を確かめる。
「見た目は普通の装飾品だが、内部には細い魔力伝導路が通ってる。しかも、石の周りを何重にも囲むような構造だ」
「師匠、こちらを見てください」
横から覗き込んでいた若い職人、フィンが声を上げた。
「裏側に留め具があります。ただ、かなり精密です。無理に外したら細工ごと壊してしまいそうですけど……」
「だろうな」
クロウは腕を組んだ。
「魔力回路の調整なら俺たちにもできる。だが、こいつの金細工は専門外だ。街の細工師にも協力してもらう必要があるな」
「……修復は、可能でしょうか?」
リーザが心配そうに尋ねた。
「ああ。可能性はある」
クロウは頷いた。
「ただし、魔石を入れ替えればそれで終わり、ってわけじゃねぇ。高純度魔石の出力に合わせて回路を調整しないと、使用者に負担がかかる恐れがある」
「……私に、ですか?」
「ああ。癒やしの力を使うってことは、お前さん自身の魔力も消費するんだろ?」
「ええ」
「なら、出力を上げすぎるのは危険だ。使い手が倒れちまったら意味がねぇからな」
その言葉に、カイルが深く頷いた。
「……そうだね。リーザが無理をしなくて済むようにしたい」
「まあ……」
リーザは少し困ったように微笑んだ。
「それは、私がいつもカイル様に申し上げていることですわ」
「……うっ」
「ふふっ」
クロウが豪快に笑った。
「はははっ! そいつは一本取られたな、カイル様!」
「……クロウまで!」
工房に笑い声が響いた。
やがて、クロウは真剣な表情に戻った。
「よし。まずは修復費用と必要な材料を見積もる。細工師とも相談して、安全に使える形に仕上げよう」
「よろしくお願いいたします」
リーザは丁寧に頭を下げた。




