第23話 偵察
その日の午後。
リーザからようやく執務の許可が出た僕は、完成した行政指導基準案をもう一度確認していた。
「……これでいいかな」
「ええ。王国法との抵触が疑われる箇所は、ひとまず整理できております」
エドワードは机の向かい側に座り、公開資料を広げていた。
彼にはまだ、領主館の機密文書を扱う権限を与えていない。
昨日結んだ血の契約も、その方針を変える理由にはならなかった。
だからこそ、今回の案は王国法の公開条文と、商会が配布している契約書のひな型を中心に検討してもらったのだ。
行政の正式な担当者にも、すでに内容を確認させてある。
「……ただ、一つ問題が残っております」
「なんだい?」
「商人が条件を明示したとしても、それを理解でき
るとは限らない、という点です」
「……ああ」
僕は深く頷いた。
契約書に何十行もの細かい数字が並んでいても、専門知識のない職人や店主がすべてを理解できるとは限らない。
説明を受けたという署名一つで、本当に危険を理解したことになるのだろうか。
「……だったら、数字を比較できるようにしよう」
「比較、ですか?」
「うん。設備の本来の値段。分割払いで最終的に支払う金額。それから、途中で契約をやめた場合の負担額」
僕は新しい羊皮紙を取り、簡単な表を書き始めた。
「この三つを、誰でも並べて見られるようにするんだ」
「……なるほど」
エドワードの目がすっと細くなった。
「標準的な条件に数字を当てはめ、総支払額を試算するための表ですね」
「そう。商業ギルドの窓口で、契約する前に確認できるようにしたい」
「それならば、商人が複雑な計算式を用意しても、比較は可能になります」
彼は羽ペンを取り、僕の書いた表の横に新しい項目を加えた。
「ただし、月々の支払額だけでは不十分です。手数料の発生条件と、支払いが遅れた場合の負担も記載しましょう」
「……確かに」
「中途解約時の設備の所有権についても、別欄を設けた方がよろしいでしょう」
「うん。お願いするよ」
僕たちは、もう一度書類へ向き直った。
昨日までは一人で抱えていた問題だった。
けれど今は、目の前に意見を交わせる相手がいる。
(……僕一人で、全部を解決しなくてもいいんだ)
完成した『標準比較試算表』の原案を、僕は商業ギルドへ送ることにした。
そして必要な手続きを経た数日後、ノルデン領では設備分割購入契約に関する新たな告示が正式に発布された。
◇
【数日後——ベルニッツ商会】
「……ふむ」
マティアス・ベルニッツは、領主館から届いた告示書を手に取り、ゆっくりと目を通していた。
傍らに立つノエルが、淡々と報告する。
「本日付で発布された領内の新たな告示です。設備分割購入契約について、手数料の総額、中途解約時の負担額、その算定基準などを契約前に書面で明示するよう求めています」
「……ほう」
「さらに、悪質な不開示や虚偽の説明が確認された場合、商会側に弁明の機会を与えたうえで、その事実を公表するとのことです」
マティアスは薄く笑った。
「なるほどなぁ。カイル様も、よう考えはりましたな」
「……と、申しますと?」
「単なる金利の上限規制やったら、王国法との関係で揉める余地がある。せやけど、契約前の明示義務と事実の公表なら、領内の商業秩序を守るための措置として組み立てやすい」
彼は告示書の端を爪で弾いた。
「それに、わてら商人にとっては信用が命や。悪質な取引を公表されれば、他の商会との取引にも響きますからな」
「……では、従来の手法を改める必要が?」
「さて。どうでしょうなぁ」
マティアスは微笑んだまま、椅子へ深く腰掛けた。
「明示せぇと言うなら、明示すればええだけの話です」
「……はい?」
「契約条件を隠せないなら、隠さずに済む仕組みを作ればええ」
ノエルの目がわずかに細くなった。
「……複雑な手数料体系、ですか」
「そういうことや」
マティアスは楽しそうに鼻で笑った。
「数字は全部書く。説明もする。必要な署名もいただく。……そのうえで、一般の店主が簡単には損得を判断できんような仕組みにしておけばええんです」
「……合法的な条件で、利益を確保する」
「ええ。法を破る必要なんぞ、あらへん」
彼は告示書を机へ置いた。
「法律いうもんは、知っとる人間にとっては便利な道具ですからなぁ」
その口元には相変わらず余裕の笑みが浮かんでいた。
しかし。
(……妙ですな)
マティアスは、もう一度告示書を手に取った。
言葉の選び方。
処分権限の限界を踏まえた構成。
そして、商人側の反論を先回りするように整えられた手続き。
(……これまでのカイル様とは、少々毛色が違いますな)
若き領主は理想を語るのが得意だった。
領民を思い、新しい仕事を生み、街を豊かにしてきた。
だが、法律の細かな解釈や契約上の駆け引きについては、まだ甘いところがあったはずだ。
そのカイルが、短期間でこれほど隙のない案を出してくるとは。
(……まるで、わてらと同じやり方を知る人間が、裏についているような……)
マティアスは、ゆっくりと目を細めた。
「……ノエル」
「はい」
「最近、領主館に新しい人間が出入りしてへんか、調べておいてくれんか」
「……承知いたしました」
マティアスは口角を上げた。
「いやぁ……これは、少し面白うなってきましたな」




