第14話 嵐のあとの朝
深い、深い熱の渦から、ようやく意識が浮上した。
「……ん……っ」
「……あなた……?」
目を開けると、やつれた顔のリーザが僕の顔を覗き込んでいた。
目元には濃い隈が浮かび、いつも綺麗に整えられている髪も、少し乱れている。
リーザは何度も目をこすり、震える手で僕の頬に触れてきた。
「……よかった……本当に……っ! ジーク! カイル様が目を覚まされましたわ!」
ぼろぼろと涙をこぼすリーザの声に、控えていたジークが弾かれたように駆け寄ってきた。
「カイル! お前……っ!」
ジークの声も、どこか震えていた。
「……リーザ……ジーク……」
声を出そうとすると、喉がひどく痛んだ。
「僕……どれくらい……?」
「二週間だ。……倒れてから、丸々二週間も眠りこけてたんだよ」
「二週間……?」
その言葉に、思わず跳ね起きようとした。
しかし、全身を強い倦怠感が襲い、僕はそのままベッドに倒れ込んでしまった。
「動いちゃダメだ!」
ジークが慌てて僕の肩を押さえる。
「診療所の魔法医が言ってたぞ。極度の過労に加えて、『魔力の異常蓄積による高熱』だってな」
「魔力の、異常蓄積……?」
魔法医が二週間かけて、僕の体内に溜まりすぎた魔力を少しずつ外部へ逃がす処置を施し続けてくれたことで、ようやく熱が下がったのだという。
その間、リーザはほとんど僕のそばを離れず、幾夜も眠れないまま看病を続けてくれていたらしい。
(……そうか)
思い当たる節があった。
僕の【魔石生成】は、体内の魔力を魔石として外部へ取り出す能力だ。
ところが、連日の金融規制に関する書類仕事に追われるあまり、その日課を完全に怠っていた。
行き場を失った魔力が体内に蓄積し、ついには身体に異常をきたしてしまったのだ。
(行政の過労だけじゃなく……自分自身の体の管理すら、できていなかったなんて……)
自分の不甲斐なさに、苦い唾を飲み込む。
「……ごめん、リーザ」
「……謝らないでくださいませ」
リーザは首を横に振った。
けれど、その瞳からは、また大粒の涙がこぼれ落ちた。
「わたくしは……あなたが、もう目を覚まされないのではないかと……っ」
「……うん」
「ですから……今は、どうか……」
震える声でそう告げるリーザの手を、僕は弱々しく握り返した。
それから、僕が倒れていた二週間の出来事を、リーザは静かに語ってくれた。
彼女とジーク、そして事務官たちが窓口を守り、混乱を最小限に抑えようと必死に奔走してくれたこと。
しかし、僕でなければ判断できない高度な法務精査や、専門的な金融調停が完全に止まってしまったこと。
その結果、返済期日を迎えた何人かの事業者が、商会へ店舗や設備を引き渡さざるを得なくなったこと——。
「……街の人たちの反応は、様々でしたわ」
倒れた僕を心配し、無事を祈って差し入れを届けてくれた人々。
収支表のおかげで無謀な借金をせずに済んだと、感謝の言葉を寄せてくれた商人たち。
けれど、その一方で。
『領主様が甘い夢を見せたから、破産したんだ』
『相談に乗ってくれると言っていたのに、結局は放り出されたじゃないか』
そう怒り、失意のうちにノルデンを去っていった家族もいたという。
「……そう、だったんだね」
僕は、それ以上何も言えなかった。
リーザたちは、できる限りのことをしてくれた。
それでも、救えなかった人がいた。
僕が倒れたことで、止まってしまった仕事があった。
その事実だけが、胸の奥に重く沈んでいった。
◇
数日後。
少しだけ身体を動かせるようになった早朝、僕は一人で領主館を出た。
朝靄に包まれた街には、まだ人影が少ない。
ひんやりとした秋の空気が、熱の残る身体に心地よかった。
誰もいない大通りを抜け、街の外縁部に広がる開拓畑へと向かう。
整然と畝が作られ、緑の芽が力強く育っている。
かつては荒れ果て、誰も見向きもしなかった土地だ。
今では、こうして新しい命が芽吹いている。
……それなのに。
(僕は、何をしていたんだ……?)
畑を見つめながら、自問自答した。
前世の知識があるからこそ、自分がやらなければならないと思い込んでいた。
誰かに任せたくても、任せられる人材がいない。
金融も、財政も、法律も。
専門的な知識が必要な仕事ほど、どうしても僕のところへ集まってきた。
だからといって、すべてを自分で抱え込めば、いつか限界が来る。
……そんな当たり前のことさえ、見失っていたのだ。
自分ひとりの手で抱え込もうとした結果が、この失敗だった。
前世では、一国の経済を立て直した。
恐慌に怯える人々を前に、財政と金融の舵を取り、国を再び動かした。
もちろん、すべてが上手くいったわけではない。
失敗もした。批判も受けた。思い通りにならないことなど、数え切れないほどあった。
それでも、幾度となく困難を乗り越えてきたという自負が、僕にはあった。
だからこそ、今世でも何とかできると思っていた。
たとえ十八歳の身体になろうとも、積み重ねてきた経験と知識までは失われていないのだから、と。
……けれど。
この有様だ。
「……ははっ」
乾いた笑いが、思わず喉からこぼれた。
リーザには、幾晩も眠れない思いをさせてしまった。
ジークにも、事務官たちにも、余計な負担を背負わせてしまった。
そして何より——。
僕を信じ、助けを求めてくれた領民たちを、守り切れなかった。
僕が倒れなければ、違う結果になっていたかもしれない。
……いや。
そもそも、僕が倒れただけで仕事が止まってしまうような仕組みにしていたこと自体が、間違いだったのだ。
(……ああ。なんて情けないんだろう)
今の僕は、目の前の小さな領地でさえ、満足に守れていない。
豊かにしたかった。
誰もが安心して暮らせる場所にしたかった。
そのために働いてきたつもりだった。
けれど、僕が無理を重ねた結果、誰かの暮らしを守るための仕事が止まってしまった。
……何をやっているんだ、僕は。
顔を上げた。
空は、残酷なくらい青く澄んでいた。
雲ひとつない、どこまでも高い秋空。
まるで、僕の失敗など、この世界にとっては取るに足らない出来事だとでも言うように。
僕はしばらく、その青さを見つめていた。
胸の奥に、重い無力感が広がっていく。
……その時だった。
「……? あれは……」
畑の脇。土の道路の端に、何かが倒れているのが目に入った。
最初は、捨てられた荷物かと思った。
けれど、風に揺れる布の隙間から、人の手が見えた。
「……っ!」
考えるより先に、足が動いていた。
まだ十分に回復していない身体が、悲鳴を上げる。
それでも、僕は構わず駆け寄った。
倒れていたのは、ボロボロの旅装に身を包んだ、一人の青年だった。
痩せこけた頬。 乱れた髪。
埃まみれの衣服。
長い距離を歩いてきたのだろう。靴はひどく擦り切れていた。
僕はその傍らに膝をつき、青年の肩にそっと触れた。
「大丈夫かい!? しっかりして……!」




