番外編⑧「不器用な剣先、迷子の恋心」
神殿の執務室。副団長は、珍しく静かな午後のひとときに深く椅子に背を預けていた。
あの「分かりやすすぎる二人」――ようやく想いが通じ合ったシルフィとユーロスが、揃って視察に出かけているおかげだった。
(……平和だ。胃が、痛くない)
窓の外から流れてくる穏やかな風。これこそがかつての神殿だった、と感傷に浸りながら温かい茶を啜ろうとしたその時。
『失礼します、副団長』
短いノックと共に、サティが入ってきた。
二十四歳の優秀な女性騎士。ユーロスへの失恋を凛とした態度で乗り越えた彼女の姿には、近頃、以前にも増して逞しさが加わっていた。
「ああ、サティか。どうした、視察の留守を預かる分隊の報告か?」
「いえ……。個人的な、相談が」
「…………」
副団長は、口に運ぼうとしていたティーカップを静かにソーサーへと戻した。
嫌な予感がした。
この神殿で「個人的な相談」と言えば、ろくなことが起きた試しがない。
「最近、その……ちょっと気になる人が、できまして」
『……ッ!』
副団長は音も立てずに己の柔弱な腹部を強く押さえた。急激な胃の収縮。
「……サティ。お前まで、ユーロスのような恋愛事故を起こすつもりか?」
「違いますよ! あんなのと一緒にしないでください!」
サティは顔を赤くして反論したが、すぐに視線を彷徨わせ、不器用に髪を掻いた。
「ただ、その相手が……何を考えているのか、さっぱり分からなくて。一緒に訓練をしていると楽しいのですが、それは単に『強敵と剣を交える喜び』なのか、それとも……」
サティが語り始めた相手は、騎士団の北方支官から短期派遣されてきている大剣使い、ガストンだった。
ガストンは、サティと同年代。言葉数は極端に少なく、趣味は「筋力鍛錬と剣の錆落とし」という、サティに輪をかけて不器用で無骨な男だった。
「先日、彼に『明日の非番、空いているか』と聞かれたんです」
「ほう。それは誘いではないのか?」
「私もそう思ったんですが……。結局、朝から晩まで二人きりで『効率的な重装鎧の着脱法』について議論しながら、千回素振りをして終わりました」
「…………」
「別れ際に彼、『今日は有意義な時間だった。君との連携には、信頼という名の重みを感じる』って、清々しい顔で握手を求めてきて」
副団長は天を仰いだ。
ユーロスが「愛の重さで木剣を砕く男」なら、この二人は「愛をすべて戦技に変換して消滅させる男女」だった。
副団長は何かに想いを馳せるように、サティを連れ執務室を出た。
「サティ。お前、その時どう思ったんだ」
「……え? そりゃあ、純粋に尊敬というか。これほど真摯に武の道を語り合える相手はいないな、と。胸の鼓動が激しかったのも、きっと激しい稽古の後だったからですし」
「……お前、それは――」
「いえ、友情です! あるいは、高度な騎士道精神による共鳴です!」
不器用な女騎士の、全力の否定。
副団長は、視察から戻ってきたシルフィとユーロスが、遠くから「幸せオーラ」を撒き散らしながら歩いてくるのを見つけた。
あちらはあちらで、もはや隠す気もないほどに甘い空気を纏い、周囲を当てさせている。
「……サティ。あっちを見ろ」
「あー……。今日もユーロスの奴、シルフィ様の三歩後ろで、鼻血が出そうな顔して見つめてますね」
「あれが、この神殿における『標準的な恋』だ。そしてお前たちのは――『迷子の千本素振り』だ」
そこへ、噂のガストンが修練場から顔を出した。
彼はサティを見つけると、無表情のまま、けれどどこかぎこちなく歩み寄ってきた。
「……サティ。明日の夜、空いているか」
「! ……ええ。何か用事?」
「新しく導入された『野営用固形燃料』の燃焼実験を、風通しの良い場所で行いたい。君の風の魔力制御があれば、より正確な検証ができると思うんだが」
「いいわね。最高に有意義な夜になりそうだわ!」
二人は、夕焼けに染まる修練場へと意気揚々と消えていった。
その距離は、恋人というにはあまりにも武骨。けれど、肩が触れ合いそうなほどに近い。
副団長は、懐から胃薬を取り出した。
「……これからは、不器用による鈍感の嵐か。ユーロスの直球より、ある意味たちが悪いな」
甘すぎるトップ二人と、鈍すぎる二人。
風の神殿の平穏(?)は、今日も新しい意味で脅かされ続けていた。




