The story’s 似顔絵屋 5
その日は、風が少し弱かった。
似顔絵師は机を出さず、村の外れを歩いていた。
畑の先、道とも呼べない細い土の線を進む。
特に目的はない。
ただ、歩いているだけだった。
しばらく行くと、小さな丘のような場所に出る。
そこで、ひとりの少女が座っていた。
膝の上に紙を置き、何かを描いている。
近づいても、少女は顔を上げなかった。
ただ、手を動かし続けている。
似顔絵師は少し離れたところに立ち、紙を見る。
描かれているのは、風景だった。
丘の向こう。
遠くの木。
空の広がり。
細かく、丁寧に描かれている。
「上手いな」
声をかけると、少女は少しだけ手を止めた。
「……ありがとう」
それだけ言って、また描き始める。
似顔絵師はそのまま隣に座った。
少し沈黙が続く。
風が紙を揺らす。
少女がそれを押さえる。
「人は描かないのか」
似顔絵師が聞くと、少女の手が止まった。
しばらくして、ゆっくりと答える。
「描かない」
「描けない?」
「描かない」
その言い方ははっきりしていた。
意図して避けている。
似顔絵師はそれ以上すぐには聞かなかった。
しばらく二人で、何も言わずに座る。
やがて少女が、自分から口を開いた。
「昔、一回だけ描いたことある」
似顔絵師は何も言わない。
ただ聞く。
「その人に頼まれて、顔を描いた」
少女の視線は紙に落ちている。
「頑張って描いた。ちゃんと見て、ちゃんと考えて」
風が少し強くなる。
「でも、その人……怒った」
手が少し止まる。
「こんなの違うって。こんな顔じゃないって」
声は静かだった。
「絵、破られた」
似顔絵師は少女を見る。
少女は顔を上げない。
ただ紙を見ている。
「それから、人は描かないって決めた」
短く、はっきりとした結論だった。
似顔絵師は少しだけ空を見た。
この世界では、顔は自分で確認できない。
だから他人の描いたものが、そのまま“自分”になる。
その重さを、少女は一度受けてしまった。
そして拒絶された。
それだけで、十分だった。
似顔絵師は何も言わなかった。
言葉で何かを返すことは、ここでは違う気がした。
代わりに、紙と炭筆を取り出す。
少女の隣で、静かに描き始める。
何を描くかは決めない。
ただ、線を引く。
少女は少しだけ横目でそれを見る。
何も言わない。
二人の間に会話はない。
ただ、紙の上で音だけが重なる。
風景を描く音。
顔を描く音。
違うものを描いているのに、同じ時間が流れる。
やがて、似顔絵師の手が止まる。
一枚の紙を、少女のほうに差し出す。
少女は少しだけ戸惑いながら、それを受け取る。
そこには、自分の顔が描かれていた。
初めて見る、自分の顔。
少女はじっとそれを見る。
怒りはない。
戸惑いも、少しだけ。
そして何より、“知らないものを見る感覚”。
似顔絵師は静かに言う。
「それも、君だ」
少女は顔を上げる。
「でも、これが全部じゃない」
少女の手の中の紙。
そして膝の上の風景画。
似顔絵師は続ける。
「今描いてるそれも、君だ」
風が吹く。
二枚の紙が少し揺れる。
「怒られたときの君も、描かなかった時間も、全部そうだ」
少女は何も言わない。
ただ、二つの絵を見ている。
顔と、風景。
まったく違うもの。
でもどちらも、自分の手や時間から生まれている。
長い沈黙のあと、少女は小さく言った。
「……変なの」
似顔絵師は少しだけ笑う。
「そうだな」
少女はもう一度、自分の顔を見る。
そのまま、大事そうに重ねる。
風景の上に、顔を置く。
似顔絵師はそれを見て、何も言わなかった。
ただ、少しだけ安心した。
この村では、顔は強い意味を持たない。
だからこそ、壊れずに残ることもある。
夕方の光が、少しだけ柔らかくなる。
二人はそのまま、しばらく座っていた。




