20.二国の異世界人(4)
ドキドキと、心臓が痛いくらい脈打っている。
ジュジュは音にならないよう、ゆっくり、努めてゆっくりと深呼吸をした。
「あっ、見て! ビーノのブランデー!」
「ヒッ」
「仕事場に持ち込んじゃって、いっけないんだぁー。没収、没収~」
ドッ、ドッ、ドッ、と本当に洒落にならないほど心臓が稼働している。
胸を強く押さえながら、ジュジュは潜んでいたドアの陰から身を乗り出した。
「あ、あ、あの……! その位置は、窓から見えてしまうんじゃ……!」
「いつまでも廊下にいる方がマズくないかしら」
「うっ……」
ジュジュはじっと室内を見渡す。
部屋にいるのは、桃色の髪の女性——シィレだけで間違いない。はずだ。
それをよくよく確認してから、ジュジュは身を縮ませつつ最低限の動きで部屋へと足を踏み入れた。
ここは王国兵の、とりわけ上層に位置する人間に与えられた事務室だ。
デスクやソファーなどの質がよく、そして棚にはシィレが言った通り酒瓶と、大量の資料が並べられている。
「ジュジュちゃんは慎重になりすぎよ。ささっと動いて、もし敵に見つかったらボコす。それくらいでいいんじゃない?」
「シ、シィレさんは大胆すぎです……。せめて、声はもっと小さく……」
「ごめん、小さくて聞き取れなかった。もう一回言って?」
「あ、う……えと……こ、声は、もっと小さく……」
「ごめん、小さくて聞き取れなかった。もう一回言って?」
ジュジュは黙り込んだ。
つまり、聞く気はないし、改めるつもりもないらしい。
——なんで、こんな人と一緒に。
それがすごく不満だった。
セーリンド帝国に協力すると決めた以上、ベイルドア王国への潜入や情報収集を任せられることに文句はない。
けれどジュジュとしては、ツーマンセルを組む相手はうみがよかった。
今回の任務、ジュジュ側の小隊に組み込まれるうえでの必須条件は、魔力感知に引っかからないことだ。
ジュジュはあまり詳しくないが、シィレは魔法が使えるものの、魔力感知には引っかかりにくいタイプであるらしい。
だが、ジュジュと同じく魔力を一切持たないうみも、当然その条件には当てはまったのだ。
だから最初、うみがこの任務の話を持ってきたとき、ジュジュは控えめに——あくまでも控えめに、うみと一緒がいいと訴えた。
その答えは、『少しの失敗が命に関わる状況のなか、しかも敵地のなかで、元敵方の人間とふたりきりにはなれない』というものだった。
ジュジュは、鼻歌をうたいながら酒瓶に手を伸ばしているシィレの背中を見つめる。
——じゃあ、なんでこの人とはふたりっきりにさせられてるんだろ……。
彼女も自分と同じで捨て駒なのかな、という推測もできるが、それにしたって呑気すぎやしないか。
結局のところ、なぜジュジュとシィレがツーマンセルを組んでいるのか、その理由はわかっていない。
「ほーら、いつまでものんびりしないの。適当に漁って、よさそうなのを詰めないと、でしょ?」
「…………は、い」
真っ先に酒瓶を手にしたシィレには言われたくないセリフだ。
ジュジュは釈然としない気持ちを抱えつつも、背負っていた大きなリュックに資料を詰め込んでいった。
「おっ。いいものみーっけ! ジュジュちゃん、こっちこっち」
シィレが手招く。
またお酒かな……と思いながらも近づくと、本を抜いた本棚の奥に、鍵付きの重厚な箱が置かれているのが見えた。
「金庫……でしょうか……?」
「だと思うわ。結界系は……なさそう。ジュジュちゃんなら開けられるかしら?」
「えっと……魔法がかかってないなら……はい」
金庫の縁と扉に手をかけたジュジュは、思いきり引っ張った。
鍵が弾け、扉が形を変えて、中身があらわになる。
「これは……」
「おっおっお~? 手紙なんて、いかにもなものを入れちゃってまあ。お姫様のお目当てならいいけれど」
言いながら、シィレは自分のリュックに手紙の束を突っ込んだ。
量がかなり多く、酒瓶も入っているシィレのリュックは、もうパンパンに張りつめている。
「ひとまず、ここはこれくらいかしら。次は、アビの都市長のところね」
「あ、あの……兵はスモモさんたちが引きつけてくれていますけど、役所の方は警備員が出払うことはないでしょうし、都市長の自宅も使用人とかがまだ起きてると思うので……その、そっちではもっと慎重に————」
ひゅ、とジュジュは息を飲んだ。
シィレが首を傾げたが、彼女もすぐ気づいたようだ。
「こんな夜中にカンベンしてくれよなぁ」
男の話し声。それも複数人のものが近づいてきている。
ジュジュは身を屈め、開け放したままのドアの側まで移動し、耳を澄ませた。
「だよなぁ。なんなんださっきから。避難しろっつったり、西街道に行けっつったり、やっぱ待機しろっつったり、そんで今度は地下水路に行けっつってよぉ」
「上の方も、べつんとこから指示受けてるみたいだぜ。ありゃあ、隊長も状況よくわかってねーよ絶対。それより、ニベツたちがどこに休憩に行ったかわかるか?」
「どうせ宿でイチャイチャでもしてんだろ。呼んだって早めに戻ってきたりはしないと思うぞ」
「カーッ、こんなときによぉ。減俸だ、あのイケメン野郎め!」
数は三。音から判別するに、全員剣を提げていることが推測できる。
ジュジュがシィレに目配せをすると、彼女は声を出さず口の形だけで「がんばれっ」と言ってきた。
どうやら、ジュジュだけで対応しろということらしい。
ジュジュは、ポケットからハンマーを取り出した。
いまはまだペンのように細く頼りないサイズのハンマーだが、これには魔法が込められている。伸縮自在で、瞬時に人間ひとりを圧し潰せるくらいのサイズへと変化させることができるのだ。
「でもネウィドルちゃんが真面目だから、引きずられてとっくに現場————うん?」
「どうした?」
「いや……分団長室が開きっぱ——」
ジュジュは部屋を飛び出した。
ハンマーはすでに巨大化済みだ。
「な……げうッ!?」
ひとりは剣を構える前に、頭を潰した。
「こんのッ……!」
ひとりは剣を構えた腕ごと、腹を潰した。
「はあッ!!」
「くっ……!」
最後のひとりは、剣でジュジュのふくらはぎを的確に切り裂いてきた。
あまりの激痛に顔をしかめる。
二人目の腹を潰した直後の隙、ジュジュが振り返るよりも早い行動。味方がやられても、捕縛するために必要な一手を打つ。冷静で手強い兵だ。
ジュジュは無事な方の脚を軸にして、思いきり体を捻る。
兵はバックステップでジュジュから距離をとったが、ジュジュはそのままハンマーを振り抜いた。
「は————」
壁にめり込んだ男は、理解できただろうか。
間合いから外れたはずなのに、さらに巨大になったハンマーに吹き飛ばされたことに。
いくら手強いといえど、異世界人や異世界道具を持ち出せば、一般兵などこの通り。
そして、訓練と実践を積んだ兵をそうやってあっさり殺せてしまう自分が、ジュジュはたまらなく嫌だった。
「うぅ…………」
涙がこぼれる。
痛くて、不快だ。
けれど、そんなジュジュの心情など知ったこっちゃないと言わんばかりに、シィレの明るい声が響いた。
「ナイスぅ! いいね、いいね! これならスモモちゃんたちの陽動が失敗しても、全然押し切れそう! 頼りにしてるわよ、ジュジュちゃん!」
「……あの」
ジュジュはしゃがみ込み、ふくらはぎを手で押さえながら口を開く。
「戦うの、あたしだけですか……? あたしの戦い方は……その、見ての通り……身を隠しながらっていうのに向いてなくて……」
「うーん。残念だけど、わたしはもっと向いてないわよ? デバッファー兼ヒーラーだもん」
「でば……?」
「あらら? スモモちゃんと同じ世界出身よね? 伝わらないかしら? 敵の能力を低下させたり、みたいな」
「はあ……」
「んーと……具体的には、敵の動きを遅くしたりって感じね。ヒーラーはわかるかしら。回復係ってこと。要するにわたし、直接攻撃とかはできないの。ジュジュちゃんが前衛で、わたしが後方支援。怪我したら治してあげるから、それで我慢してちょうだいな」
——なら、早くわたしの脚を治してくれないかな……。
皮膚から骨がのぞくほど深く斬れていて、出血もひどい。正直、このままだと身動きがとれず、下手すると意識を失ってしまうかもしれない。
そう思いながらジュジュがシィレを見上げると、にっこりと笑って首を傾げられてしまう。
このレベルの怪我は治せない、ということなのだろうか。
掴みどころがないというか、よくわからない人だ。
「ええと……あの……応用……というか、どこまでできるんでしょうか……? あたしの痛みを消したりとか、あたしの能力を向上させたり、みたいなのは……」
「えーっ、そんなことできるわけないでしょ! だってわたし————悪魔なのよ?」
「…………えっ」
「ふっふっふー。スモモちゃんたちにもナイショね」
——悪魔。あくま……?
ベイルドア王国では、そんなのが召喚されたなんて話は、一度たりとも聞いたことがない。
冗談……だったり?
血が失われてきているせいか、うまく頭が働いていない気がする。
「人間への嫌がらせなら、大大大得意なんだけどねー。恩恵とか加護とか、そういう系の魔法はさっぱりで」
「……回復は、恩恵では……?」
「あ、そうなの? うみちゃんは拷問みたいな力って言ってたけど」
「うみさんが……?」
——あの常識的な人が拷問とまで言う力って一体……?
ジュジュが眉をひそめて考えていると。唐突にシィレがブランデーを取り出し、酒瓶に直接口をつけた。
「え? あの、えっ……ま、まだ任務中……」
「……っぷはー! んまーい! けど、魔法一回分で我慢我慢っと。そーれっ」
軽い掛け声とともに、シィレの指先から光が飛ぶ。
その光はまっすぐジュジュの脚に吸い込まれ、ひときわ強く輝いたかと思ったら、次の瞬間にはふくらはぎの怪我が綺麗に塞がっていた。
「わ……。あ、ありがとうございます……!」
治せるなら、ちんたら会話なんてせずに、さっさと治してほしかった——という言葉は胸にしまって、ジュジュは立ち上がる。
——しかし。
「いっ……!?」
激痛が脚から脳まで走って、すぐにうずくまってしまった。
ジンジンと響く痛みは、なかなか引く様子を見せない。
ジュジュは涙目でシィレを見上げる。
「あ、あ、あの、これ、治ってますか……?」
「治ってるわよ? 流れ出た血もなにもかも、キレイに元通り。脳が錯覚でもしてるんじゃなぁい?」
「錯覚……」
そうなのだろうか。
表面は綺麗に修復されていても、中身がズタズタなままなのではないかと疑うほどの痛みなのだが。
ジュジュは、錯覚、これは錯覚……と心のなかで唱えながら、再度、今度はゆっくりと立ち上がった。
「くっ……う……」
やはり痛い。
歯を食いしばり、壁に手をついて、それでようやく立っていられる状態だ。
「じゃあ、そこの窓から飛び降りるのが近道っぽいから、それでいいかしら?」
「えっ」
「二階くらいの高さなら平気でしょ?」
ジュジュは無意識に首を横に振っていた。
「あの……せめて……せめて、少し休憩を……」
「あら、どうして? 怪我は治ったのに? 時間をかけたら、また戦いになっちゃうわよ? けっこう派手な音を立てちゃってたし、人が集まってくるんじゃないかしら。ジュジュちゃん、戦いを嫌がってるふうだったじゃない。だから、ね? ひと思いに飛び降りて逃げちゃお? その方が、ジュジュちゃんも楽だと思うわよ?」
ジュジュが本気で痛みを感じているのはわかっているはずなのに、気づいているはずなのに、シィレは頬を染めて笑っている。
——いや、嗤っている。この状況を、楽しんでいる。
「大丈夫よ、ジュジュちゃん。どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても、わたしが絶対に気絶させないし、絶対に死なせないから。着地に失敗しても問題なし。どんどん気兼ねなく怪我していっちゃおうねっ」
——悪魔。
きっとここでごね続けても、『ジュジュちゃんのため』だとか笑って、窓から突き落とされるに違いない。
だったら自分の意志で飛び下りて、最短ルートで情報収集を済ませて、『スムーズに任務は進みました』『ジュジュを配下にしても問題ないでしょう』と上に報告してもらった方が、ずっとずっとマシなはずだ。
「帰るため……帰るためだからっ……!」
ジュジュはハンマーを杖代わりにし、震える足で窓へと一歩踏み出した。




