21.二国の異世界人(5)
——ベイルドア王国、交易都市アビでの作戦は成功。これから帰還します。
アステティの魔法文書に書かれた報告を読み終えたうみは、「ふーっ」と大きく息をついて、イスの背もたれに体を預けた。
いつだって、だれかを仕事に送り出したあとは、成功報告が来るまで緊張してしまう。
仕事中も休憩中も心が落ち着かず、きちんと睡眠をとることすらできなかった。
「ふわぁ……」
いまいるのは自室。ベッドがすぐそばにある。
うみは誘惑に勝てず、眼鏡を外してベッドに横になってしまった。
「少しだけ……」
あと一時間もすれば、いつも起きる時間になる。
アステティ不在のため、朝食を作る担当はうみだ。
朝食を抜くことが多いリムククはともかく、すぐに寝食を忘れるヤーナを放置してしまう事態だけは避けなければならない。寝坊は許されないが、きっと毎日の起床アラームが起こしてくれるだろう。
どんどん沈んでいく意識のなかで、うみは小さく口角をあげる。
——わたしってば、お母さんみたい。昔は朝食の心配をしながら寝るなんて、絶対になかったのにな。
◇
うみは、そこそこ裕福な家の出だった。
お受験をして小学校から私立に通い、外部受験をしてまた別系列の私立中学へと進学。家族仲もよくて、習い事なんかもやりたいことをやらせてくれる。
幸せな家庭に産まれた自覚は、当時のうみにもあった。
ただ、そんな生活のなかでも、少し困っていることはあった。
うみは、ほんの数人ではあるが、一部の同級生や先輩からよく思われていなかったようなのだ。
裕福な産まれの人は、同級生のなかにもたくさんいた。家族仲がいい人もたくさんいた。
けれどうみはそれだけでなく、学級委員長で、不動の成績学年一位で、吹奏楽部で唯一コンクールメンバーに選ばれた一年生だった。
夏ごろまでは、気のせいかな? と思う程度でしかなかった数名の態度が、冬になるころには、あからさまな悪意が見えるほどに変化してしまったのだ。
「ねえ、いいでしょ? イイコちゃんなんだから、先生が困ってたら助けてあげないと」
その日は冬休み。一月の四日だったか五日だったか六日だったか。ともかく三が日は過ぎたけれど、まだ始業式は迎えていない時期。
部活動をする生徒のため、そして受験を控えた三年生のために学校が解放され、けれどそのとき一年一組の教室にいたのは、うみと、それから同じ部活のクラスメイト三人だけだった。
「でも……これ、佐伯さんが頼まれたんじゃ」
「えー、違うよぉ? 頼まれたんじゃなくて、なにか暇つぶしになるお仕事くださいって言って、わざわざもらってきたの。部活の日にち間違えちゃって、夕方にならないと親が迎えに来れないからって」
四つもの机を使って置かれているのは、プリントの山。学習プリントもあれば、お知らせのプリントもある。
「あっ、大丈夫だよ。ちゃんと先生にも、鯨さんが手伝ってくれたって言ってあげるから」
「手伝ってって……佐伯さんたちは部活に行くんでしょ? わたし、この前も休んじゃったし、今日は部活に出ないと……」
「いーよ、いーよ。先輩たちにはもう言っといたから。鯨さんは今日も休むって言ってましたって」
「は……なんでそんな勝手に」
「鯨さんの家、防音設備あるんでしょ? 家でもできるからいいじゃん」
「い、家でもって、わたしだっていろいろ……勉強とか……!」
「勉強時間くらい少し削りなよー。どうせ学期末もトップだったんだよね? 塾にも通ってないのに、ほんとすごーい」
心にもない賞賛を吐いて、クラスメイトは「じゃ、よろしくー」と教室から出て行ってしまった。
吹奏楽部は体調不良以外で休むとサボりとみなされ、先輩からチクチクと嫌味を言われるはめになるのだ。とくにうみは、二年生を押しのけてコンクールメンバーに選ばれたことがあるから、なおさら。『調子に乗ってるんじゃない?』と何度言われたことだろう。
「はあ……」
「やろうか?」
「ぴぁっ!?」
突如、もうだれもいないはずの教室内で声がし、うみは奇声をあげる。
振り返ると、ベランダへの出入り口から、先ほどまでいたのとはべつのクラスメイト——古賀スモモが顔をのぞかせていた。
「数かぞえて、ホチキスするだけでしょ? わたし、やっとくよ」
「えっ……?」
なんで。
うみは不思議を通り越して、不審に思ってしまう。
彼女とうみは、一度も話したことがない。ほかの人と話しているところも、ほとんど見たことがない。古賀スモモはだれとも深く関わらず、あまり笑わない子だったのだ。
その要因を、うみはなんとなく知っていた。
一学期の間は一緒に行動していたグループの子から、一学期末テストの結果を見られ、学年最下位だと教室内で言いふらされ、バカにされていたこと。
それから三者面談で、たまたまうみがスモモが次の順番だったから聞いてしまったのだが、スモモの母親が「どうしてこんなにできないの! 恥をかかせないで!」と怒鳴っていたこと。
私立の難関中学だから、入試を突破できている時点で、スモモは決して頭が悪いわけではないのだ。
ただ様々な環境がかみ合わなくて、孤立してしまっているんだろうな、とうみはそんなふうに思っていた。そして、孤立している人と仲良くしようだなんて行動ができるほど、うみは勇敢でもなかったしお人好しでもなかった。
だから、孤立していると気づいていながら放置していたうみに、彼女の方から手伝いを申し出てくるなんてあり得ないとまで考えていたのである。
「い、いいよ、大丈夫」
「部活、いろいろとピリピリしてるんでしょ。行った方がいいと思う」
「…………でも」
「…………迷惑だった?」
「そ、そんなことないよ!」
ついつい首を横に振ってしまい、うみは少しだけ後悔した。
そう言った手前、強く突っぱねることができなくなり、「……本当にいいの?」と控えめに聞くしかなくなってしまう。
「いいよ。ヒマだし」
「ヒマって……古賀さん、塾に通ってるんじゃ……。冬期講習とかは……?」
「よく知ってるね。……一日くらい、いいよ。どうせ。なにも変わらないんだし」
言いながら、スモモがプリントを手に取る。
うみはしばし、うろうろと視線を彷徨わせた。
部活には行きたい。これ以上、嫌味を言われるのは避けたい。というか、そもそも部活をするために、冬休み中のだるい体を引き摺って学校に来ているのだ。任せてしまえるのなら、任せてしまいたい。
……だがさすがに、この状況で『じゃあ、よろしく!』と言ってしまったら、自分に無駄な仕事を押しつけてきたクラスメイトと同類になってしまう気がする。
結局、うみはそこまで図太くはなれなかった。
「わ、わたしも、する!」
「え、でも」
「いいよ、わたしだって、一日くらい。どうしてもダメだったら、部活くらいやめちゃえばいいし。なんにも変わらないよ」
「……部活は変わるんじゃないかなあ。内申点とか」
苦笑まじりに言ったスモモを無視して、うみはプリントとホチキスを持ちイスに座る。
そこからは、スモモもイスに座り、ふたり横並びで作業を進めた。——無言で、だ。
——すっごく気まずい。
そう思っているのは自分だけだったのかもしれないが、五分足らずで耐えられなくなり、うみは口を開いた。
「い……いつからベランダにいたの?」
「ん……朝から、かな。いつもの登校時間くらい」
スモモはあまり表情を動かさず、作業する手元に視線を向け続けている。
だが彼女の声に、うみの質問を嫌がるような響きはなかったため、少し安堵したうみはそのまま話を続けることにした。
「もしかして、塾サボり?」
「うん。そんな感じ」
「塾って行ったことないから的外れかもしれないけど……冬休みでも制服着て塾に行くのって普通なの? ヘンに思われたりしない?」
「うーん。多くはないけど、部活帰りの子もいないわけじゃないから。家族に行き先を疑われるんじゃないかって意味なら、少なくともお母さんはなんとも思ってないよ。わたしのこと、気にしてるふうで気にしてないし」
「え……」
「鯨さんは知ってるでしょ。わたしのお母さんがどんな人か」
うみの心臓が小さく跳ねる。
三者面談のときのことを言っているんだ、とすぐに気づいた。
「う、うん。ごめん……」
「なんで謝るの。むしろ、こっちがごめんだよ。ヤな気分になったでしょ」
「それは……でも、わたしより……その……古賀さんは大丈夫だった……?」
どこまで踏み込んでいい話なのか判断がつかず、うみはもごもごとした非常に聞き取りづらい言い方をしてしまう。
けれどやはり、スモモは嫌がるような素振りは見せず——というより、どこか他人事めいた口調で答えた。
「いつものことだから。学校に塾にってお金かけすぎて生活ギリギリで、でも全然成果が見えないからって毎日怒ってるの。たまたま補欠合格で引っかかっただけ、運がよかっただっただけの人間に、期待しすぎなんだよね」
そこで、ようやくスモモが笑う。自嘲、という笑い方だったが。
「…………テストなんて、なくなればいいのに」
ガタン! と、イスが派手な音を鳴らした。
うみが勢いよく立ち上がったせいだ。
「鯨さん……?」
彼女はもう変な笑い方はしておらず、ぽかんとうみを見上げている。
うみはその目をまっすぐに見返して、「やめよう!」と叫んだ。
「あぇ?」
「こんなの、もういいよ! だから——いまから一緒に、遊びに行こう!」
◇
きっと彼女は、追い詰められていて、いっぱいいっぱいで、でもどうしたらいいかわからないんだ。
うみはスモモの現状を、そう判断した。
勉強が嫌いで、それでも我慢して必死にやって、けれど結果が出ないテストが嫌い。
だから塾をサボったのに、勉強しかしてこなかったから学校にしか行き場がなくて、せっかくの自由時間をつまらない手伝いなんかで潰してしまっている。
そんなふうに考えたら居ても立っても居られなくなり、うみはついスモモの手を掴んで学校を飛び出していた。
「とりあえず、お礼。ありがとう」
学校最寄りのコンビニで買い物を済ませたうみは、外で待っていたスモモに肉まんを差し出した。
「お礼って言われても……全然中途半端で終わったんだけど……」
「最初にやるよって言ってくれた気持ちに対してのお礼だから。とにかく、二個もいらないし、はい!」
うみは押しつけるようにして、スモモへと肉まんを渡す。
けれど、自分のぶんの肉まんをうみが食べ始めても、スモモはなかなか口をつけようとしない。
——ちょっと強引すぎたかな……?
いまはお腹いっぱいだとか、嫌いなものが入っているとかだと、お礼どころか迷惑になってしまった可能性すらある。
——というか、なにしてるんだろ、わたし……。
どうしてこんな行動をしてしまっているのか、うみは自分でもわかっていなかった。
なんとなく、このままじゃダメだ、放っておけないと思ったのはたしかだが、しかしなぜ関わったことのないクラスメイトにそんな思いを抱けたのかが不思議だった。
肉まんを食べ進めながら、うみはじっとスモモを見つめる。
その視線に気づいているのかいないのか、スモモがぽつりと呟いた。
「買い食い……」
「うっ……」
下校時の買い食いは、校則で禁止されている。
厳密にはいまが下校時とも言い難いが、しかし校則違反だと指摘されてしまえば反論もしにくい。
「そ、そういうの、気にする? でもほら、冬休みだし……」
「ううん。むしろ、鯨さんの方が校則とか気にするのかと。……買い食い、初めて」
そう言ってスモモは肉まんを半分に割り、その片方をようやく口へと運んだ。
そして。
「おいしい……!」
ぱあっと、花が咲くように笑ったのだ。
寒さで赤くなったほっぺたも相まって幼げに見えたその表情は、うみの深いところを突き刺したような気がした。
慌ててうみは、自分の肉まんへと視線を移す。
「……そ、そんなに言うほどかな? コンビニのよくあるやつだし」
「肉まんも、初めてだから」
「……そう、なんだ」
まあ、べつにそれも珍しくないのかもしれない。
うみも、コンビニと中華街以外で肉まんを食べたことはない。
だからそれは軽く流し、話を変えることにした。
「このあとはどうしよっか。ゲームセンターとか、カラオケとか……なにかしたいことある?」
「……ごめん、そういうのは。お小遣いもらってなくて」
「……お年玉は?」
「…………塾代で」
ただ、さすがにこれは、軽く流せなかった。
「じゃ、じゃあ、ほしいものがあったらどうするの? 本とかマンガとかゲームとか服とか……ちょっとお菓子買いたいなとかでも」
「本は参考書とかなら親が買ってくれるけど、マンガもゲームも持ってない。服も……そういえば、中学生になってからは新しいの買ってないかも。お菓子も、ほとんど食べたことない」
絶対、普通じゃない。
うみはよその家庭事情を多く知っているわけではないが、スモモの家庭に関しては率直にそう思った。
そんな状況で勉学の結果ばかり求められれば、そりゃあ逃げたくもなる。
もしかしたらあまり笑わないのも、娯楽に触れる機会が少ないからかもしれない。
——もったいない。あんなにかわいく笑うのに。
「そうだ!」
いいことを思いついた、とうみはスマホを取り出す。
ちょうどポイントが貯まって、映画一回分の無料券が手に入ったところだったのだ。
それを彼女に使ってもらって、自分は自分のお金で映画を観る。ナイスアイデアだ、とうみは自画自賛した。
評価の高いアクション映画も公開されている。それがおもしろかったら、また笑ってくれるかもしれない。
——その一心でスマホを操作していたうみは、声をかけられるまでまったく気づかなかった。
「鯨さんっ!!」
はっと顔をあげたときには、もう遅かった。
肉まんを投げ捨てて、うみを庇うように覆いかぶさってきたスモモと、うみに絡みつくように空から伸びる光の帯。
それが、うみが日本で見た最後の景色だ。
異世界に来る前、うみとスモモが関わったのは、それだけ。——たったそれだけの関係だったのに。
あとから知ったのは、召喚対象者は鯨うみだけで、古賀スモモはあくまでも巻き込まれただけだったということ。
けれど、スモモはいち早く異世界に適応し、精神が不安定になってしまったうみを長く——とくに最初の半年間は、辛抱強く支えてくれたのだ。
金銭は全部スモモが稼いできて、白百合姫から住む場所をもらってきて、真白部隊の基盤も築いてくれた。
うみがリーダーをやっているのは、スモモが上官としての事務作業を面倒くさがったからだ。それで手伝っていただけのつもりだったのに、最終的にはうみが裏方や白百合姫との繋ぎをすることが多くなったから、そうなってしまっただけ。
異世界に来てからのうみを構成するすべては、スモモのおかげなのだ。
少なくとも、うみはそう思っている。




