80話 ジオスの剣
ジオスは、感情の籠らない目で領主を見ている。
相変わらずやる気の感じられない、気だるげな表情だ。この騎士は、何を考えているのだろうか?
「何をしているジオスゥ! 早くその娘たちを連れてまいれぇぇ!」
領主が、人の物とは思えないしゃがれた声で叫ぶ。その醜悪な姿を前にしても、ジオスの態度は微塵も変わらなかった。
「せっかく飼ってやっているというのに、仕事もまともにできん愚図めが! 我が命のために! 我が生きるためには、その者たちが必要だぁぁぁ!」
「……」
「ああああ! 渇く! 餓える! 命を喰わせろぉぉぉぉ!」
領主が俺たちを見つめるその目の、なんと悍ましいことだろうか。あの怪物に見つめられるだけで、全身に虫が這いずり回っているかのような嫌悪感を覚えた。
あれは、俺たちをただの餌としか見ていない。そんな目だ。本能が、あれとは相容れないと叫んでいた。
領主がさらに絶叫する。
「その女と小僧を食らえば……! 我が内に取り込んだ竜の力は満たされるはずなのだ! さすれば、この飢渇も鎮まる! その間に獣人の小娘たちを生贄に捧げ、正式な儀式を行うのだぁ! さすれば、儂はまだまだ生きることができる! 死なずに、まだまだ研究を続けることができるのだっ!」
領主がそう叫びながら、さらに兵士たちへと手を伸ばした。命が尽きかけているところを、他者の命を食らって無理やり生きているのだろう。
やはり領主のあの姿は、竜の力によるものであるらしい。その力を制御しきれず、餓えに苦しめられているようだ。あの痩せこけた体も、そのせいなのかもしれない。
相変わらず、兵士は逃げずに命を吸われるだけだ。
ジオスは、静かにそれを見ていた。戦場とは思えないほど脱力した姿で、ただ立っている。
「何をグズグズしている! 言われんでも分かるだろう! 貴様のような愚図でも、自分で斬る者くらい選べ! 早くしろ! 斬れ! 早く斬れぇぇぇぇぇ!」
次の瞬間、ジオスは静かに剣を構えた。
少し離れているが、この男ならあそこからでも俺たちに攻撃を仕掛けられるはずだ。
相変わらず殺気の類は全く感じさせないが、何をされても逃げられるように意識を集中させる。
「はぁぁぁぁ……。やれやれ、何でこうなっちまったんだろうな」
ジオスの口の中からガリッという音が聞こえる。飴玉を噛み砕いたらしい。初めてこの男の感情が見えた気がした。
くるか?
ジオスは深く息を吐くと、昏い表情で剣を振りあげ――。
「すまんね」
その剣を振り下ろす。
「……ぎざま、なにを……」
「自分で斬る相手を選んだんだよ。クソ野郎」
ジオスが領主を斬り捨てていた。
「は?」
思わず間抜けな声を出してしまったのだ。何が起きている? ジオスが、味方になった?
「うらぎった、なぁぁぁ!」
「人間を食らう化け物と、頑張ってる少年少女。どっち斬るかなんて誰でも分かるだろ?」
だが、領主はまだ動いていた。肩からバッサリと斬られたのに、死んでいない。それどころか瞬時に傷が再生し、そのまま立ち上がったではないか。
「ふざけるなぁぁぁぁ!」
「おいおい、本格的に化け物じみてきたな。それに、この魔力。あの時の竜と同じか?」
ジオスが眉間にしわを寄せて呟きつつ、俺をチラッと見た。その視線の意味は、分かる。
領主の放つ魔力は、俺たちの魔力によく似ているからな。領主の全身はクロの腕の物に似た赤黒い鱗に覆われ、その目はシロの瞳と同じように爬虫類じみている。
多分だが、倒された天竜の素材は領主にも流れたはずだ。その素材から力を吸収したんじゃなかろうか?
俺の魔法料理以外にも、同じようなことができる魔法があっても不思議じゃないのだ。
「そのガキから、儂と同じ、竜核の波動を感じるぞ……。再びそれを食えば、儂は……! おおぉぉぉオォォォォォ! クワセロ! クワセロォォォ!」
「力に呑まれたか? まあ、いい。久々に剣を抜こうか」
ジオスは面倒くさげに肩を竦めると、何故か剣を鞘に戻してしまった。そのまま、右手を自らの左胸――心臓の上に当てる。
「魔剣召喚」
「!」
何だこの魔力は! 胸が光ったかと思うと、そこから光る剣を引きずり出した!
竜鱗の生えた領主も恐ろしいが、やはりジオスがより恐ろしい。その手に握られる金色に輝く剣からは、震えがくるほどの魔力が溢れ出している。
魔剣を召喚したようだが、聖剣と言っても差し支えないほどの神々しさが感じられた。ジオスの剣の腕前にこれ程の魔剣が組み合わさったら、どれほど恐ろしいことになるのか……。
その凄まじさは、領主が身をもって証明してくれた。
「ウガアアアアァァァァ!」
「四ノ剣」
残像を残して、ジオスに飛び掛かる領主。俺の目には瞬間移動したようにしか見えなかった。それほどの速度の老人に対し、ジオスはあっさりと攻撃を叩き込んだのだ。
まあ、ジオスの攻撃もほとんど見えなかったんだが。手が消えるほどの速度で動いたと思ったら、領主はその全身から血を噴き出していた。
その様子を見て、連続で斬ったのだと推測するしかない。どちらも、俺たちから見たら勝ち目がない怪物だ。
「ギィィイィィィィィ!」
一瞬で傷を再生させた領主が、さらにその身を変貌させる。全身の鱗がより分厚くなり、肉体が肥大化したのだ。
もう完全に人型の竜と言った様子だ。その状態でジオスに殴りかかる領主。ジオスが再び剣を振るうが、領主の肉体はほとんど傷つかない。
あの鋭い斬撃を弾くほどに、竜鱗が堅くなっているんだろう。
「やれやれ、しんどいことはしたくないんだが」
「シネェェェェ!」




