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8. 開封は、手袋の上から

 毒見役宛てに手紙が届く、というのは、考えてみれば妙な話である。


 私宛ての郵便物が、このところ少しずつ増えていた。「毒見の心得を教われないか」という同業からの真面目な文。「うちの主人の食事も見てほしい」という貴族家からの依頼めいた文。「その舌を見込んで鑑定業に」という質屋からの求人文まである。お断りした。転職はしない。うちは三食昼寝つきである。


 そして――差出人のない、ただの白い封筒。


 その朝の一通は、三つ目の類だった。


 受け取った瞬間から、指先に妙な感触がある。紙の表面が、産毛のように細かく、てらりと光っている。鼻先に寄せると、樹液の青くさい匂いがした。


 ――(うるし)


 塗られているのは、漆の樹液に蜂毒を練り込んだ、即効の接触毒である。素手で触れれば、十を数える間に指先が焼けるように腫れ、赤く(ただ)れる類。もちろん私の手は、何ともない。何とも、ないのだが。


 問題は、そこではなかった。


 廊下の先で、見慣れない侍女がひとり、柱の陰からこちらを窺っている。手紙を受け取る私を、最初からずっと見ていた目である。


 ……これは毒ではない。試験だ。「死なない毒見役」の噂の裏を取りに来た、誰かの目である。素手で触れて平気な顔をすれば、噂は確信に変わる。確信はいずれ、「あの体質は使える」に変わる。毒の運び屋、生きた解毒瓶、毒殺の隠れ蓑――ろくでもない求人が列をなす未来まで、はっきり見える。


 私は心の中で、ゆっくり十を数えた。芝居にも、考証は要る。


「……痛っ」


 十の声とともに小さく叫び、手紙を取り落とし、指先を押さえてみせた。演技である。十九年の悪食人生で、初めての芝居だった。我ながら、盛大な棒読みだったと思う。けれど柱の陰の目は、刻限どおりのその反応で満足したらしく、するりと消えた。


 念のため、指には包帯を巻いておく。ぐるぐる巻きにしすぎて、少々大袈裟になった。加減というものは、難しい。


 手紙そのものは、手袋で挟んでリヒト様の研究室へ届ける。彼は一目で「漆に、蜂毒の練り混ぜ。塗ったのは細い刷毛。几帳面な仕事だね」と読み切って、それから、ちらりと私の無事な指先を見た。


「……検分記録には、『毒見役は開封時に異常を訴えた』と書いておく。君に効かなかったことは、書かない」


「話が早くて、助かります」


「その代わり、今度その舌の話を――」


「三分だけ」


 値切り交渉の余地を残しておくのが、この変人との付き合い方である。差出人の目星は、つかない。ただ、こんな回りくどい「試験」を仕立てる手は、金と暇のある手だ。帳面に、そう書いておいた。


       ◇


 その包帯が、思わぬところで効いた。


「――手は、どうした」


 湯気の立つ皿越しに、低い声が降ってきた。


 晩餐の毒見の席で、殿下の目が、まっすぐ私の指に留まったのである。書類から顔を上げない方だと思っていたのに、こういう時だけ、目が早い。


「業務上の、軽いかぶれです」


「軽い、には見えん」


「包帯を巻きすぎました。加減を間違えただけです」


「……リヒトには見せたのか?」


「見せました。数日で引く、とのことです」


 嘘は言っていない。リヒト様には見せた。見せた瞬間に「無傷だね?」と見抜かれ、「いや、詮索しない約束だった」と自分で自分を黙らせていたけれど。


 殿下は、しばらく黙った。それから引き出しを開け、白い綿の手袋を一組取り出して、卓の上をこちらへ滑らせてくる。


「以後、封を切る時は、手袋の上からにしろ。……毒見役の手は、俺の食卓の道具だ。道具は、大事にする」


「道具、ですか」


「……言い方が、悪かった」


 珍しく、言い直しが入った。隈の下の目が、少しだけ泳いでいる。私は手袋を受け取って、包帯の上から嵌めてみせた。ぶかぶかである。よく見ればそれは、女官用の支給品ではなく、仕立ての良い男物だった。


「……サイズが、合っていませんが」


「備品だ。あるものを出した。文句があるなら、女官長に申請しろ」


 早口である。申請はしない予定だ。ぶかぶかの手袋は、存外あたたかい。


「大事にします。道具ですので」


「……そうしてくれ」


 会話の帳尻が合ったような、合っていないような夜である。ともあれ手袋は温かく、支給品は無償だ。ありがたくいただいておく。


       ◇


 数日後、包帯がとれた頃。オルデン様が、にこにこと知らせを持ってきた。


「ヴィオラ殿、お客人ですぞ。……アッシェンフェルト侯爵家から、お迎えの馬車が参っております」


 お迎え。


 当分顔を見せるな、と言い渡されてから、まだふた月しか経っていないのだけれど――。

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