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10. 運び屋は、お断りします

 名乗らない客というのは、それだけで九割方、ろくでもない。


 面会室に現れたのは、灰色の外套を着こんだ壮年紳士だった。物腰は執事めいて丁寧、けれど家紋も名もない。指を見れば、指輪の跡ひとつなく、爪だけが妙に整っている。名を隠すことに、手慣れた指である。男は卓の上に、小さな包みを置いた。油紙を几帳面に折り畳んだ、薬包(やくほう)の形である。


「毒見役殿のご高名は、かねがね。……折り入って、お願いがございます」


「依頼でしたら、承ります。内容によりますが」


「なに、簡単なことです。この薬包を――さる高貴な御方の私室へ、お届け願いたい。あなたは王宮のどこへでも出入りできる。膳の検めと言えば、誰にも怪しまれない。ただ、届けるだけでよろしい」


 ただ、届けるだけ。


 ……なるほど。噂は、私が思っていたより早く、思っていた通りの方向へ転がっていたらしい。毒に強い毒見役は、毒の検分をすり抜けられる。つまり――王宮でいちばん安全な、毒の運び屋になれる。


「中身を伺っても?」


「お薬です。……人払いの上で服まれる類の、な」


 灰色の外套が、にたりと笑った。金貨の音のする革袋が、薬包の隣に、とん、と置かれる。重さで中身の見当がつく音だった。私の給金の、たぶん半年分。


「お断りします」


「……ほう。額のご不満ですかな」


「いいえ。品質の不満です」


 私は薬包を手に取り、断りもなく開いた。灰色の外套が、ぎょっと腰を浮かせる。中の白い粉をひとつまみ、舌に載せた。


 えぐみの底に、痺れを装った甘さ。北の斜面の株。精製は丁寧。そして――風の通る日陰で、時間をかけて干した、あの癖。


 昨日の、白鈴の実と同じ干し手である。


 まぶたが、上がる。帳面の隅の『独特ノ陰干シ。初見』の下に、心の中で一行を書き足した。『同ジ干シ手。二度目』。別々の家の、別々の毒が、同じ場所を通ってきている――その意味を考えるのは、この客を片付けてからでいい。


「兜草です。精製は玄人、乾燥は癖のある陰干し、仕上がりは上物。……これは『お薬』ではありません。一服で大人が三人止まる、殺すための毒です」


「な……っ、き、貴様、勝手に開けおって……!」


「検分は毒見役の職務ですので。それから、もう一つ申し上げると」


 私は鼻先を、卓の向こうへ、わずかに寄せた。


「あなたの右の袖口から、この薬包と同じ粉の匂いがしています。爪の際にも、白い筋がひとつ。小分けは、ご自分でなさいましたね。……それから、この兜草の陰干しの癖は、昨日この王宮で見つかった別の毒と同じです。あなたの袖は、その両方の匂いがします」


「な……」


「つまりあなたは、届け役を探しに来た使いではなく――仕込み元の、ずいぶん近くにいる方です」


 灰色の外套が、勢いよく席を蹴った。逃げ足は速かったが、扉の前には、いつの間にか衛兵が二人。その肩の間から、オルデン様がにこにこと顔を覗かせている。毒見役への面会は侍従長を経由する決まりなので、騒ぎの声は、廊下まで筒抜けだったらしい。


「ほっほ。……お話は、お済みですかな」


 名乗らない客は、名乗らないまま連行されていった。袖と爪の粉は薬包の中身と一致し、リヒト様の器具が、それを裏書きする。素性は、さる派閥の家令と割れたそうだ。毒で人を使いに来た手が、自分の袖に毒を残していた――手口で人を動かす側も、手口からは逃げられないらしい。主家がどこまで焦げるかは、これからのお調べ次第である。


       ◇


 騒ぎには、続きがあった。


 翌日、宮廷の一部で妙な噂が流れたのである。曰く、「毒見役が毒を所持していた」「殿下の膳を任せてよいのか?」。捕まった側の派閥が、苦し紛れに流した逆ねじだった。噂に判は要らない。安くて、速くて、責任者のいない、いつもの手である。


 その噂は、晩餐の席で殿下の耳にも届いた。


「――だ、そうだ。どう返す」


 殿下が、書類を置いて私を見る。試す目ではなかった。ただ、返答を聞いておきたい目である。


「返しません。薬包の毒と、家令の袖の粉と、リヒト様の分析。三つが、同じ答えを出しています。……物が語ってくれている間は、人は黙って寝ていられますので」


「……相変わらずだな」


 殿下は、ふ、と短く息を漏らす。それから書類の山の向こうから、その場の全員によく通る声で言った。


「毒見役の舌は、俺が信じる。疑う者は、俺の食卓ごと疑うことになるが――その覚悟のある者だけ、前へ出ろ。……そう伝えておけ」


 噂は、三日で萎んだ。毒そのものがしゃべった中身を、噂ごときが言い負かせるはずもない。……ところで、これは庇われたのだろうか。手帳の隅に書きかけて、やめておいた。分類に困る出来事は、一晩寝てから考えるに限る。


       ◇


 数日後。厨房に、触れが回った。


『国王陛下生誕祭ニ付キ、諸侯参集。祝宴、三夜連続』


 グレゴールさんが、腕組みをして天井を仰いだ。


「……戦だな」


「戦ですね」


「言っておくが、献立は俺が守る。テメエは皿の中身だけ守れ。……三日で何皿になるか、考えたくもねえ」


 三夜連続の祝宴。諸侯の手土産。数えきれない皿。毒を仕込みたい側から見れば、これほどの好機はない。そして毒見役から見れば――昼寝の予定表が、跡形もなく消える三日間である。


 まぶたが、今から重い――。

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