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第二十話 研究戦争―たった一つのアイディアで―

 ある日の軍事庁の一室、カニス元帥が王女の食客のために与えた研究室でのことである。

 「おい、ナギ、奥の棚の薬瓶取ってくれ。青紫色の液体が入ってる奴」

 「了解ッス」

 「ニトロ室長、ウバダ草とバクテリアニンジン粉末の調合が終わりました。ご確認ください」

 「センキュ。おっ、流石だな、シガテラ。綺麗な朱色だ。一分の狂いもなく混ぜ合わせると、こういう美しい色のになるんだ」

 「お褒めの言葉、どうも。では、次の作業に取り掛かりますね」

 「おう、ナダネ酒の蒸留だな。頼んだぜ」

 「了解です」

 「室長ー、この瓶どこに置いておけばいいッスか?」

 「えーと、朱色の粉の入ってるボウルがあるだろ?そこにこの薬さじ3杯分の薬液を入れて、ゆっくりとかき混ぜてくれ」

 「了解ッス。……しっかし、今日は暑いッスねえ」

 「まあ夏だしな。スイカの研究室では、寒冷材なるものを使って涼しくやってるらしいが……」

 「スイカ……ああ、リービッヒ先生のことッスか。ニトロ室長もスゴいけど、あの人もッスね。私と同い年とは思えないッス」

 「アイツの知識量は反則気味だからな……。ここ最近は研究、実験漬けの生活のせいで、更に磨きがかかってるようだぜ。代償として、一日の睡眠時間が一時間を切ったらしいが……」

 「それは大変そうですね。あっ、室長、蒸留も済みました」

 「おっ、終わったか。実験も終盤に差し掛かかってきたな。ナギ、急げ急げ!シガテラはもう終わったぜ?」

 「シガテラ先輩の手際が良すぎなだけッスよそれ。そもそも『ゆっくり混ぜろ』って言ったのは室長ッス」

 「悪い悪い。まあ慎重にやってくれや」

 「別にナギ君だって、手際の悪い方ではないと思いますが……。まあ、こればかりは年季の差でしょうね……。あと室長、ちょっと一服してきますね」

 「こんな時に……って言いたいところだけど、そういやお前『中毒者』だったな」

 「今日は朝から一本も吸ってないんですよ。いい加減手が震えてきそうですよ」

 「ははっ、分かったよ。好きなだけ吸ってこい。ただ、日射病には気をつけな。お前、普段から貧血気味だし」

 「そこまで長居するつもりはないですよ。では失礼……」

 そう言うと、シガテラは指の間に長いパイプを挟んで、外に出ていった。

 「ふう、アイツ美形で秀才で貴族出身のエリートなのに、色々ともったいねえな……」

 「問題はタバコ以外にもあるッスけどね。偏屈な性格で、女と子どもが大嫌い。幼なじみだったからよく知ってるッスけど、顔につられて告白した女子が何人もフラれてきたッス」

 「女嫌いかあ……。オレには理解できねえなあ……」

 「ああ、別に全てを否定してはないッス。以前告白した友達は、『カラダは最高だけど、性格が嫌い。カラダは最高だけど』って言われてフラれたッス。」

 「変な奴だなあ……。どうして何か一つのことに優れた奴って、ネジが外れがちなんだ?」

 (それ室長が言うッスか……)

 「って待て、お前さっきから喋りっ放しじゃねえか。手の方もちゃんと動かせよ」

 「フフフ、バッチリッスよ。ほら、出来たッス!」

 確かにボウルの中身は、いい塩梅で混ざり合っていた。

 「おー、いい感じじゃん。お前こういう作業得意だよな」

 「父親が料理人ですからねえ。似たような作業は子どもの頃から手伝ってきたッスよ」

 「言われてみりゃ、化学の実験と料理って、似たところは色々あるな」

 「室長、ただ今戻りました」

 絶好のタイミングで、シガテラも帰ってきた。

 「おっ、いいところに。よし、遂に実験も最終段階だ。残りの作業はオレがやるから、お前らは休んでてくれ」

 「了解ッス!」

人懐っこい笑顔を浮かべて、ナギが答える。

 (さあて、吉と出るか凶と出るか……)

 ニトロは助手たちに負けぬよう、テキパキと作業に取り掛かった。



 「よーし、行くぞ……」

 ニトロの額には、脂汗が浮かんでいる。彼は右手に、深緑色の液体が入ったフラスコを、左手にはスポイトを持っていた。

 「いよいよッスか……」

 いつもはノリが軽いナギも、どうやら緊張しているようである。

 「……おっと」

シガテラも、無意識にパイプの火をつけそうになって、急いで止めた。普段の冷静さを欠いているのだ。

 三人は、瞬きもせずに、じっと台の上に置かれたシャーレを見つめていた。その中には、黒ずみ、青みがかった、血液が入っている。

 「よし、垂らすぜ」

 ニトロが慎重な手つきで、フラスコの中の薬液を血に垂らした。すると、どうであろう。病的な色合いをしていた血液が、みるみるうちに鮮やかな紅を取り戻していくではないか!

 「これは……」

 「間違いないっスね……」

 「成功だ!ひゃっほう!!」

 ニトロが喜色満面の表情で、ガッツポーズをした

 「いや~苦労の甲斐があったッス!」

 ナギもまた、飛び跳ねんばかりに喜んでいた。

 「……フッ」

 シガテラもまた、口の端を微かに歪める。分かりづらいが、彼なりの、最上級の喜びを表す仕草である。

 「やった!これでマガ虫病の特効薬の完成だ!!

 ニトロの言うマガ虫病とは、マガ虫という名の寄生虫によって引き起こされる疾患である。感染経路は汚れた水からであり、一度罹患してしまうと、全身を壮絶な疼痛が襲い、数日のうちに死に至る。ナルコレプシにおいて、もっとも恐れられている病の一つである。

 「毎年約300人もの命を奪っている病だ!だがもう怖くはねえ!このセンテンポラルト薬を使えば、たちまちのうちに快癒する!!」

 「薬と毒は表裏一体。人体には無害だが、マガ虫には猛毒」

 「よく考えたもんッスよ。毒使いならではの発想ッス」

 「一度静脈に注射すれば、薬液は瞬く間に全身へと広がり、マガ虫を皆殺しにする。我ながら、いいもの作ったぜ」

 「それに軍部はかつての戦争において、マガ虫病の蔓延により決定的な機会を失っている。そしてそのトラウマは今でも残っています」

 「その通り、これなら今年のナルコレプシ軍事技術賞の受賞も夢じゃねえ」

 「むしろ大本命ッスよ!さっきシガテラ先輩が言ってたような価値もありますし……」

 「そうなれば初となる人間の受賞ですからね。話題性も中々ですよ」

 「種族が違うなりに、この国の人々から受け入れられようと、頑張ってきた甲斐があったぜ!ありがとよお前ら!!三人で頑張ってきたからこそだ!!本当に感謝するぜ!!!」

 ニトロはガラにもなく、二人の肩に手を回して、成功を喜び合った。


 ……が、そこに水を差すものが一人。

 「オース、やってるかあ?……って、どうした?やけに嬉しそうだが……」

 部屋に入ってきたのは、ピエール将軍だった。

 「オオ、いいところに!見てくれこれ!」

 「何だこれ……。血液と……緑色の液体?」

 「そう、マガ虫病の特効薬さ!!」

 「えっ……?」

 驚きのあまりか、ピエールの表情が強張る。

 「す、すげえなお前!いやあ、流石元帥と俺の認めた人材だぜ!!」

 「いやいや、アンタら軍部が施設と予算、そしてシガテラとナギという素晴らしい人材を提供してくれたおかげさ!コイツらのことも、褒めてやってくれよ!!」

 「ハハ、照れるッスよ、なんか……」

 「……フッ」

 助手二人も嬉しそうである。

 「いやあ、うん。素晴らしいよ。本当に素晴らしい。うん……」

 (…………ん?)

 ここでニトロは、ふと違和感を感じた。というものも、ピエールの様子が変なのである。口では喜びと称賛の言葉を吐いているのに、顔が真っ青だし、しどろもどろしている。そして、明らかに目が笑っていない。むしろ、困り果てたといったような雰囲気……。

 (ど、どういうことだ……?)

 一抹の不安が、ニトロの頭をもたげ始める。

 (な、なんか……)

 (み、妙な雰囲気になってきましたね……)

 二人も、にわかに漂う緊張感を察知したようである。特にシガテラの方は、またパイプに火をつけかけた。

 「えーと、うん。いや、素晴らしいんだけどさあ……じ、実は……」

 そして相変わらずビクビクと話すピエール。何かを伝えようとしていることは分かるが、どうにもすごく言いづらそうなのである。しかしここで、青天の霹靂とでも言うべきか――

 「ピロリロリン!」

 部屋の隅の連絡石が、音を出しながら点滅し始めた。

 「あっ、スイカからだ……。この鳴り方緊急時の時のだし、出ていいか?」

 「お、おう……。い、いいぜ」

 ニトロは気がつかなかったが、この時ピエールは、勘念したかのような表情を浮かべていたのである。

 「ニトロー!聞いてよ!!私たち、遂にやったわ!!」

 聞こえてきたスイカの声色は、喜びに満ち満ちていた。まるで、さっきまでのニトロたちのように。

 「お、おう……。何があったんだ?」

 「いくつか進めているプロジェクトの一つでね、大きな成果が出たの!!なんと、量産型の浄水剤の発明に成功したのよ!!」

 「……浄水剤?」

 「ええ!これを使えば一瞬で水を清潔に出来るの!!」

 「なるほど……清潔に?」

 ここにきて一同は、そこはかとなく、ピエールの怪しい態度の理由を察しつつあった。

 「……」

 今度はシガテラも、パイプの火をそのままつけてしまっている。

 「そう!もう手間のかかる煮沸消毒をする必要もないの!マガ虫病を始めとする、飲み水に関する疾病は、完全に撲滅出来るわ!!」

 「…………」

 ニトロの表情から、魂が抜けていく。

 「本当に素晴らしい成功よ!研究室の皆と、軍部の協力のおかげだわ!!しかもさっきカニス元帥がいらっしゃって、ナルコレプシ軍事技術賞の受賞決定を告げてくれたの!!これで私たちも、この国の人々から認めてもらえ……」

 「プツン」

 途中でニトロは、無言で通信を切ってしまった。これ以上は、精神の限界だったのである。

 「す、すまん……。あちら側の当初の報告だと、イムジ病への薬を作ると聞いていて、差別化は出来ていると思っていたのだが……。まさか想定以上のものが完成するとは……。伝える必要はないと思い、連絡を怠ってしまった……」

 ものすごく申し訳なさそうな顔で、ピエールが言った。

 「いや……私たちが研究室同士で内容を共有すべきだったッス。つーか、一体アイツらどれくらいの期間で完成させたッスか……?」

 「……2週間」

 「ふぇっ?」

 「……2週間」

 ナギの表情に、戦慄が走る。

 「か、完敗だな……」

 シガテラですら、驚きを隠しきれていない。

 「ま、まあ仕方ないッス。研究してりゃあこういうこともあるッスよ……」

 「そ、その通りだ。気を取り直して……また明日から頑張ろうじゃないか」

 二人は必死に、自分で自分を慰めていた。そうでもしないと、おかしくなってしまいそうだった。

 「そ、それより……ニトロ、お前は大丈夫か?詫びとして、スカルマリンを1ダース持ってきたんだ……。そ、それに、お前たちの研究は無駄になったわけじゃないぞ。マガ虫病は渡河中の感染も多いからな……。いくら量産型の浄水剤でも、川まるごとは浄化出来ないし……。って、ニトロ、オイ、聞いてるのか……?」

 ニトロはピクリとも動かない。

 「だ、大丈夫か?」

 心配した一同が、そばに駆け寄る。

 「って、オイ。コイツ……」

 「た、立ったまま気絶してるッス」

 「フヒ、フヒヒ」

 分かりづらいが、もうどうにでもなれと思った時、シガテラはこんなひき笑いをするのである。ちなみに人生で初めて出た笑いである。




 おまけ

 「ほ、本当にごめん!!こっちの不手際で、そっちが研究内容を変更したこと知らなくて……あんなこと言っちゃったの!本当にごめんね……」

 「いや、大丈夫。よくよく考えたら、勇者の手下だった頃もっとひどい目にあってるし……」

 (……な、なんか返答に困る)

 あの後スイカは暇を縫って、謝罪をしようとニトロの部屋を訪ねていた。

 (で、でも…案外冷静みたいね。ピエールさんは立ったまま気絶するくらいのショックを受けてたって言ってたけど……)

 「うん、もう大丈夫だから……」

 と言いながら、ニトロはポロポロと、大粒の涙を流し始めた。

 (や、やっぱり大丈夫じゃない!こ、こうなったら……)

 次の瞬間、スイカはそっとニトロを抱きしめた。

 「ふぇっ?」

 「昔おばあちゃんがね、私が泣いてるときに、よくこうしてくれたのよ。どう、落ち着いた?」

 「う、うん……」

 実際は全然落ち着いてなかった。別の意味で。

 (こ、この女!めっちゃいい匂いがする!!) 

 金でいやいや働かされる娼婦とは違い、スイカのそれには慈しみがあった。俗に母性と言われる奴である。

 (ず、ずっとこのままでいたい……。研究とか全部忘れて、全てを委ねてしまいたい……)

 ニトロの心は、ゆりかごで寝息を立てる赤ん坊のように、落ち着いていった。

 (あ、明日から……気を取り直して頑張ろ!!いつまでもしょぼくれているのは、ガラでもねえ!)

 ニトロの心に、素直な変化が起きつつあった。

 (……こんな顔してるコイツ、初めて見たかも)

 ゆりかごで寝ている赤ん坊のように、穏やかなニトロの表情を見て、スイカもまた安心した。

 (なんとか立ち直ってくれたみたい……。良かった。あと、安心したら私も何だか、眠くなってきちゃった……)

 日頃の疲れもあったのだろう。強烈な睡魔が、二人を襲いつつあった。

 「うう、眠……」

 気づけば、まぶたは閉じていた。一度そうなると、もうあっという間である。二人して、たちどころにまどろみの底だ。

 二人は、互いに互いを抱きしめ合ったまま、眠りに落ちてしまった。


 

更におまけ

 「ニトロさーん、朝ですよ。起きてください……って、あれ?鍵が開いてる……」

 ナデコはつい、部屋の扉を開けてしまった。

 「えっ……?」

 ナデコは別に、性というものへの興味はそれほどない。しかし、問題はあの淫蕩な父王である。加減も常識も知らない父王が、一体ナデコにどのような悪影響を与えているか、ご想像はつくだろうか?

 「ああ、二人とも疲れが溜まっていたみたいですね。しかし添い寝だなんて、仲がいいようで、ちょっとうらやましいです」

 いくらスロウスが暗愚で非常識だとしても、娘の前では流石に配慮くらいする。というか、その手の知識を一切ナデコに与えようとしない。

 「父親たるもの、娘の性教育には細心の注意を払わなくてはな!!」

 (ばかすか結婚相手あてがって、子を産みまくってもらわないと困るのに!国の王たるもの、王統の断絶には、細心の注意を払うべきだろうがあ!!)

 バルボラの悩みのタネが一つ増えるくらいには、ナデコは純朴である。今更一つ増えたところで、どうということもないのだが。 

 


 

  

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